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 庭でじっと健の様子を見ていた志乃が、車イスが実によって回された瞬間に動いた。

 膝を立てて立ち上がったのである。

「シノ」

 空を見上げたままの護の一声が静寂の中に響いた。

「ケンが……」

と部屋に入ろうとする彼の腕をはじめが掴む。

 眠っていたはずではなかったのか?

「やめなさい」

「なんで止めるんだ。落ち込んでいたんだろう? 今だってあれは……」

「君には関係がない」

「わかってるよ。俺じゃ役に立たない。でも側にいることくらいできる。あの二人じゃ……ミノルがまいっちまう」

 護がようやく志乃に向いた。

「彼ならばすぐに戻る。君は自分のするべきことを続けろ」

「一日座ってるだけで何もしていないじゃないか。大体、あんた最近ミノルに冷たいぞ。あんたがそれだから尚更心配するんじゃないか」

 護はじっと彼を見つめていたが、ふいに顔を逸らすとまた、空を見上げた。

「何とか言えよ。……もう、手を離せって」

 八つ当たりに、はじめの手を乱暴に振り払う。

 はじめは気だるげに立ち上がると、いきなり志乃の襟首を掴んでその場に引き倒した。

 左の腕で彼の首元を抑える。

「君がここまでおろかだとは思いたくなかったぞ」

「なっ、なんでだよ」

 苦し紛れに足をばたつかせるが、はじめの力が思いのほか強く、起き上がることができない。

「マ、マモル、なん……とかしてくれって……」

 無駄なこととわかっていて目線だけでも護に向けるが、木の根元に座っている彼は、じっと志乃を凝視したままだった。

 気の毒だとも、自分の言うことをきかないからだと怒ることもない。

 まるで何もない空間を見ているような瞳だ。

 感情のない人形のような表情に、志乃は諦めとともにはじめに毒づいていたが、何を言っても緩めてくれないまましばらくして、愚痴が止まった。

 背後で感嘆の声が聞こえたからだ。

「さすがだな」

 抑えられているためか頭を持ち上げることができなかったが、その声が実であることは志乃にも判断ができた。

「も、戻ってきた……?」

 本当に、護の言うとおりだった。

 リビングからまっすぐ外に出てきた実は、志乃の傍らに腰をおろした。

 そこでようやくはじめが離れる。

「どうした? 格闘講義に変えたのか?」

「んなわけないだろ」

 首根っこを抑えられていたから、喉元をさすりながら志乃が体を起こした。

「あんた、なんで戻ってきたの? ケン、泣いてたじゃないか」

「見えたのか?」

「見えたよ。だから心配だったんじゃないか。あんたまでついてたら一緒に落ち込むんじゃないかって思ったのにこいつときたら……」

「そうだったのか?」

 また横になって目を閉じていたはじめが聞き返した。

 実が背後を振り返る。

「違うとは言わないが……おまえたちには関係がないと思うが?」

「どうしてだよ」

「何ができるんだよ。第一、そうやって騒ぐからあいつの居所がなくなるんだろうが。放っておくのが一番なんだよ。誰もあいつの力にはなれないんだ」

 その時、関心も示さずに空を見上げていた護がハッとしたように実に顔を向けた。

「? ……どうかしたか?」

 僅かに眉を寄せている。

 何か言おうとして、だがゆっくり視線を逸らした。

「なんだよ。言いたいことがあるのならはっきりしろ」

 護は、それでも考えるように口元を抑えたが、その中でくぐもった声を上げた。

「それでは……ダメだ」

と。

「何がダメなんだ?」

「……放っておいては……ダメだ」

「ならあいつの側で一緒に落ち込んでいろとでも言うのか?」

「それはおかしいだろ、マモル」

 志乃がそう言ったのも無理はない。

 先ほど、実がすぐに戻ると言っていたのは他ならぬ護だったのだから。

 護は、違うという意思表示に首を振った。

 そして、言葉を探すように目を泳がせる。

「ケンを……これ以上遠ざけては……いけない。オレたちが足を……止めては……ダメだ」

「遠ざける? どういうことだ?」

 物事を説明するときの饒舌は、今の護にはなかった。

 自分の思いを口にすることが彼には難しいのだ。

 護にとって、自分の考えを述べるための言葉はあまりにも不自由であった。

「ただあいつの側にいろと言うのか?」

 護は何度も首を振った。

「おまえの考えがわかればいいんだが……」

「感情はどうなんだね?」

 はじめがこっそり尋ねる。

「困惑だよ。自分でもうまく説明ができないんだ」

 言葉を待っているしかない。

 困っていようが、護がなんとか言うべきことを整理しようとしているのもまた、確かなのだ。

 やがて、また囁くような丸い声が聞こえた。

「依存……してはだめだ」

 それを聞いたとき、ようやくはじめは、彼が何を言いたかったのかを理解した。

 おとといのことを言いたかったのだ。

 きっと護は、実ならば理解していると思っていたに違いない。

 だから健に付き添い、彼がメンバーに頼りやすくなるように誘導しているのだと考えていたのだろう。

「護さん、わかったよ。それなら少しだけだが私に説明ができる」

 やはり何か知っているな、と実ははじめに向き直った。

「おまえに聞きたいことがあったんだ。隠し事なしに白状してもらうぞ」

 いきなりの脅迫に、はじめがたじろぐ。

「な、何を急に……」

「ケンはなんの目的でおまえに会ったんだ?」

 確実に確信をついた言葉に、はじめは目を見開いて、しかし迷いを隠すためかわざとらしく首をかしげてみせた。

「さあ……私にわかるわけが……」

「おまえは芝居が下手なんだよ。感情を覗かれたいのか?」

「そっ、それは……困る……」

 チラッと盗み見たのは護のほうにだ。

 ここで白状していいのかの判断がつかない。

 かといって、護だけを人払いしては、かえって白状するようなものだ。

 なら、実だけを連れ出すか?

 だが、それもあからさま過ぎる。

 後になって志乃がしつこく気にすると、健に追い打ちをかけかねない。

 最初は護のことだけを頼まれたはずなのに……。

 引き受けたのはいいが、結果的に彼ら全員を抱え込まなければならないとは思ってもみなかった。

 一人だけ切り離してすむ関係ではなかったのだ。

 はじめは、疲れ果てたように深く息を吐いて、自分の頬を気合いを入れるために叩いた。

「仕方がない。話してしまおう。私も引き受けた手前、いい加減なところで逃げたくないからな。……健さんは、私に護さんのことを頼んだのだよ」

 視線が、護に集中した。


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