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志乃が思いきり……とは言いがたい背伸びをして、天井に向かって息を吐き出した。
「それじゃ、おとなしく座ってるかな。マモル、あんたはどうするつもり?」
「見張らせてもらう」
両手をついて立ち上がった志乃に続き、護もまたその場を離れた。
夕子が後片付けのために席をたつ。
呑気に湯飲みに口をつけていたはじめに、実が軽く肘をついて聞いた。
「おまえはどうするんだ?」
「それがな……。預けた刀を取りに行かなければならないんだが……」
と、視線だけをソファに向ける。
あの様子だと、どうやら一人で行ったほうがよさそうだ。
というより、元々はそのつもりだったわけだから、はじめはすぐに気をとりなおして湯飲みを置いた。
「もう少ししたら出掛けることにしよう」
実は夕子の片付けを、座ったまま食器を重ねることで手伝いはじめたが、テーブルの上がスッキリしたころ言った。
「オレがついていこうか?」
途端、目を見はったはじめがあからさまに彼から視線を逸らした。
「い、いや。遠慮させてもらう」
瞬時の拒否は大方が実のせいである。
町に行って帰るまでの間、会話ひとつをするのも疲れるのは目に見えている。
皮肉や嫌みはできることなら避けたいと思った一方、思い出したのが昨日の連中だ。
もし、あの男たちの仲間なりが報復に訪れたら、健が騒ぎを起こしたことがばれてしまう。
「君では足手まといだ」
と付け足したものの、それが実に言ってはいけない失言だったことに気づいていないようだった。
当然、実が聞き逃すはずがない。
皮肉を聞かせて笑うと、頬杖をついてはじめを覗き込んだ。
「下手だな」
「な、何がだ?」
そうやって狼狽する姿が面白いのだろう。
口元に笑みを浮かべていたが、やがて真剣な表情を向けて声を潜めた。
「ケンを連れていけ。昨日の後始末があるのならそれも構わない。おまえが手を出す必要はないからな」
「し……知っていたのか?」
「……やっぱり何かやったんだな?」
「……!」
はじめは頭を抱えて実に背を向けた。
わかっていたはずなのに、また乗せられた。
表情や言葉の端々で推理して、かまをかけることなど、実には簡単なことだったのだろう。
「一体……どうしてわかったんだ……」
「何を言っているんだ。あれだけはっきり言っておいて」
「私が?」
覚えがない。
向き直ったはじめに、彼はまた笑った。
「足手まとい……は余計な一言だったんだよ。オレと話をするときには気をつけるんだな」
確かに余計だった。
実の実力を、組み手という形で知っているはじめにとっては、あまりにも鮮やかだった健の強さと比べて、無意識に邪魔だと考えて当然だ。
自分は脇差ししか持っていない。
今度こそ、彼を庇ってはうまく動ける自信がなかったからだ。
「……そのようだな。志乃さんのことを笑える立場ではなさそうだ」
「それよりもはじめ、今日は何も言わない。とにかくあいつを連れていってくれ。どこかで発散させなければ溜まるばかりだ」
自然、二人の目はソファに移った。
はじめが渋々頷く。
「わかったよ。しかし、あの落ち込みようで同行するかね?」
「任せろ」
という一言で部屋を出ていく。
はじめが夕子にお茶のおかわりを頼んで待っていると、程なくして戻ってきた。
手に、持てるだけの小判を持っていた。
それを、ソファにいた健の目の前にかざす。
「これで支払えばいいんだな?」
横になっていた健が、勢いよく起き上がった。
「おまえ……勝手に……」
「勝手も何も、刀の支払いがあるんだろう? おまえのところから持ち出すしかないじゃないか」
「はじめさんに渡すつもりか?」
「まさか。オレが支払えば問題はないだろう」
と、わざとはじめに同意を求める。
それに合わせたぎこちない返事に、健は二人を見比べた。
「おまえが行く? 無理に決まっているだろう」
「無理なものか。あいつについていって支払いをするだけだ。子供の買い物より簡単じゃないか」
健は苛立ちを抑えきれず、思いきりガラステーブルを叩くと立ち上がった。
「回りくどいな! 行かないとは言っていないんだ! それを渡せ!」
引ったくるということはしなかったが、実が持っているすべての金を受けとると、ベルトのポーチに乱暴に押し込んで、彼の脇をすり抜けて出ていってしまった。
「はじめ、頼む」
怒鳴られたことをまったく気にせず、だが、思ったよりも深刻な表情で実が促す。
お茶を飲むひまもなく立ち上がったはじめは、
「怒鳴ったところを初めて見たな」
と、幾分か驚いたようだ。
「あの程度では怒鳴ったとは言わないんだよ」
軽く背中を押されて、はじめもまた外に出ていった。
片付けの途中で二人を見送った夕子が、テーブルを拭きながらポツリと呟く。
「はじめさんで……大丈夫なんでしょうか」
「オレたちだからダメなこともあるんだ。ノーセレクトから外れたアドバイスも……役に立つものさ」
「アドバイス……ですか? 強い人だということはわかりますが……ケンの相談相手になるほどすごい人なんでしょうか?」
実は、ポンと彼女の頭に手を乗せた。
「バカだな。相談相手になるはずがないだろう? そうじゃなく、オレたちに言えないことをはじめになら言えるということさ。オレたちの前ではあいつは完璧なんだ。その当人に逃げ道がないから……ああやって落ち込んでいる。……わかるだろう?」
おずおずと顔をあげる。
張りのある落ち着いた声は、最初の頃の初恋を思い出させるほど、彼女には優しく染みた。
「それならば……わかります」
「いい子だ」
その一言が、彼女には嬉しかった。
実は決して言葉を飾らない。
夕子にとってはこの言葉こそが、最大の誉め言葉なのだ。
「ところでユウコ、ぬいぐるみは急いでいるのか?」
「え? 別に、それほどは……」
「それなら今日は目を休ませろ。毎日では疲れるだろう?」
「でも、好きなことをやらせてもらっていますよ?」
「……なら、言い方を変えるか。オレに付き合わないか?」
夕子は思わず彼から離れて、顔を赤く染めながら背を向けた。
初恋の頃のときめきが冷めないままストレートに言われて、平然と顔を合わせられない。
「あ、あの……その……」
「ユウコ、忘れたか?」
少しからかうような口調だ。
胸の動悸を手で抑えながら、彼女が首を振る。
「いえ。……お誘いを……断るのは……」
「失礼だぞ」
「……はい」
顔を向けられないまま向き直った。
「でも、どこへ?」
実は、うつ向く彼女の視線に合わせるように屈んだ。
「悪かったな。期待を持たせたようだ。シノの邪魔をしに、庭に行くつもりだったんだが、嫌か?」
「は?」
「君にとっても訓練にはなるだろうと思ってな。庭でただ座っているだけだが……一日くらいぼんやりと過ごすのも悪くはないぞ」
互いの励みのためか、それとも単なる当て馬か……。
志乃が庭で何をしているのかを知らない彼女には、理由もわからない誘いだったが、もとより過分な期待を持っていたわけではない。
実からの誘いだという、それだけで頬を染めながら頷いた。




