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結局自力で起きられなかったものの、ベッドから叩き落とされることもなく実に起こされたはじめがキッチンに入ったときには、すでに全員が揃っていた。
ただ、誰の目にもわかりすぎるほど健は落ち込んでいた。
食事の間も、ほとんど手をつけることなくテーブルに肘をついて、顎を乗せたままぼんやりとしている。
「どうしたんだよ、ケン」
と問いかけた志乃に対して、いつもならば微笑んで、
『なんでもないよ』
そう答えていただろう。
しかし、そんな余裕すらないらしい。
視線を向ける、というより睨むような冷たい目を志乃に向けただけで席を立ってしまった。
何か悪いことでも言ったか? と小さく問いかけた彼に、実も小声で答えた。
「そっとしておけ。あれは機嫌が悪いんだ」
「なんで?」
おとといは落ち込んでいると言ったし、今朝も同じように見えるのだが、どこが違うのか。
第一、夕べ志乃が部屋に戻る前はいつもの笑顔が見えていたのに、一気にこの空間までも落ち込ませるような何があったのかと、志乃の一言にはそれだけの疑問が込められている。
実は、一変して聞こえよがしに声をあげた。
「余計なことは聞かないほうがいいぞ。今度こそ殺されるかもな」
と、彼の右腕を指し示したものだから、志乃が震え上がっても当然だったろう。
思わず手を引っ込めて健を振り返った。
「ご、ごめん! 聞かないから!」
それだけ、健が本気で怒った時は恐ろしいのだと実感している。
ダイニングのソファに座り込んでいた健は、その彼をまた睨んだが、すぐに背中を向けて言った。
「ごめん、シノ」
ため息とともに、ソファの背もたれの向こうに頭が隠れた。
彼を見ていたはじめが、隣の実に耳打ちをする。
「そんなに恐ろしいのか?」
さあな、と実も小さく返す。
「オレは実際に見たわけじゃない。ただ、シノは目の当たりにしているからな」
志乃も自然と声が小さくなる。
「口じゃ説明できないよ。あとでタカヒロからも聞いたけど、あの時だって本当に怒ってたわけじゃなかったらしいから。本気だったらもっとすごいんだろうなぁ……」
ロールパンを取り上げて、ふと、志乃は実に聞いた。
「もしかして立花のおっさんとこの組長を殺したときが本気だったのかな?」
健の、本格的な治療をする前のことだから結構経っているが、あのときは実が、騙し討ちの形で大ケガをしたのである。
その張本人の組長を、健は虫を殺すより簡単に始末してしまった。
実はどうかな、と首をかしげた。
「オレはよく覚えていない。マモル、おまえは見たんだろう?」
静かな気配が、問いかけに僅かに頷いた。
そして一言、
「多分、ちがう」
と答えた。
確かにあのとき、護自身は目の当たりにして一瞬身がすくんだが、それでも健から感じられたのは後悔という雰囲気だった。
だから、本気とは違う。
テーブルと料理を囲んでの内緒話は、健には聞こえないだろうが、急に会話が小さくなってはなんの話をしているか位は想像がつくだろう。
一緒にテーブルで食事をしていた夕子が、少しだけ背伸びをしてソファを気にしながら身を乗り出した。
「あの……やめたほうが……。あの人、思い出したくないはずです」
「何か知っているのか? ユウコ」
はず、と断言した彼女にますます興味を持ったようで実が尋ねる。
夕子は余計な言い回しをしたことに怯んだが、やはり彼女自身、言わずにはいられなかったのだろう。
無意識に彼らと同じように小声で言った。
「キャップが以前、楠木さんから念を押されたことを話しましたよね」
「ケンを本気で怒らせるなということか?」
「ええ。あの話、もう少し具体的に聞いていたんです。ただ、あなたたちに話すのはちょっと……ケンが怖くて……。でも、それ以上に気の毒で言えなかったんです」
「怖くて気の毒?」
彼女は志乃に小さく頷いて続けた。
「なんか、男の人を……」
と言い淀んだのは、うまく説明しようとしたからか。
僅かにソファのほうに目を走らせて尚も声を潜めた。
「再起不能にしたと聞きました」
「再起不能?」
「詳しいことはわかりません。ただケンは……そのあとで何日も沈みこんでいたらしいんです。キャップは、その話をしているときの楠木さんの表情は見たことがないほど青ざめていたと言っていました。確か、ケンの……」
またソファのほうを気にして、それから彼女は志乃に向いた。
「残忍性を表に出させるな、と。……あとの後悔のほうがケンには辛いことらしいんです。あまりにも沈んでいて、自殺でもしかねなかったと言っていたそうです。目が離せなかったらしくて」
どうも腑に落ちないと言うように、実が眉を寄せて息をついた。
立花の事務所で目の当たりをしていた護も同じだったようで、申し合わせたように顔を見合わせる。
その疑問を口にしたのは実のほうだ。
「たかが再起不能にしただけでそこまで落ち込むのか? その男を殺したとか言うわけじゃないんだろう? 第一、残忍性というのはどの程度のことなんだ? どこまでが許容範囲かわからなくては対処のしようがないじゃないか」
そうなのだ。
立花の上司を殺したときですら、後悔はあっただろうが自殺をしかねないほどではなかったはずだ。
夕子は、
「そうでしょうけれど……」
と言葉を濁した。
「でも、楠木さんの言うこともわかるよ。俺も、あいつが落ち込んだところを見てるから。すごく後悔してたんだ。だから迷惑はかけられないって思ったよ。……やっぱりこの話、やめたほうがいいな」
話を振った大本だが、志乃はこれ以上は聞くに忍びないと輪の中から離れた。
そして実も髪をかきあげるように肘をついたが、一瞬おいて、やはり背もたれに寄りかかった。
「そうだな。やめたほうがよさそうだ。それに、機嫌が悪いが落ち込んでいるのも確かだしな」
健の本質の一部を聞き逃したはじめは軽く落胆したが、部外者の自分が口出しできるはずもなく、黙ってまた箸を取り上げた。
みんなが健を気にしなかったといえば嘘になる。
自然、会話は少なかったが、その気まずさの一部を救ったのははじめの一言だったろう。
「夕子さん、あの猫の人形は結構時間がかかるのかね?」
猫、と聞いて、夕子は手芸用具を片付けてある、ダイニングのサイドボードの上に視線を移し、それから志乃に笑いかけた。
「前のものより大きなものでしたよね。あと一日もあればできますから」
「おっ、サンキュー。これでミノルを蹴飛ばさなくてす……み……」
またしてもはじめがいることを失念していたらしい。
箸を放り投げて頭を抱えた。
「どうして俺ってこう……失言するんだろうなぁ」
「能天気なんだよ、おまえは」
「なんだ、あの猫は志乃さんのものか。ずいぶんガキっぽいものを頼んだな」
志乃は両手でテーブルを叩いた。
「違うんだよ。俺のじゃなくてミノルに作ってもらってたの」
「あら、そうなんですか?」
頼まれていた夕子自身、言われていたのは前のものよりも大きなもの、ということだった。
つまり以前のものでは小さかったわけで、それならばと彼の身長に合わせたのである。
実ようだとわかっていればもう一回り小さくしなければかえってかさばってしまうだろう。
夕子は食も途中で席を立つとサイドボードの上に丸めてあった台紙を持ってきて、テーブルにくっつかないように広げて見せた。
「これが型紙なんです。ミノルでは大きくありませんか?」
しげしげと見ていた実は、呆れ返るほどの大きさに苦笑した。
「オレどころかシノにも大きすぎないか?」
「いいんだよ。大きなほうが抱えやすいから。抱き枕みたいなもんだ」
そのまま作ってくれと頼む志乃に、彼女は快く返事をして型紙を元の位置に戻した。
その際、健のソファを盗み見たが、彼は足を投げ出しながらも横になっていたようだ。
だが、彼女が動いた気配にもまったく反応はなかった。
どうにも声をかけづらく、そのまま席に戻る。
結局、ぬいぐるみの会話も大して進むことがなく食事を済ませた。




