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 自分の部屋の明かりもつけずにただ、ベッドに腰を下ろしていた健の耳に、ノックの音が聞こえた。

 ドアが開く。

「ケン、食事が……」

 呼びにきたのは実だ。

 真っ暗な部屋に僅かに首をかしげ、中を凝視する。

 リビングにもキッチンにもいなかったから、てっきり部屋に戻ったと思ってここにきたのだ。

 カーテンで、外からの明かりも入らない部屋の闇に目が慣れたころ、ベッドに塊が見えた。

 手探りでライトをつける。

 その僅かな間に、健は顔を覆ってうずくまった。

「具合が悪いのか?」

 一応は小康状態とはいえ、日々の健康管理を見逃していないはずだが……。

 健は腕の隙間から、目の前に膝をついた実を見たものの、そのまま顔を逸らした。

「大丈夫だよ」

 しかし、声に力がない。

 見せてはいけない弱さを抑えようとしていた感情が、実を見ただけでまた、溢れそうだ。

 もう少しだけでいい……一人にしてほしかった。

 彼を、治せない病気にしてしまった実にこそ見られたくなかった。

 そう思えばそれだけ苦しくなる。

 健は、初めて自分から実を抱き締めた。

「ケ、ケン?」

 咄嗟のことに、実は嫌がることも忘れた。

「……どうしたんだよ?」

 いつもなら、健の感情を読み取ることは不可能だ。

 しかし、

「なんとなく、ね」

と抑えた囁き声が聞こえたと同時に、一気に彼の、溜まっていた感情が流れこんできた。

 ひたすらにメンバーを想う暖かく、優しく柔らかい感情の中の、大きく拭いようのない悲しさ、寂しさ、孤独……。

 それを我慢しようとする、実では到底受けとれきれないほどの努力の兆しで、思わず引き剥がそうとした手を、実は辛うじて止めた。

 全部、自分の責任だ……。

 ここまで健を追い詰めていたのか。

 ほんの僅かでもバランスを崩すと、健は一気に壊れる……。

 それほど、流れ込んだ感情は強く、儚かった。

 自分のほうが流されそうだ。

 健の感情に支配されそうだ。

 実は、常に自分の感情すら他人のものだと考え、信じていなかった。

 だから、周囲がどれほど混乱しようが、その時の状況を他人に任せていたのだ。

 健が今までフォローしていたことに、実は気づこうとしていなかったし、たとえわかっていても、それが健の強さだと割りきって、決して自分が変わろうとはしなかった。

 その結果がこれだ。

 なぜ、急にこうなったかなど知る必要はない。

 罪悪感で自分を見失いそうになる意識を、実は必死に食い止めた。

 これ以上、彼に甘えてはダメだ。

 健は、メンバーにとって自分よりはるかに必要な存在なのだから。

 息を止め、彼の思いを受け入れると、実は深く吐き出した。

「……今まですまなかったな。きつかっただろう?」

「言わないで……くれ……」

「わざとだよ。オレの役目はおまえのフォローだろうが」

 健の腕に力が籠る。

 これ以上、なにも言ってほしくなかった。

 弱味を見せれば、そうやって実は無理をする。

 だから、いつも冷静でいなければならないのに……。

 精神面で一番弱い実をこそ、守らなければならないというのに。

 しかし、

「オレには言う資格はないんだが……」

 実の言葉は止まらなかった。

「さすがにショックだったな」

 弱く健が反応した。

「そこまで我慢していたんだな。それではおまえが惨めじゃないか。オレのことよりも、もっと自分のことを考えろよ」

「……はじめさんにも……言われたよ。けれど……わからないんだ。……我慢していたとは……思っていなかったから。……我慢……していたのかな?」

 聞き返されて、実は目を閉じた。

 健の感情の、どこを探しても我慢という抑えたものが感じられない。

 ただ、今漂うのは、困惑した思いだ。

“……そういうことか”

 メンバーの誰もが、一度ならず思ったはずだ。

 なぜ、健はメンバーを頼ってくれないのか、と。

 確かに、普段はまったく頼りない。

 だからこそ実は、健の世話を全員でするように指示していた。

 なのに、他愛のないことをなにも知らず、情けないはずの彼は、決して精神面では他人に頼ることがなかった。

 その、真の理由が……。

“頼らないんじゃ……なかったんだな、ケン。知らなければ頼りようがない”

 そして、我慢をしていたことすら自覚していなかったのだ。

 誰かに苦悩を吐き出すことも、頼ることだという意味も理解できていない。

 あるいは、そうさせてしまった責任の一端は実自身にあるのかもしれない。

 彼は、静かに健を自分から離した。

 俯いて、されるままになったその両肩を支える。

「ケン、思いきり叫ぶとか泣くとか、そういう感情は押さえ込んでいられるものじゃないんだ。あとに響くぞ。……確かに……」

 肩を支えたまま、実はため息混じりに下を向いた。

 面と向かっては、さすがに言えない。

「オレではフォローできないことだが、それでもいきなり抱き締められるより、泣き叫ばれたほうが楽だよ。オレが他人に触れられるのが嫌いなことを知っているはずだろう?」

 励ましや慰めを決して口にしない実らしい言葉に、健は顔を覆って呟いた。

「おまえに……そんなことを言われるとは……」

「だから先に資格はないと言ったじゃないか。らしくないことは承知のうえだ。どうせ理由をいうつもりはないんだろう? けれど、バカみたいな叫びくらいは聞いてやるぞ」

 健は、力なく首を振った。

「ごめん。……ただ……できればもう少し……」

 そう言って、彼は答えも待たずにまた、実を抱き締めた。

 仕方なく受け止める。

 不器用で頑固な健だから、内に秘めたものを吐き出す術すら知らずにいるのも当然か。

 いつも穏やかで、怒鳴ることもほとんどない。

 たとえ声を荒げたところで、メンバーを思いやった言葉しか出てこない彼には、こういうことですら、実に伺いを立ててしまう。

 そうやって、思いを押し込めて溜めていく。

 流れてくる感情を、実はじっと、自分の中に染み込ませた。

 健を追い詰めた責任を、今度は自分を見失うことなく受けとることで償うために。

“おまえを一人にするものか。……誰がなんと言おうと……おまえが望まなくても、オレはおまえについていくからな”

 一人では逝かせない。

 言葉にしない思いを、実は、健の髪に指を滑らせることで伝えた。



 しばらくして、またノックが聞こえ、顔を覗かせたのは志乃だった。

 中の光景に思わず声があがる。

「なに……やってんの……」

 実がメンバーに抱きつく姿を何度か見ているものの、志乃はやはり驚いた。

 その声に、健が慌てて離れる。

 気まずいまま志乃に背を向けて、

「ご、ごめん」

と一言。

 一体、誰に謝ったのか。

「どうしたんだ? ケン」

 今の言いようだと、どうやら実からのモーションではなかったようだが。

 健はごまかす言葉を探したが、結局何も言えずに首を振った。

「落ち込んでいたんだよ、こいつは」

 代わりに実が答える。

「何で?」

「おまえがはじめにやられていたからさ。リーダー代理のくせに情けなかったんだそうだ」

「そ、そりゃないよ~」

 志乃にしてみれば、本末転倒の言われようだ。

 強くなるために、はじめに稽古をつけてもらっていたつもりなのだ。

 もちろん、実にその真意が伝わっていないはずがなく、バカにしたように鼻を鳴らした。

「冗談も通じないのか? 別件だよ」

 それから健に向き直る。

「ケン、悪いが食事ができているんだ。落ち込むならあとにしてくれ。オレはマモルの様子を見てくるから」

 これが、実らしい優しさなのだ。

 自分のことを信じていないからこそ、慰めの言葉は決して口にしない。

「不器用なおまえに、すぐに切り替えろとは言わないが、せめて顔でも洗っておけよ」

 最大限に突き放した言葉が、今の健にはかえってありがたかった。

 ドアが閉まる寸前に、

「代わりに付き添おうか?」

という志乃の声が聞こえた。

 健は、静かになった部屋でしばらくは動けなかった。

 気づいてしまった脆さを振り払おうとしても、浮かぶのは彼らの、細かい言葉や動きだ。

 いつまでも彼らの側にいたい。

 共にありたい。

 立花の言葉で、考えないようにしていた本音が、日毎に弱さになって心の中に広がっていく。

“これが……恐怖、なのかもしれないな……”

 いつか、志乃から聞かれたことがある。

 死ぬことが怖くないのか、と。

 死というもの自体を怖いと思ったことはなかった。

 ただ、そのときも言ったのだが、怖いのはメンバーと別れることだ。

 それが、確実に決まっているということだ。

 そのため結局、護を他人に託さなければならないことが自分の限界であり、脆さなのだと実感してしまった。

 だから心が晴れないし、今になって急に弱くなっている。

 メンバーの前では平然としていなければならない気力が、ノーセレクトとまったく関係のない立花やはじめの前で、いとも簡単に切れてしまうのが証拠だろう。

 最期まで情けないままで終わるんだろうな……。

 健はようやく立ち上がると部屋を出た。

 もちろん、気持ちの切り替えなどできない。

 ならば、徹底的に落ち込んで慣れていくしかない。

 志乃がそうやって立ち直ったように。

 実に見られてしまった今、取り繕っても仕方がないのだ。


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