26
志乃はなおも食い下がった。
「いや、だからさ、精神面はあいつで、技術のほうをはじめに教わりたいんだよ」
精神、技術ともに、彼らの時代で必要なのは、むしろ護の教授だと思うのだが……。
健は念のため、どうかな? とはじめに問いかけた。
当然、彼もまた困惑するしかない。
「技術面だけ、というのなら私は役に立たないよ。柔術を習ったわけではないからな。あくまでも私は剣術が専門だ。それも、精神修行を兼ねたものでしかない」
「でも、強いじゃないか」
「君が弱いだけだ」
事実をあっさりと口にしたはじめに、笑いがおこった。
一人、志乃だけが悔しがっている。
「ミッ、ミノルはどうなんだよ」
「私からみれば弱いよ」
突然、矛先が向きながらも、実は怒るどころか笑っている。
「否定はできないな。技術にはどうしても精神が伴うんだ。シノ、おまえも感じたんだろう? 一点集中……それがおまえの動きを止めていたんだ」
「たっ、確かにそうだけど……。でも、それ言ったらあんただって……。……もしかして……俺だけが集中攻撃されてたってこと?」
「そうじゃない」
実は、小バカにしたような笑みではじめに向いた。
「悪かったな。今朝はチームプレーのほうに問題があったようだ。せめてケンとオレのタッグだったらおまえを負かすことができたかもしれない」
「チームプレー?」
また、初めて聞いた言葉に首をかしげる。
すぐに健が補足した。
「連携のことですよ。呼吸が合わなければ個人攻撃と変わらない」
その言葉ならと、はじめが頷いた。
「確かに、君たちの呼吸はバラバラだったな」
「そう言うけどな。急なトレーニングでそんな打ち合わせなんて……」
「そんなことを言っていたら即殺だぞ、シノ。……要するに、それが呼吸なんだよ。おまえとでは息が合わなかった。……そういうことだ」
容赦のない皮肉だった。
事実なだけに、思わず愚痴もこぼれる。
「あんたがケン一筋なのはわかるけど、もう少し俺のことを考えてくれたっていいじゃないか」
「……一筋? 実さんが?」
しまった、と慌てて口を抑えたが、当の二人は顔を見合わせて苦笑した。
もちろん、この手のフォローは健の役目なのだ。
「リーダーとサブリーダーの息が合っているのは当然だと思うけれど?」
「サブ……?」
リーダーという言葉はもう、何度も聞いて意味も理解できるが、それにまた余計な言葉がくっついてきたな、とはじめが問いかける。
健は、これにも優しく答えた。
「副職のことですよ。えっと……参謀?」
「ほう、参謀は護さんじゃなかったのか?」
僅かに首をひねって、健が違うな、と呟いた。
「オレが大将だから、……副将になるのか」
「ちょっと待て。あいつが参謀?」
意外な見解だと言いたげの実に、はじめがきょとんとしながら頷いた。
絵里が口を挟む。
「今の彼ならそう思われても当然じゃない? シノのフォローをしているんだもの」
「向こうではそうだがここの主導権は結局ケンじゃないか」
どうやら、護より劣ると言われたように受け取ったらしい。
それが気に入らなかったようだ。
初対面の頃は、サブリーダーと言われたことを嫌がっていたくせに……。
それを知っているだけに、彼女は笑いをかみ殺すのに苦労した。
下手に笑えば、実はへそを曲げる。
「一体、あいつのどこがそう見えたんだ?」
拘っている。
はじめは、思いがけない実の勢いに、困惑しながら言った。
「そう言われてもなぁ……。健さんの言うことを忠実に実行していたようだったから……。いや、違っていたのなら君に失礼な勘違いを……」
言ったあと、はじめは目を見開いて、健に向いた。
つまり、その忠実さが他に目を向けた、ということになると気づいたのだ。
昨日の護の行動は、実のためなどではない。
健のためだから逆に、実が止めようとしたのも聞かなかった。
ケガの痛みが彼に伝わることを充分に理解していながら、無理をしていたではないか。
「……君は……目の当たりにしてしまったということか……」
健は言っていた。
護のことも、自分の目で確かめなければならなかった、と。
呆然とした呟きに、健は目を伏せてジュースのグラスに手を伸ばした。
「その話は……やめてください」
「なんの話だ? ケン」
「ミノル、おまえたちには関係のないことなんだよ」
静かな声だったが、頑なな、そして威厳の篭った、それは拒絶だった。
こうなると、健は口を割らない。
たとえこの場が気まずくなろうと、だ。
はじめが、場の雰囲気に頭を下げた。
「すまない。余計なことを言った」
それに対して、健はいつもの微笑みで返した。
「気にしないでください。別に余計なことではないんだ。ただ……彼らに関係がない……そういうことだから」
もう元に戻っている。
彼の変化に、はじめは参った、と顔を撫でた。
「私は……君にいらない忠告をしたのかもしれんな」
いくら迷っていても、そして自信がないと言っても、健はこうしてメンバーに対し、しっかり頂点に立っている。
滅多にみせないだろうと思われる威厳が、彼らを押さえつけるのではなく包み込んでいる。
本当に、彼は自分の能力に気づいていないのか、それともやはり、目標自体、更に上にあるのか……。
いずれにしても、はじめの忠告はやはり無駄だったのかもしれない。
「……くだらない」
横合いから実が呟いた。
健を、いたずら気味の笑みで睨みつける。
「やっぱり目的があったんじゃないか」
「それはそうだよ。なんの脈絡もなくここには来ないさ。元々、マモルだけのつもりだったんだから」
「おまえらしい言いぐさだよ。つまり、マモルに関係があったということだろう?」
「それは少し違うな。目的そのものはオレだけのことだからね」
実は首をすくめた。
「了解。もう聞かないよ。興味もないことだ」
健と実の間では、どちらかが必ず折れる。
大半は、実の正論に健が頷くのだが、立場が逆になった場合、実は自分の正論を持ちながら、あっさり引き下がるのだ。
もちろん、心から納得できないときもある。
だが、結果が常にメンバーのためでしかないという考えが前提にある健に対し、実は興味を放棄することで折れるのだ。
いずれわかる。
これが、実と健との呼吸だ。
健は、相変わらずテーブルに肘をついている志乃を見下ろした。
「ねえ、これはオレの提案なんだけれど、まずはマモルの言うことを実行してみたらどうかな?」
これは、強引に話を戻したようなものだが、志乃は素直に続きを促した。
「君にとって、集中と拡散はイコールなんだよ。それはオレたちにできることじゃない。けれど、きっとマモルにはイメージができているはずなんだ。そうでなければ引き受けないだろうからね」
「うん。それはわかってる。……けどさ……」
健が『提案』というのなら、志乃にとってベストな方法だということだ。
それは理解しているのだが。
「た、たとえばさ、ここで技かなにかをいくつか教えてもらって、戻ってから練習するっていうのは?」
「まあ、それも一つの方法かな。ただ……」
「いいよ、健さん」
はじめが軽く手をかざした。
「今朝ほどは無理だが、ちょっと教えてみよう。すまないが実さん、君も手を貸してくれ」
何をするつもりだ?
という疑問を、あからさまに首をかしげることで表現したところをみると、すでに実は、他人の感情を遮断してしまったようだ。
「再現をしてみようと思う」
彼の不思議な、そして不気味な能力に心のなかで感心しながらはじめは腰を上げた。
「……そういうことか」
外はもう暗くなっている。
それでも、部屋から洩れる光でなんとか動けるはずだ。
いつもなら、面倒だと突き放す実が、返事の代わりに立ち上がった。
絵里がいるにも関わらず、遠慮もなくトレーナーとその下のシャツを脱ぐ。
護ほどではないが、日に焼けていない白い肌に絵里が慌てて顔を逸らすなか、彼はトレーナーだけを着直して志乃を促した。
「まったく……少しは遠慮をしてほしいものだわ」
今さら羞恥心を求めたりはしないが、少なくとも彼女が女性だということに気を使ってほしい、と健も思ったが、それでもおかしさのほうが先にたってしまった。
三人が連れだって庭に出たあと、絵里も健も、ソファで見物をしていたが、どちらかといえば真剣に見入っていたのは彼女のほうだったろう。
時おり、愚痴がこぼれる。
健は苦笑混じりにポケットからタバコを取り出して火をつけた。
しばらくは二人とも沈黙していたが、どうも彼女は外の様子が気になるらしい。
防音のきいたガラスで隔てられている庭だ。
声は聞こえないが、実や志乃が動くたびに無意識に体を揺らしている。
「……じれったいわね」
「行ってきたら?」
それが、あまりにもあっさりとした言い回しだったため、彼女にしては珍しく皮肉が洩れた。
「女性は淑やかなほうがいいんじゃなかったの?」
「ここで妙な動きをされてもね」
と、首をすくめる。
それだけ夢中になっていたことに気づいた彼女は、
「あ、あら、ごめんなさいね」
言いながら、澄ましたように姿勢を正した。
それが限界だったようだ。
健が途端に笑いだした。
「い……いいよ。それよりも……」
笑いながら窓の外に目を向ける。
「君も少し、身に付けておいてくれないか。はじめさんの技を覚えるといっても、戻って練習をする相手は必要だろう?」
たとえ接近戦が、健たちの時代ではさほど役に立たないとは言っても、志乃のやる気を無駄にしたくないという心情を、彼女も汲み取った。
「それもそうね」
と即答し、そそくさと席を立つ。
結局、健が言ってくれるのを待っていたのかもしれない。
彼女は、訓練をしていたころから、成績が際立ってよかったわけではない。
しかし、高志のように動くことのほうが得意だというわけでもなく、隆宏のように考えることのほうが得意というわけでもない。
彼女の場合、バランスがいいのだ。
だからこそ口出しをしたくもなるのだろう。
いきなり現れた絵里に、はじめが動きを止めた。
彼女が、はじめではなく志乃に向き直ってなにかを言っている。
そのあと、場所を代わった。
はじめを挟んで、対極にいた実に声をかけ、まず、彼女が動いた。
絵里が出ていった窓は開けられたままだったから、ソファにいた健には、彼女が何をしたいのか聞き取れた。
実のほうが彼女のフォローをするらしい。
絵里と目配せだけで疎通をはかり、はじめの注意を逸らしはじめた。
が、すぐに彼女の動きがとまり、怒鳴る。
「早すぎる! あたしをシノだと思いなさい!」
つまり、呼吸を絵里として捉えていたということだ。
健は、はじめが飲み残していた酒を取り上げて彼らを見ていた。
一度、動きを再現してみせて、志乃に説明するために呼び寄せる。
本当に、彼女は教師に向いているな……。
実際、ノーセレクトとしての生き方がなければ、子供好きの彼女の夢は、教師か弁護士だったと聞いた。
健の目から見ても、彼女は常に公正で面倒見もいい。
そして、正直だとはじめに言われた実の動きは、こうして見ていると、確かに、レイラーから教えられたことを真っ直ぐに受け入れた結果なのだと思う。
だから今も、絵里の指導を素直に聞き入れて、忠実に動けるのだろう。
今まで、いろいろな依頼を受けてきたが、派手なアクションはさほどなかったし、絵里と実のコンビネーションは、健が記憶しているかぎり皆無だったと言ってもいい。
が、目の前の光景は、ノーセレクトならではの呼吸かもしれない。
まるで、三人で志乃一人を教えているようだ。
心強い教師に囲まれて、志乃もまた真剣に聞き入れている。
吸収は早いはずだ。
彼もまた、ノーセレクトなのだから。
「新鮮な……光景だな……」
無意識の独り言を呟く健の頬に、知らずに涙が流れた。
新鮮な光景だからこそ、胸が痛む。
いつまで見ていられるだろう。
いつまで、生きていられるか……。
死に急ぐのではなく、生き急ぐために見落とすことなく彼らを覚えろと立花は言っていた。
やくざに比べたら、健のほうが遥かに恵まれているのだから、と。
時限装置つきの命には、まだ余裕があると思え……。
健にとってありがたい忠告だった。
少なくともその時は……。
だが、こうして彼らを見ていると、自分のために生きろといったはじめの言葉が、自分にとってどれほど難しいことなのかを感じる。
“……知らないんだよ。……はじめさん”
自分のために生きる術を、知らない。
健がいるから実たちは自由だ。
そして、彼らがいるから健は自由でいられる。
いつでも、どんなときも、ノーセレクトという立場に縛られた小さな世界のなかでは、彼らは互いに自由でいられたのである。
彼らがいなくては、自分が存在する意味がない。
なのに今、日毎に彼らの別の面を見ることが辛くなっていく。
自分の弱さを彼らに見せたくない。
いや、見せるわけにはいかない……。
これ以上、彼らを追い詰めてはならない。
健は席を立った。




