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「おや?」

 はじめの姿に驚いたものの、少しは慣れたのか、彼女は調理の手を止めて言った。

「向こうのお部屋にお酒を用意していますよ」

 声にも張りが出ている。

「そうか。ありがとう」

「あの……」

「? なにか?」

 はにかんでいるのか、それともまだ多少は怖いのか、俯きがちに黙ってしまったものの、すぐに彼女は息を吸い込んで顔を上げた。

「マモル……どうでした?」

 僅かにはじめが眉を寄せたが、

「ああ……」

 納得したらしく微笑んだ。

 護と夕子が恋仲らしいことを、実から聞いたのを思い出す。

「まだ辛いようだ。私がいては邪魔になるからね」

「あの……ありがとう……ございます」

「は?」

「……えっと……つまり……」

 一度は俯いたものの、彼女はまたまっすぐ顔を上げて続けた。

「ずっとあの人についていてくださったから」

 これには、はじめも苦笑するしかなかったろう。

 誰のためでもない。

 別に、護に同情したからでも、ケガを負わせた罪悪感でもなく、ただ、健との約束のために気にかけているだけなのだから。

 しかし、

「どういたしまして」

と笑いながら、彼は夕子に対して、最初の印象とは別のものを感じた。

 かわいい、と思う。

 極度の人見知りが、今は奥ゆかしさに見えるのだ。

 また調理をはじめた彼女に微笑んで、彼はリビングのほうに入っていった。

 雑談の主は、やはり絵里と志乃だった。

 健も実も、二人の話を聞く側にいるようだ。

 はじめの姿に、実は席を立って場所を譲った。

「おや、いいのか?」

 言いながらも、遠慮なくソファに収まる。

「早かったじゃないか。やっぱり口をきかなかったのか?」

「そうだな。まだ無理のようだったからな。一人にさせたほうがいいのだろう?」

 絵里に差し出された酒に口をつける。

 ふと隣を見ると、健のグラスには黒い液体が入っていた。

 泡が立っている。

「それは?」

 夕べとは違う酒なのか、と尋ねた彼に、健は苦笑いでグラスを指で弾いた。

「禁酒させられた。食事のあとまでお預けなんだ」

「それは気の毒に」

 今朝の会話を考えれば、絵里の仕業だろう。

 彼女を盗み見てクスクスと笑ったが、はじめは健に遠慮はしなかった。

 もちろん、朝に彼女に言われたことも覚えている。

 今は、自分のペースを保つつもりだ。

「なぁ、はじめ。やっぱ稽古は明日から?」

 座るところがありながら、志乃は絵里の傍らの床に座ってテーブルに両肘をついていた。

 彼の背後に見える外は、昨日、護と対峙したころの暗さになっている。

 つるべ落としと言われるように、今の時期は日が暮れるのが早い。

 にも関わらず、彼は待ちきれないようだ。

 はじめは、健の背中のほうから庭を覗き込むために背筋を伸ばした。

「もう暗くなる。無理だろう」

「つまらないなぁ」

 今日は半日ほどの時間を掃除で潰したが、それ以降は健と共に庭にいた。

 何もしないまま、いつの間にか眠っていたのだ。

「志乃さん。何も組み手だけが修行ではないよ」

「他にもあるのか?」

 志乃には、どうやら彼なりの思惑があるようだ。

 強くなれるのなら、なんでもいいから教えろ、と瞳の輝きが言っている。

 考え込むように酒を口に含み、ややあってはじめは言った。

「普段、道場で最初にするのは素振りだ。つまり、精神統一だな。相手と打ち合うのはそのあとだよ。柔術も同じようなものだ」

「確かにそうね」

と、絵里があとを継いだ。

「あたしたちも最初はそうだったもの。まず精神を整える。それが基本だったわ」

 彼女は当然のことのように言ったが、やはり女性が男紛いのことをするのは、はじめには意外だったようだ。

 この時代でも、女性が剣術をするものがいないわけではないが、やはり自分の周囲にいなかったからだろう。

 彼女が続ける。

「雑念があってはやられるだけよ。そのために、集中する方法を身に付けるの。……ただ……あんたはそれができないのよね?」

 あけすけに、志乃がまあね、と頷いた。

「どうしても余計なことが頭に浮かぶからな」

「意識の拡散をマモルから教わったはずじゃなかったのか?」

と、実が口を挟む。

 その彼を軽く一瞥して、志乃は頬を膨らませた。

「途中で終わってるよ。それどころじゃなかったじゃないか」

 半端になっている理由が、まさに志乃と実、そして護が原因のほとんどなら、実にもそれ以上のことが言えないのは当然だ。

「確かにな」

「そりゃ、まったくサボってたわけじゃないけど。……でも、物事の整理って、言うほど簡単じゃないよ」

 どうも言い訳のように聞こえる。

 それを、実が聞き逃すはずもなかった。

「わかっていないな。それ自体が集中なんだろうが。足りない頭ではマモルのやり方も理解できないぞ」

 相変わらずのきつい嫌みに、志乃は悔しそうに頭を抱えたが、

「でもさぁ」

と、情けなく言った。

「集中と意識の拡散って、両極端じゃないか。それをやれって言われてもなぁ」

 やはり理解できていない。

 実は、健と顔を見合わせて首をすくめた。

 軽いため息とともに、健が話を引き継ぐ。

「どうも……はじめさんの相手ができる状態じゃないみたいだね」

「今さらそりゃないよ、ケン」

「けれど、先生をころころと変えるのもどうかと思うよ。マモルに教わっているのなら、彼一人に専念するべきじゃない?」

 健自身は、志乃が護になにかを教わっていたことを知らなかった。

 確か、攻撃だか防御だかをパチンコ玉のようなもので練習するとか、串のようなものがいいとか言う話は聞いていたが、精神訓練まで護が引き受けていたことまでは聞いていなかったのだ。

 知っていれば即答はしなかったし、答えたとしても、やはり単なるはじめの暇潰し程度の相手としてしか頼まなかっただろう。

 はじめに頼むべき組み手、つまり柔術は、あくまでもこの時代でのトレーニングであり、未来に戻ったときに実践として通用するものではない。

 というより、志乃には必要がないのだ。

 大体、なぜそのようなことに拘りだしたのか。



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