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 夕べの酒宴の後片付けをするつもりでリビングのドアを開けた絵里は、寝ているはじめと、本から目を離した健を見つけ、思わずブレスレットに目を落とした。

 自分が起きるのが遅かったわけではない。

 実際、夕子とともに降りてきたのだから。

 開いた口がふさがらない、とはこのことだ。

 ソファのはじめを見下ろして、脱力したように息をつく。

「あんた……この人まで潰したわけ?」

 言いながら、床に置いてあるボトルを取り上げる。

 健は、そんなつもりはないと慌てて言った。

「人聞きの悪い言い方はやめてくれよ。別に飲み比べをしたわけじゃないし……大半はオレが飲んだんだし……」

「それが潰したっていうことよ。……あのね、あんたのペースに誰がついていけるの? 相手のピッチが早ければそれに乗せられるのは当然でしょう? 本当に……それだけ飲んで平然としているんだから呆れるわ。やめろとは言わないけれど、もう少し控えなさいよ。あんたの場合、栄養よりアルコールのほうが遥かに多いのよ。自分で体を……」

「ま、待って……。はじめさんが起きてしまうよ」

 絵里は、一度床を踏むと腰に手を当てて、健のほうに屈みこんだ。

「ごまかさない! 今日こそ言わせてもらうわ。ちゃんと食事をしないから貧血になるんじゃない。あんたの場合、ただでさえ神経を使っているのよ。お酒なんかで補給できるわけないでしょう」

 勢いに飲まれて、健は呆然と返事をした。

「……はい」

 その頼りない姿が、絵里にはいつでももどかしいのだ。

「それだけじゃないわ」

と、続く。

「どうせまた、徹夜をしたんでしょう? 病み上がりにそんなことをすれば誰に迷惑がかかるのか、もうわかってもいいんじゃないの? もっと自覚して……」

 背後で、圧し殺した笑い声が聞こえた。

 説教の勢いが、唐突に振り返る。

 毛布で口を抑え、はじめが笑っていた。

 二人の視線に、堪えきれずに起き上がる。

「起こしてしまったようね」

 それだけ声が大きかったことに、彼女は気がついていなかったらしい。

 はじめはしきりに手を振って笑っていたが、それが治まると軽く咳払いをした。

「大将もそれでは形無しだな」

「い、言わないでくれよ……」

 充分に自覚していることなのだ。

 ばつが悪い思いで小さくなりながらも、健はおずおずと彼女を見上げた。

「ごめん。お説教はあとにしてくれない?」

 本当に、いつまでも普段の彼は頼りない。

 絵里は、ここでさらに彼を貶めるのも気が引けて力を抜いた。

「了解。でも逃げられると思わないで。ミノルに追い討ちをかけられたくはないでしょう?」

「わ、わかったよ」

「それからはじめさん」

 勢いが、今度ははじめに向いた。

「自分の酒量を考えなさい。彼に合わせることはないの。調子にのってあとで辛くなるのは自分なのよ。食事はできる? 具合はどう?」

 はじめは、微笑ましく彼女に頷いた。

「大丈夫ですよ。あなたは優しいね」

「あら、ありがとう。素直に喜んでおくわ」

 さほど嬉しくもなさそうにいうと、彼女はテーブル横の酒瓶を持てるだけ持って出ていった。

 絵里にとって、当たり前のことを言ったにすぎないのだ。

 自分の思ったことにはさほど遠慮をしない。

 それが説教に聞こえようが構わないのである。

 その反面、言うだけ言えばあとに残さない。

 二人とも、彼女の後ろ姿を見送っていたが、思い出したように笑ったはじめは、健と視線が合うと、ごまかすように背伸びをして立ち上がった。

 外が明るい。

 窓を開け、外に出る。

「申し訳なかったな。結局起きられなかったようだ」

「疲れもあったんじゃない?」

 あとから健も外に出る。

 晴れた空を見上げ、はじめが言った。

「相手をしてもらえないか?」

「は?」

「素振りもできないからな。せめて組手でもしようかと」

「む、無理ですよ。相手にもならない」

 慌てて言ったが、それを聞いていないのか、はじめは背を向けて呼吸を整えている。

「参ったな……。タカシなら相手になるんだろうけれど……」

 彼ならば、運動能力は護に次ぐ。

 その動きは、五感が誰よりも発達しているゆえの彼の特性だ。

 動きが立体的で、ある意味うるさい。

 戸惑っている気配が感じられたのか、ふいに振り返り、はじめがまた笑った。

「頼りないな。威厳をまるで感じない」

「……すみません」

「一体、どちらが本当の君なのだ? 夕べの強さは容易に見せられないか?」

「……困ったな……」

 夕べは、どういう理由であれ、相手が本気だったからできたことだ。

 それだけ、健は必死だった。

 仕事のときでさえ、一度として本気になったことがないというのに、組み手の練習でうまく動けるわけがない。

 しかし、はじめは諦める気がないらしい。

「仕方がない」

 健は二度ほど深呼吸をした。

「夕べのようにはいかないことは忘れないでくださいよ」

「ああ」

 少し離れて向き合った。

 軽く屈みながら構える。

 健は、ただそこに立っているだけだった。

 しかし、二人の間には、互いの出方を伺う、ある種の緊迫感があった。

 その均衡は、はじめが先に動くことで崩れた。

 その早さ、夕べとは違っていた。

 健の目がついていけない。

 この動きが昨夜の再現であり、立場が逆だったと理解したのは、手首を掴まれ、足を払われたときだった。

 かろうじて受け身はとれたものの、思いきり背中をぶつけて、思わず声があがる。

「……大丈夫か?」

「な、なんとか」

とはいえ、いきなりのことで、まともな防御もできなかった。

 胸を圧迫されて咳き込んでしまう。

 それが治まったころ、腕を引かれて上体を起こした健は、今度は自分の力で立ち上がった。

「これじゃ、トレーニングとは言えないな、ごめん」

 トレーニング、という言葉の意味はわからなかったが、健が、服についた汚れを叩きながら構えらしきポーズをとって対峙したことで、はじめも再び身構えた。

「すまないな」

 きっと、道場に通っていたころは、欠かさず稽古をしていたのだろう。

 刀を折られた上、竹刀すらないから素振りもできないと言っていたのを思い出す。

 再び、出方を伺った。

 ただ、健にしてみれば、今度こそ相手の動きを見極めなければ、はじめに申し訳がないという思いはあったようだ。

 これは彼の、持って生まれた傲慢さと、成長過程で植え付けられた謙虚さの表れだったのかもしれない。

 どのような相手であっても本気になることができない。

 そして、本来の力を出してはいけないという教えが、健の行動を制御しているのだから。

 精神を集中させて相手に向き合う。

 その彼らの間に、細い光が掠めたのは、はじめが足を踏み出した瞬間だった。

「……?」

 健には見覚えがある。

 あれはレーザーの光ではなかったか?

 二人同時に、窓のほうに目がいった。


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