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「藤下さん……いや、護さんはなぜ、実さんだけに気をかけているんだ?」

 二人とも、つまみのほうに手をつけることはなかった。

 資料では結構な酒豪だとあったはじめに、少しずつ酒を注ぎ足しながら健が苦笑する。

「難しいな……」

と言いながらも、どことなく穏やかな表情だ。

「はじめさん、マモルの声や言葉をどう思いました?」

 唐突な質問に、はじめは目を丸くして、考え込むように腕を組んだ。

「そうだな。透き通っている、丸い声だ。棘がない。……ただ、気にはなったな。心が篭っていないような……」

「やっぱりそう思いますか? ……ミノル以外の対象には心を閉ざしていたんだ。……もともと、ほとんど口をきかなかった。人形のような無表情……多分、誰もがそう思ったんじゃないかな。仲間であるオレたちにも距離を置いていたんだ。ただ一人、ミノルにだけは違っていた彼の想いが愛情だと受け取られても不自然じゃないんだろうね」

 一瞬、顔をしかめたものの、どこか納得したのか、はじめは、

「そういうことか」

と、呟いた。

 惚れたものに対する一途な想いなら当然なのかもしれない。

 しかし、

「違うんです」

 健が即座に否定する。

「彼の思いはそんなに単純なものじゃないんだ。……ミノルは二つの意味で、マモルを救ったんです。心と体と……。特に心のほうは、ミノルがいなければ壊れていた。そうなってもおかしくない目にあっていたんだ。愛情じゃない。命の恩人などという言葉に収められるほど小さな思いでもない」

 グラスの氷を、酒を揺らすことで回し、健は一口。

 そして、またはじめに向いた。

「最初からなかった……あってはいけない存在だと思い込んでいた彼なら、自分の命がミノルのために続くのならこれ以上の幸福はなかったんじゃないかな。たった一人のためだけの存在……。だから彼は強いんだ」

「君はまだ……」

 健は、寂しげに微笑んだ。

「事実に目を背けるつもりはないよ。第一、その強さがオレは好きなんだ」

「……だが、君によそ見をしてしまった……か」

 それを修正するためにはじめを選び、頼みごとをした……。

 だが、当のはじめ本人には心当たりがないのだ。

 まさか、剣一筋で生きてきた、ということか?

 そうと断言できる人生を送ってきたわけでもない。

「私はどういう人生なのだろうな? 護さんの見本になるとは思えないんだが」

 今度も答えはなかった。

 健はただ、微笑んだだけだ。

 しばらくして、彼がふと、窓のほうに向いた。

「オレが憎むほど悔しいと……思う人生、とだけ」

「……そうか」

 自然、二人とも口を閉ざした。

 はじめもまた、カーテンで遮られた外の暗闇に目を移す。

 だが、時間をおいて思い出したようにはじめが聞いた。

「そうだ。もう一つ教えてくれ。実さんはなぜ、私に抱きついたんだ?」

 面白そうに健が笑う。

「これも……難しいな。無難に答えるとしたら……オレがあなたに会ったから、ですね」

「私に、君が?」

 頷いて、健の視線がはじめに戻った。

「さっきも言ったように、ミノルは他人の感情の集まりだ。子供の頃は、見境なく他人の感情が入り込んでいたそうです。今の彼は訓練で、よほど強いものでなければ排除できています。けれど、反面、関係のないことを覚えていられない。今回は、オレがあなたに接触したから、あなたを忘れるわけにはいかなくなってしまったんだ」

「……さっぱりわからん」

と、大袈裟に首をかしげるはじめに、健はまた笑った。

「理解できたらオレの立場がないよ。ただ、わかる範囲で言うなら、あなた自身がミノルの心の中にもう一人、できあがった、ということかな。あなたの感情が彼に伝わりやすくなったという」

 はじめは、自分なりに理解しようと目を伏せて考えこんだが、ふと、思い出したことに顔を上げた。

「と、すると……護さんがケガをしたときは……?」

「ええ。多分、痛みはあったと思う。あのとき、平然としていられたのはマモルが我慢できていたからと、あとはミノル自身が感情の介入を遮断していたからじゃないかな」

 先程とはうってかわって、言葉づかいが変わるほど穏やかになった健の答えに、はじめはグラスの酒を傾けながらさらに考え込んでいたが、やはり理解できるはずもない。

「どうしてもわからない。……君はよく、混乱せずに付き合えるな」

「みんな、慣れてしまったよ」

 そう言った優しく落ち着いた微笑みに、はじめがホッと息を洩らした。

 やはり、一度は発散させてよかったのだ、と。

 ただ、まだ気になることはあった。

 健の微笑みに、穏やかさとは別の、寂しげなものを感じる。

 とはいえ、そこまで突っ込んで探ろうとするほどの関心は持たなかったため、はじめは頷いて沈黙した。

 なんにしても、先程のように情けなく泣かれるよりはよほどマシだったためだろう。

 しばらくは二人ともなにげに庭のほうを見ていたものの、手に持っていたグラスを口に運んだ途端、

「おっ……」

と、はじめの上体が僅かに傾いた。

「どうしました?」

「いや……。だが……」

「?」

「……まさか……私が……?」

 グラスをテーブルに戻す。

 というより、手から滑り落ちたような音が響いた。

 そのままはじめは大きく息をついたが、テーブルに手をついて顔を覆ったその隙間から、自虐的な笑い声が洩れた。

「……私が酔うとは、な」

 重そうな仕草でソファに横になった。

「すまないな。……少し、休ませてくれ」

「部屋にいきますか?」

「……いい。少しだけ……寝かせてくれ。そうしたら……また……」

 心地のいい酔いだったのか、横になった途端、声が途切れた。

 少しすると、小さな寝息も聞こえてきた。

 健は、足元に置いてある空の瓶と、自分のグラスを見渡して肩をすくめた。

“また……何か言われそうだな”

 結構な酒豪だったはずのはじめまでがダウンするとは思わなかった。

 これには苦笑するしかない。

 隆宏たちに、化け物だと言われたのを思い出す。

 立花にはアルコールを知っているか? などと呆れられた。

 ついこの間まで無菌室に閉じ込められていた上に、禁酒禁煙だったことも、その後に量を減らされていたことも反動になってしまっていたのかもしれない。

 タバコはそれほど必要としなくなったが、酒は……かえって増えたか……。

 彼は音も静かに席を立つと、自分の部屋から毛布を持ってきて、はじめの体にかけた。

 それから席に戻り、ほう一つ持ってきた本を広げた。


 

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