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 レースのカーテンの片方を開く。

 健は意識的に、ガラスに映る室内のはじめからすら視線を逸らし、言った。

「オレは……物心がついた頃から彼らのリーダー……頂点である教育をされてきました。今日まで、そんなオレに彼らは無条件でついてきてくれた。もう、誰にも絆をきることはできない。……させない……つもりでした」

 無意識に彼の右手があがり、もう片方のカーテンを掴んだ。

 窓に額を押し当てる。

「オレの人生のすべてが彼らにあったんだ。……離れたくない。……生きていたいよ。……けれど、現実は容赦してくれません。このままでは……間に合わない……」

「……健……さん?」

 小さく、彼の肩が震えていた。

 呼び掛けが届かなかったのか、独り言のような呟きが続く。

「彼らとともに……なんて、考えてはいけないのにね。……わかっているんだ。……わかっていたはずなのに……オレが……マモルを、彼の思いを変えてしまった……」

 言葉とともに、彼の長い吐息が聞こえたが、あるいは、はじめには嗚咽のようにも聞こえたかもしれない。

 思わず腰があがる。

 同時に、健は窓を開けた。

 外気が僅かな風となって部屋に入り込む。

 髪を揺らしながら、彼は空を見上げた。

「彼は……」

 遥か上空に見えるのは、未来の都会では決して見ることがない星の瞬きだ。

 健の声は、まるでその星ぼしに吸い込まれるように響いた。

「オレの最期を受け止める。……オレのあとを継いでくれると……言った。……嬉しかったんだ。最初は本当に嬉しかった。それならば、オレは彼のためになにかを残そうと思った。オレに何ができるだろう。彼に残せるものは……」

 ゆっくりと、力なく健の頭が下に向いた。

「……なにか……違っていたんだ」

 片手で顔を覆う。

 彼の呟きは、弱く、嗚咽のように震えながら手の隙間から洩れた。

「オレのために……強くなろうとしているなんて……おかしいじゃないか」

 小さく震える肩口を見つめ、はじめはため息をついた。

 頼りなく、弱々しい大将の華奢な背中に呆れていたのか、それとも、彼の中に漂う、もっと別の思いを感じたか……。

「健さん」

 はじめはソファの肘掛けに手をついて、彼の背中に呼び掛けた。

「君の弱さはそれじゃないのか?」

「……?」

 振り返る彼に、はじめは呆れはてたというように言った。

「本当に情けない。……私はな、じれったく感じていた。万里村くんにしても黒沢くんや宮本さんも、君のことをバカにしているようにしか見えない。それでいて、責任だけを君に押し付けているとしか思えないんだよ。だが、それはあの人たちがしているわけじゃないみたいだな。君が弱いんだ」

「……」

 弱いのは自覚している。

 健は、辛そうに目を逸らした。

「どうして藤下さんのためになにかを残そうとするのかが理解できないんだ。なぜ、自分のためにやり遂げようとしない?」

「……自分の……ため?」

「生きていたいと言ったな?」

「……ええ……」

「ならば、なぜ自分の死を前提にしているんだ?」

 囁くような問いかけに、健は口ごもった。

「それは……」

「君が迷っているだけじゃないか。死後の用意をしている君だから護さんは君を見限った……そうじゃないのかね? 君の代わりに大将になろうと考えているんじゃないのか?」

「違う……。それは……違う」

「ほう。なにを根拠に断言する?」

 挑発……か。

 健から、直前までの弱々しさが一瞬にして消えた。

 が、代わりに冷たく睨み返したその視線もまた、一瞬浮かんだだけだった。

 はじめの耳に、小さな含み笑いが聞こえた。

 窓を開けたまま、健がソファに戻る。

 はじめのグラスに冷酒を注いで、背もたれに頭を乗せた。

「オレたちの話を……聞いてもらいましょう」

「君たちの? 藤下さんのではなかったか?」

「あなたは誤解しているんだ。ならば、オレたちのことも話さなければ納得はしてくれない。……あなたの生きざまをマモルに教えてあげてほしい。……そのための話を、です」

「引き受けるかどうかの判断は私次第、だったな。やっと本題に入ってもらえるわけだ」

 はじめも、お返し都ばかりに手掴みでグラスに氷をいれて、ウイスキーのボトルを健のほうに注いだ。

 それを取り上げて、一息で飲み干す。

「……さすがだな」

 飲みっぷりに感心したらしい。

 空になったグラスをテーブルに置くことなく、手のなかで氷を揺らしながら、彼はポツリと言った。

「仲間は全部で……八人……います」

 人数を言い淀んだのは、まだ、志乃を仲間として断言していいものかどうかに迷ったからだった。

「二年ほど前に初めて顔を合わせるまで、本当ならば仲間同士で会うことを許されていませんでした。……オレを育てていた人は、他の仲間の教育者とは育て方が違っていたんです。オレだけはリーダーに……大将になるような教育をされていた。……ひとつだけ、役目を与えられていたんです」

「役目? とは?」

「彼らの居場所をつくること」

 弱い微笑みが、口元を緩めた。

「もっとも、具体的に教えられていたわけではありませんが。どういう意味で居場所が必要なのか……ずっとわからなかった」

「今は?」

 はじめがボトルを取り上げた。

 遠慮もなく、健がグラスをテーブルに置く。

 琥珀色の液体が注ぎ入れられるグラスを見つめ、彼は力なく頷いた。

「なんとなく、でしょうか。理解はできた。……けれど、未だに自信がない」

 そのグラスも、まるでジュースを飲み干すように、あっという間に健の中に入っていく。

 はじめもまた、それに合わせるように自分のグラスを空けた。

「あなたが言うとおり、弱いことも情けないことも自覚しているんです。けれど……彼らにはそんなことは問題じゃなかったらしい。どんなに頼りなくても、彼らに必要だったのはリーダー……大将というオレではなく、オレという存在そのものだったんだ。だからこそ……」

 不意に、言葉が途切れた。

 自然と表情が沈んでいく。

 しばらくして、彼はまた重く、口を開いた。

「ミノルには、致命的な欠陥があるんです」

 唐突な言葉に、はじめが眉を寄せる。

「欠陥? ……欠点ではなく、か?」

 はじめから見れば、実の態度は単なるわがまま、他人を振り回す欠点としか思えなかった。

 それを、健は怒るどころか許しているようにしかみえなかったのである。

「欠陥、なんです。彼は……普通の人間としては生きていけない」

「やはり何かの病かね?」

 健の首が横に振られた。

「彼の中には、他人の感情が入り込んでいます。人が多ければ……いくつもの感情があれば、それだけのものが彼の中に入り込む……」

「? よく、わからないんだが?」

「多分、誰にも理解できないでしょう。オレにも実感がない。ただわかるのは、彼のためには……オレは自分の感情を表すわけにいかなくなった、ということなんだ。彼らをまとめる立場として、何事においても動揺することができなくなった。……少なくとも、彼の前では、ね」

 言いながら、またグラスを煽る。

「……病気と言われたときも、絶望するわけにはいかなかったんです。……死ぬことよりも、彼らと別れることのほうが怖いですよ。けれど、それすら見せるわけにはいかなかった。……一緒にいたい……死ぬのなら彼らを道連れに……なんて、本音は勝手なものですよ。……その思いを排除しなければならなかった」

「なぜ、だね?」

 愚問だとわかっていながら問いかけたはじめから目を逸らす。

 その瞳から、初めて涙が流れた。

「彼らのためだ。……道連れと彼らの生と。……どちらを選ぶかなんて、愚かな選択じゃないですか。彼らの命は彼らのものだ。オレが奪っていいものじゃない」

 グラスを持ったまま、健は自分の胸を抑えた。

 まるで、そうすることで飛び出しかねない叫びを止めているかのように。

 僅かに上体が屈む。

「オレの病気のことを知ったとき……マモルは冷静に受け止めてくれた。……そう、思っていたんだ。ミノルが死ぬわけじゃない。オレの命なんて……どうなろうと関心がない……そうであってほしかったのに……」

「違うのか?」

と、聞いたものの、確かに先程、健は護が自分に関心を移したと言ったではないか。

 はじめの声が聞こえなかったのか、ひ弱に見える肩口が小刻みに震えていた。

「……最初は、本当に……嬉しかった。……でも……違うんだ……」

 胸を抑えた手の力が、少しずつ強くなる。

 涙が、それに押されるように溢れるのを、健は止められなかった。

「ミノルのため……でいてほしかったのに……たったひとつの……ためだけに……自分の全てをかける……オレのためであっては……ダメなんだ……」

 その呟きとともに、健の瞳がはじめを捉えた。

 憎悪にも似た、射るような視線だった。

「あなたなんかに……頼まなければ……なにもできない。……自分が……情けない……」

 健の、隠しもしない冷たい視線を平然と受け止めていたはじめは、小さく舌打ちするといきなり立ち上がった。

 黙って向かったのはこのリビングの隅で、そこから脇差しを取り上げると抜きざまに健に向けた。

「ここで斬り殺されたいか? それとも外に行くか?」

「はじめ……さん?」

 問いかける間もなく、刀が横ざまに健の目の前を掠めた。

 思わず、ソファから窓のほうに飛び下がった健の手からグラスが落ちる。

 はじめは尚も、ソファの背後から回り込むように健を外に追い出した。

 僅かに風が吹き抜ける中、はじめは一度、刀を鞘に収め、腰を屈めた。

「はじめさん……なにを……」

「うんざりなんだよ。くだらない」

 居合いというものを、健は知らない。

 だから、たとえ脇差しだったとはいえ、モーションもなく抜かれた刀が振られたとき、本当ならば健はこの場で殺されていただろう。

 が、やはりこの場合、健の底力のほうが勝っていたのかもしれない。

 無意識に後ろに飛び下がった彼に合わせるように、刀の突きが迫る。

 容赦のない攻撃を辛うじてよけながら、

「やめて……ください」

と言った。

 当然、そんなことでやめるわけがない。

「それはこっちのせりふだ」

 避けることしかしない健に、また刀が掠めた。

「こんなところに足止めをして……結局、君は私を憎んでいる。自分の非力を私のせいにしているだけじゃないか。勝手なことを押し付けるな。……私の腕を試そうとしていたんだろう。他人に頼むな。君が相手になればいい。そんなに憎いのなら私を殺せ」

 最後の一言とともに、はじめはまた健の懐に迫った。

 休む暇のない攻撃は、確実に本気だ。

 健は、それでもかわすだけで逃げていたが、きりがないと思ったとき、ようやく攻撃に転じた。

 斜めに降り下ろされた手首を掴みざまに、外側に回り込む。

 そのまま足を払った。

 同時に、手のひらを思いきりはじめの胸に押し当てる。

 必要以上に大きな音を立てて、はじめが仰向けに倒れた。

「……お願いだ。……やめてください」

 かわして、抑える。

 健は、それ以上の攻撃をしなかった。

「嘘ではなかったのだな」

 掴まれたはじめの腕の力が抜けた。

「……は?」

「脇差しとはいえ手を抜いたつもりはなかったのだが……それを抑えるとは……」

「……はじめさん……?」

 彼は、胸を抑えている健の腕を押しやると、勢いをつけて上体を起こした。

 腰から鞘を抜いて、刀を納める。

「それほどぬるい攻撃だったか?」

 そう尋ねたのは、あれだけ逃げ回っていたにも関わらず、健が息ひとつ乱していなかったからだ。

「すみません……」

「すべてかわされるとは……まいった」

 苦笑するしかなかったらしい。

 だが、これで幾分か話しやすくなったと、はじめは言った。

「君の頼みを引き受けよう。……ただし、条件がある。あの人たちのためという思いは捨てろ。自分のために生きるんだ」

「……」

 返事のない健の表情がまた曇る。

 だが、それがどことなく困惑に見えるのは、はじめの気のせいか?

 彼は思いきり背を伸ばした。

「気丈に振る舞うのはさぞ疲れるのだろうな。常に平静でいなければならないとは……同情する。だがな、溜めるばかりでは辛いぞ。特に……黒沢さんを抑えるのは苦労するだろう?」

「……慣れました」

「黒沢さんたちは君をバカにしていると思ったが……どうもそうではないらしいな。君がいるからあの人たちは自由に振る舞える、ということか。それは恐らく、君の財産だ。……さて」

 勢いをつけて立ち上がると、はじめは空を見上げた。

「飲み直すか。君の話を肴にな。……少しは落ち着いただろう?」

 つまり、はじめなりに健を発散させたということか。

 その証拠に、健もまた腰を上げながら彼に微笑むことができた。

「疲れていませんか?」

「ああ。疲れているよ。君の言葉遣いにね。堅苦しいと言ったはずだが?」







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