レット39 七彩獣
ティルシャの体が、ありえない速度で大きくなってゆく。
猫ほどの大きさだったティルシャが猪ほどの大きさになり、牛ほどの大きさになったがまだ止まらない。
レットはイルナを抱きしめ、巨大化するティルシャを呆然として眺めていた。
見上げるほどに大きくなったところで、ようやくティルシャの成長が止まったかと思うと、尾がぶわっと広がった。
部屋の中に銀色の羽根が舞い散る。と同時に、きらきらと虹色に光る粉が空気中に広がる。
「は、羽根……? 羽根が舞ってる」
レットはなにが起こっているのか理解できず、瞬きを繰り返す。
ティルシャは白豆栗鼠だ。栗鼠に羽根は生えてない――はずだ。
「し、七彩獣……!?」
大公の、掠れた声が耳に入ってきた。
「七彩獣?」
レットはティルシャの姿をよくよく見てみる。
大きさ以外は、小さい時とほとんど変わらない。
白銀色の毛に、くりりと大きな黒い瞳、耳は小さく、手足も小さいが尾は体の小ささの割に大きくふさふさしていた覚えがある。
今、その尾だけが以前と大きく異なっている。
小さい頃のふさふさとしていた尾は、確かに獣の尾だった。
けれど今、その尾は鳥の尾羽のようになっていた。虹色の粉は、どうやらその尾翼の羽根についているようだ。
七彩獣ナルヴィア。両翼と大きな尾翼をもつ、虹色の獣。
「ティルシャが、七彩獣……?」
レットの腕の中で、イルナが呟く。
「なにか知ってるか?」
「知らないよ。白豆栗鼠が大きくなることも、このあいだまで知らなかったもの」
「大戦以前には三大陸に多く生存していたと言われている七彩獣。しかし生まれるのは聖女の地と呼ばれるニール村でのみ、と伝えられています」
トーリオが、落ち着いた口調で説明する。
「今の世にも、存在していたのか……」
「本来の姿のものはいないでしょう。皆管理され、監視されていますから」
「エウラルト王国によって、か」
「然様です。しかしそんな時代ももうすぐ終わります。これからは七彩獣が自由に空を飛び、風海と水海を行き来する時代がくるのです。我々の技術で、水海へ行って戻ってくることはできない。かつて我々の世界へ運び込まれた水海の世界の品々は、七彩獣が運んできたものだったのです」
「昨日の貝も、か」
「ええ。ご明察です」
「……おまえはいったいなにを知っていて、どこまで計算しているんだ。恐ろしい男だ」
「サメディさまはわたしを買いかぶりすぎですよ。わたしはそんな大層な者ではありません」
「だが、風海と水海を行き来できるとなったら、今までとは比べ物にならぬくらい貿易が盛んになるだろう。エウラルト王国がその鍵を握っていると、私は知ってしまったぞ。現国王が玉座にあれば実現しない未来だが、新王が立てばその限りではないと」
「真視の結果が、全てでございましょう」
トーリオが、全てわかっていたとでもいうように、あっさりと告げる。
「でも、ティルシャの毛は白色だし、その背には翼がない。これじゃあ七彩獣とはいえないんじゃあ……」
「七彩獣も本来の毛皮は白なんだ。だが尾翼から撒き散らされる虹粉によって虹色の毛並みをもつ獣に見えたんだろう。そして白豆栗鼠には確かに翼はないが、前脚から後ろ脚にかけて飛膜をもっている。それを広げた姿が、翼に見えたんだろうね。そしてそのまま伝承となったんだ。飛膜だけでは滑空できるだけで自由に飛ぶことまではできないだろうが、大きな尾翼をもつことによって上昇の動きも可能だ。しかも、移動速度は船の何倍も速い」
そこまで聞いて、レットはごくりと唾を呑んだ。
まさか、まさかそんなところまでトーリオは考えていたのか?
そんな疑問を肯定するように、トーリオは口を開く。
「サメディさま、できれば親書の用意を急いでいただけませんか。完成し次第、息子とイルナ嬢にその親書を持たせてエウラルトへ行かせます。もちろん、ティルシャの背を借りることになるでしょうが」
「そんなことが、可能なのか……?」
レットはぎょっとして、トーリオに聞き返していた。
「可能かどうかではなく、実行しなければならないんだよ。一刻も早くフェイレの元へ届けなける必要があるのだからね」
「……大公である私を急かすとはいい度胸だ。しかしこれほど度肝を抜く見世物を用意してもらったのだから、できるだけ希望には添わんとな。わかった。しばし待て。すぐ用意する」
大公は呆れたように言い残し、今度こそ部屋を出て行った。
「イルナ嬢、頼めるかね?」
「父さん、あなたはどこまで恥知らずなんだ! やめてくれよ。これだけさせておいて、まだイルナに頼るつもりなのか? しかもこんな卑怯なやり方をするなんて! 知っていたなら、最初から話してくれていればよかったんだ。その上でイルナに協力を頼めばいい。それにティルシャが七彩獣なんだったら、イルナが真視をする必要はなかったんじゃないのか?」
「僕は言ったはずだよ。フェイレのためにできることはなんだってやる、と。それに、最後の真視なくしてティルシャの七彩獣化は成らなかった。何故なら、契約主であるイルナが聖女の能力を失うことで、ティルシャの拘束が解かれるからだ。契約が解かれない限り、どれだけ大きく成長しようとも、白豆栗鼠は白豆栗鼠のままなんだからね」
「父さん……」
レットも恐ろしくなる。
この父親は、いったいどこまで見通して、なにを画策しているのか。
もしかしたら、トーリオは真視の能力などなくても、未来を見通すことができるんじゃないのか。そんな疑念が湧いてくる。
「ここまできて間に合わなかった、じゃあ本当に無駄足になってしまう。わたし、やります」
レットの腕の中から抜け出して、イルナがきっぱりと了承の意を示した。
「イルナ? でも、もう目が見えないんじゃあ……」
「見えなくても、ティルシャが一緒ならきっと平気よ。それにレットも一緒に行ってくれるでしょ?」
そう言うイルナの表情は、まるで憑き物が落ちたあとのように、すっきりして見えた。聖女の能力と、視力を失ったというのに、だ。
「それは……イルナが行くのなら、俺はどこへだって一緒に行くけど……」
「決まりね。ティルシャ、あともう少しだけ、わたしを助けてくれる?」
イルナがティルシャの方へと手を伸ばす。ティルシャまではまだ少し距離があったので、レットがそっとその手を取り、ティルシャへ導く。
イルナに胴を撫でられて、ティルシャはクン、と鼻を鳴らした。
その様子から、どうやら助けてくれるつもりらしいとわかる。
「ありがとう、ティルシャ」
イルナがその胴に抱きつくと、ティルシャは嬉しそうに鼻をひくひくとさせた。




