レット38 最後の真視
翌朝は、日の出よりも早く目が覚めた。
なかなか寝つけず、明け方近くになってうとうとし始めたところまでは覚えている。
窓を開けると、朝の冷たい空気が部屋の中に流れ込んできた。
二度寝をしたいとも思わない。
レットは手早く身だしなみを整えて、部屋を出た。
あのあと、イルナとはあまりしゃべらなかった。ふたりで少しだけ庭園を散歩してから、すぐにそれぞれの部屋へ戻ったのだ。
イルナは寝られただろうか。
そう思ってイルナの部屋へ視線をやり、その扉がほんのわずかに開いていることに気づく。
「イルナ……?」
嫌な感じがした。
足早に扉へ近づき名を呼びかけるが、返事はない。
もう一度声をかけて、戻ってくる声がないことを確認してから「入るよ」と言って扉を押した。
ゆっくりと扉が開いて行く。部屋の中は、空っぽだった。
開け放たれた窓から風が吹き抜けて行く。
整えられた寝台が、ぽつんとそこにあった。
ティルシャも、もちろんいない。
さあっと血の気が引く。
イルナは行ってしまった。きっと、昨日のうちから、こうするつもりだったに違いない。みんなが起きる前に、全てを終わらせてしまうつもりなのだ。
レットは踵を返し、部屋を飛び出した。廊下を遠慮なく走る。
昨日大公と謁見した部屋の位置を思い出しながら、城内を駆け抜けた。途中、女官らから声をかけられたが、立ち止まるつもりなどさらさらなかった。
大きな扉が目に入る。迷わずにたどり着けた。
扉の両脇に警備の者がいたけれど、レットの顔を見て引き止めるべきかどうか迷ったようだった。
その隙をついて、片側の扉を力いっぱい押す。
扉は、思ったよりも簡単に開いた。
部屋の奥に、大公の姿がある。
早朝だというのに、整えられた服装を見て、やはり事前に連絡を取っていたのだとわかる。
そしてその手前大公の足もとに跪くイルナの姿があった。
「イルナッ!!」
駆け寄ろうとしたレットは、その手前でぐいと腕を掴まれた。
「父さん!」
見るとトーリオが険しい表情で立っていた。
「無礼だぞ」
「無礼とか、そんなっ、そんなことを言っている場合じゃあっ――」
掴まれた腕を振り払おうとした時、パアン、と強い力で頬を張られた。口の中に血の味が広がる。
「なにするんだ!」
「静かにしろ。たった今、終わったところだ」
「終わっ……た……?」
真視が終わっただって?
レットは言葉を失い、イルナを凝視した。
昨夜の、イルナの哀しそうな笑顔が脳裏に甦る。
わかっていた。あんなの夢物語だって。
レットがなんと言おうと、イルナはこうしただろう。レットもイルナも、わかっていたのだ。
「我がニイエル公国の将来は安泰のようだ。エウラルト王国と共に栄えるだろうとの結果だ」
「それはようございました。安堵いたしました」
「急ぎ簡単な書面を用意しよう。詳しいことは新王が即位してからの話になるが……」
「ありがとうございます」
トーリオが膝をつき、深く礼をする。
レットも引きずられるように、絨毯の上に膝を落とした。
「息子の無礼は、父親のわたしが代わりに謝罪いたします。どうかご容赦のほどを」
「よい。邪魔をされたわけでもないしな。書き上げた物は後ほど部屋に届けさせる。早くフェイレどのに持っていってやることだ」
それだけ言うと、ちらりとイルナに視線を落とした。
「ご苦労だった」
「ありがとうございます」
イルナが全部言い終える前に、大公は席を立っていた。そのまま侍従を引き連れ、謁見の間を出て行こうとする。
突如、甲高い悲鳴のような音が部屋の中に響き渡った。
驚いてみな周囲を見渡し、音の出所を探る。それはすぐにわかった。ティルシャだ。
「どうしたの、ティルシャ」
イルナの隣に控えるようにして座っていたティルシャが、体を震わせながら鳴いているのだった。
「何事だっ」
侍従が素早く大公の身を守るように前へ出る。
「ティルシャ、ティルシャ? どうしたの? 落ち着いて」
イルナの声も、聞こえていないようだった。
その時、ティルシャの体が淡く月光を浴びたように淡く光っていることにレットは気づいた。
危険だ。
直感でそう思った。
トーリオの手の力は既に緩んでいる。レットはするりと腕を抜き、駆け出した。
「イルナ、離れろ!」
イルナを抱きかかえ横っ飛びに移動するのと、ティルシャの鳴き声が更に大きくなるのはほぼ同時だった。




