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レット37 月下の四阿

 澄み渡った大気の向こうに、丸い月がぽかりと浮いている。


 レットは大きな蒼い月を見上げながら、城内の庭園をひとりでぼんやりと歩いていた。

 明日、イルナは決断を大公に伝える。

 イルナは大公の出した条件をのむだろう。もともと、ホークのために真視の能力を使いたいと言って村を出て来たのだから。


 フェイレのためにできることをしたい。その気持ちはトーリオと同じはずなのに、レットはどうしてもそれに賛成できないでいた。


 イルナと旅をして、初めて見るものひとつひとつに感動し、喜んでいるイルナの姿を見てしまったから。


 能力を使い果たしてしまえば、銀水は不要になる。

 けれどティルシャの視界を共有することはできなくなり、イルナは外の世界を見ることができなくなってしまうのだ。


 それは余りにも酷なことに思えた。


 大公にその条件だけは勘弁してもらえないだろうか。

 イルナが犠牲にならなくても、なにか他の手段はないだろうか。フェイレなら、ニイエル公国の後ろ盾がなくても大丈夫なんじゃないだろうか。


 結論の出ないままぐるぐると考える。


「あっ!」


 上ばかり見ていたので、段差につまずく。二、三歩前にふらついて、なんとか立ち止まった。

 ほっと息を吐いてふと前を見ると、四阿に人の姿を見つけた。


 イルナだ。


 ひとりでぽつんと座っているイルナもまたティルシャと一緒に空を見上げていて、レットには気づいていないようだった。


 レットは、ゆっくり四阿へと足を進めた。


 最初に気づいたのは、ティルシャだった。その耳がぴくりと動き、こちらを見たので、つられてイルナもレットを見る。


 イルナが逃げる素振りを見せないことにほっとして、レットは更に近寄った。


「いいかな?」


 躊躇いがちに訊くと、イルナはこくりとうなずいた。

 二脚あるうちの空いている方にそっと腰掛ける。

 どちらも声を発さないので、夜の静けさに呑みこまれてしまいそうになる。


 イルナは無言のまま、膝の上のティルシャの背を撫でている。  


「あのさ……本当に、いいのか?」

「いいのよ」


 はっきりと、イルナが言い切る。


「もっと、色々なものを見たくはない? 俺、船に乗って、どこまでも行きたいって言っただろ? でも……あれは、俺だけじゃ駄目なんだ」

「え?」


「気づいたんだ。商人になる。水海にだって行く。俺はそう言ったけど……その未来を想像したとき、俺の隣にはイルナも一緒にいた。イルナと一緒に、世界中の色々なところに行きたいんだ。銀水をたくさん持っていけば、どこへだって行けるだろ? 一緒に、初めての場所へたくさん行きたい。同じものを見て感動して、同じものを見て笑って、同じものを見て……」

「素敵だね」


 イルナが顔を上げた。今にも泣き出しそうな、そんな笑顔だった。


「だろ? だから……」

「水海はどんなところかな? 風海には水が張っていないけれど、水海は底までぎっしり水が詰まっているって本当? 貝や、魚や、色々な生き物が棲んでいるんでしょう? その様子を見ることはできるかな?」


 レットの言葉を遮り、イルナが話し始める。


「できるよ。一緒に水海の中を見てみよう。きっと想像できないような世界がそこにはあるよ」


 レットは必死に言葉を紡ぐ。どうしても、イルナの気持ちを繋ぎとめたかった。


「水海から見た風海は、どんな風なんだと思う? わたしたちの住むこの大陸も見えるのかな?」

「行ってみなくちゃ、わからないだろ」

「そうだね。行ってみなくちゃ、わからないよね。わたしと、レットと、ティルシャと、みんな一緒に行かなくちゃ」


 イルナの目から、涙が零れ出した。とめどなく溢れる涙が、ティルシャに降り注ぐ。


「すごい船を用意するよ。きちんと自分で稼いだ金で。だからちょっと時間はかかるけど、多少の嵐じゃあびくともしないような船を作る」

「長旅も安心だね」

「そうなんだ。一面に広がる雲海はすごくきれいだし、夜は甲板に寝転がって星空を眺めるのもいい」

「今日みたいに大きな月が見られるかな?」

「もっと大きな月を見ることだってできるさ」


 声が掠れた。じわりと、レットの視界が揺れる。咄嗟に、月を見る振りをして空を仰いだ。

 言葉を重ねれば重ねるほど哀しくなるのは何故だろう。


 月が眩しい。

 ああ、月が眩しすぎるから、涙が出るのかもしれないな。


 そんなことを考える。

 沈黙が落ちる。


「――本当に、連れて行ってくれるの?」


 少しの間をおいて、イルナが小さな声で問い掛けた。

 レットはゆっくりと顔を戻して、イルナを見ると破顔した。


「もちろんだよ」

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