フェイレ1 王弟の進軍
「帝国軍が旧トリヴァース帝国領に上陸しました」
「いよいよ、か……」
各地に潜入している仲間のひとりからもたらされた報を受け、フェイレは眉間に皺を寄せた。
フェイレたちは今、ザックの街のとある空き家の地下に造られた、アーキュナスの隠れ家のうちのひとつに身を潜めていた。
ザックの街の地下には、密かに作られた通路が網の目のように広がっている。それらは長い時間をかけて整備してきたものだ。
ザックの街に協力者は多いここにいる限り、アーキュナスが壊滅することはまずないだろうと思われた。
内通者が存在していなければ、の話だが。
教会を爆破したフェイレたちは、その混乱に乗じて祭壇の下に作られていた地下空間へ逃れ、そこから更に坑道を使って脱出したのだ。
地下空間への入り口は瓦礫が塞いでくれたことだろう。
移動しながら、更に坑道を閉鎖しながら移動してきたから、例え出入り口の瓦礫が取り除かれたとしても、坑道を使っての追尾は無理だ。
「王弟の軍は?」
「ラフル山脈の麓から旧街道を進んでいます。今日中には旧トリヴァース帝国領に入るでしょう。トリヴァース帝国軍は左沿岸、ツァグァリ港跡からラフル山脈を迂回するように右へと軍を進めているようです。また港に停泊していた軍艦も、移動を開始したようです」
大陸を左右に遮断するようにそびえるラフル山脈。
その左側は特に険しい地形が続き、とても軍が進めるような地形ではない。
自然、両軍は右側の進路を取るしか手がないということになる。
だがさすがに右岸はエウラルト王国軍が目を光らせているため、トリヴァース帝国軍もそちらからは上陸できなかったのだろう。
カティ王子が亡くなった今、王太后の血をひく者は現国王と王弟ホセ、王妹エリザとその子――ホーマスしか残っていない。
フェイレを除いては。
現国王は今や王宮で権力をほしいままにしている宰相の傀儡と成り果てているという。殺さずとも不都合はないはずだ。
今、最もその命を狙われる可能性が高いのは、王位継承権第一位の王弟ホセ。そのホセが、今、軍を率いて戦場へ赴いている。
戦場とは、なにが起きてもおかしくない場所だ。
「ヒュム」とフェイレは傍らに待機していた仲間を呼んだ。
「はいっ」
「エウラルト王国軍に紛れ込み、王弟の周囲に目を光らせておいてくれ。今ホセに何かあれば、次に出てくるのはおそらく王妹エリザの夫であり大臣のひとりでもあるオラディムだろう。オラディムの息子ホーマスはまだ五歳。ホーマス即位となれば、オラディムは今以上に国政に深く関わることができる。オラディムと宰相との間に深い関係があるとも言われている。狙われるとしたらホセの可能性が高い」
「うっわ、うっわ。了解ですっ。俺、なんとしてもでかい証拠を入手してきますっ」
「頼む。おそらく両軍が激突するのは旧トリヴァース領デザナ平原。それまでに暗殺が起こるとすれば、それはエウラルト王国領を出てすぐだろう。――場所は恐らくアルフォ峠付近」
「アルフォ峠……」
ヒュムは頭の中で地理を思い出しているようだった。
「あ、じゃあ、誰かと一緒に行きなよぉ。ヒュムひとりじゃあなにかあった時に連絡もままならないでしょー?」
隅で吹き筒の掃除をしていたキャノアが言う。
「いや、大丈夫だろう。軍には先に潜入している仲間がいる。彼らと接触すれば状況もわかるだろう。もちろん、暗殺を防ぐことができると判断したら、行動してくれて構わない。阻止できるということはつまりミアが視た未来ではないということだがな。ヒュム、やれるか?」
「もちろんですよ! 楽勝です」
ヒュムはどん、と自分の胸を叩くと、ぴしっと敬礼の真似事をする。
しかしキャノアはすごく心配そうな顔でヒュムを見ている。
キャノアはリナシェイクと幼なじみであるように、自分より二つほど年下のヒュムのことも小さい頃から知っていて、弟のように可愛がっている。
「ヒュムだってもう成人してんだ。いい加減一人前扱いしてやれよ」
長椅子の上で横になっていたリナシェイクが大きくあくびをしてから面倒くさそうに片目を開けた。
「それはそうなんだけどぉ。やっぱり心配なのよねぇ」
一見、まだ子どもで通用するほど小柄なキャノアからこんなにも心配されるようじゃあ、ヒュムも立つ瀬がないだろう。
「信じてやるのも大事なことだ。じゃあ、頼むぞ、ヒュム」
「はいっ」
ヒュムは力強い返事をすると、リナシェイク、キャノアに目で挨拶をして、踵を返した。
ここから旧街道までは馬を飛ばせば半日。
雲が濃いから視界があまり利かないだろうが、特に悪路というわけではないからなんとかなるだろう。
それよりも問題は他にあった。
フェイレはちらりとキャノアの様子を盗み見ると、誰にもわからない程度に小さく息を吐いた。




