レット30 母の知る真実
「――まあ。本当に大変だったのね」
ローリアが用意した茶を飲みながら、レットはこれまでにあったことを掻い摘んで話した。その感想が、これだ。
「だからそう言ったじゃないか」
なにを今更、とレットが呆れながら言うと、ローリアがうーん、となにかを考えるように、天井を見上げた。
「それで、結局、まだ追われているの?」
「たぶん。フェイレたちの足止めが成功していれば、多少は時間が稼げるかもしれないけど、それも時間の問題だと思う」
「だから、ニイエル公国へ逃げると?」
「……まだ、迷ってる」
レットは素直に白状した。
「あら、何故?」
「理由は沢山あるけど……」
「わたしのことなら気にしないで。わたし、村へ戻るわ」
突如、イルナが告げた言葉に、レットは驚いて目を丸くした。
「え? で、でも……」
「ごめんなさい、レット。わたし、あなたを利用したの。見たことのない世界をこの目で見てみたかっただけなの。ホークさまのことも、最初から本当に見つかるなんて思ってなかった。本当に、ごめんなさい」
イルナの告白に、レットはごくりと唾を飲んだ。
うつむいたイルナの頬を、透明な雫が伝って床にぽたりと落ちる。
ごめんなさい、とイルナが繰り返す。
「イルナ……」
突然のことに、レットは戸惑い言葉を探す。
利用した、とはっきり言われたことに、レットの胸がちくりと痛む。
――そんなこと、わかっていたのに。
「イルナ、俺はそれでも嬉しかったんだ」
「え?」
「誰もがホークは死んだ諦めろって言う中、君だけが一緒にホークを探すって言ってくれた。それが、すごく嬉しかった」
「でも、わたしはもしホークさまが生きていなくても、それは仕方がないことだって、そう思ってたわ」
「それは……それは、俺も同じだったんだ」
レットは目を閉じて、白状した。
「同じって……」
「俺だって、ホークは生きているって無邪気に信じてたわけじゃない。生きててほしいと思った。でも、そうでない可能性が高いことだって、もちろんわかってた。それでも、俺はホークを探しに行かずにはいられなかった」
「探しに行かずにはいられないほど、気にかけていたんでしょう?」
違う、とレットは左右に首を振る。
「俺は、ただ、迷っていただけなんだ。商人にはむいていないかもしれない。でも、船で旅をするのが好きで、行く先々でめずらしい物やいい物を見つけたらそれを買いつけるのも楽しくて、船でどこまでも行ってみたいと思ってた。俺はもう十七歳で、来年には成人する。将来について、決めなければならない。それなのに俺はどれだけ考えても決められなかった。どうしても夢が諦められなくて、でもむいていないとわかっているのに商人になるとは言えなくて、失敗したらと思うと尻ごみする自分がいて……」
「レット……」
「俺は、ホークを利用したんだ。時間稼ぎの言い訳に」
話し終え、レットは唇を強く噛んだ。自分の不甲斐なさに腹が立つ。
しん、と部屋に沈黙が落ちる。
カチャ、とローリアがテーブルにカップを置く音が、小さく聞こえる。
「まあまあ、あなた、そんなことに悩んでいたの?」
ローリエが「困った子ねえ」と呟きながら、ふうっと息を吐く。
「そんなことって、俺は……」
「誰が継ぐとか、そんなことどうでもいいじゃない。自然とどうにかなるものよ」
「え……?」
「え? じゃないでしょう。わたし、ちゃんと覚えているわよ。小さい頃、あなた言ったじゃない。『俺は風海だけじゃなく、水海だって船で進むんだ』って。覚えているかしら?」
「覚えてる、けど……」
「それで、わたしに約束してくれたわよね。水海でめずらしいものを沢山仕入れてきて、母様にあげる、って」
確かに身に覚えがある。けれどそれはまだ世の中のことなど何もわかっていなかった五歳とか六歳とか、そのくらいの話だ。
もう、十年以上前のこと。
成長するにつれ、さすがに水海に行くとか不可能としか言いようのない大それた夢は恥ずかしいと思うようになり、口にすることはなくなった。
けれどそれを、ローリアは覚えていたのだ。
ローリアだけじゃない、あいつも――。
「母さん」
「なあに?」
レットは椅子に座り直し、ひとつ深呼吸してから切り出した。レットの緊張をわかっているのかいないのか、ローリアはいつもと変わらない暢気な様子で返事をする。
「ホークは、生きてるんだろ?」
「あら、なんのこと?」
「じゃあ、フェイレ・オル・エウラルトって名前に心当たりは?」
「さっき、レットの話に出て来た王子さまよね」
「あいつはホークと同じ顔をしてた。十年前、俺にかけてくれたのと同じ言葉を口にした。フェイレ・オル・エウラルトはホークだ」
「えっ!?」
「イルナ、ずっと言わなくて悪かった。確信がなかったんだ」
驚き混乱しているイルナに詫びる。一方、ローリアは顔色ひとつ変えていない。知らないはずはないのに、だ。
「困ったわね。わたしはレットが会ったフェイレさんを知らないからなんとも言えないけれど、そうね、ホークは確かに、わたしが産んだ子ではないわ。お母様が産後すぐにお亡くなりになったこともあって、マリー様から頼まれたわたしが育てることになったのよ」
「じゃあ……」
「でも、わたしが自分の子として育ててきた子が実はフェイレという名だったとしても、彼が乗った船は沈んだのよ、レット。今、フェイレと名乗っている男が、あなたの兄ホークと同一人物であると、わたしは断言できないわ。残念だけれど」
ローリアの厄介なところは、こういうところだ、とレットは苦虫を噛み潰したような顔になる。
まわりくどい言い回しはレットの苦手とするところだった。
ローリアはホークがフェイレだとは認めていない。
けれど今の会話には多くの情報が含まれていた。
「フェイレは言ったんだ。迷うな、世界に漕ぎ出せ、って」
ローリアの顔が、ふっとほころぶ。
「応援してくれているのね」
そうなんだと思う。レットはこくりとうなずいた。
「そんな……でも、じゃあ、わたし戻らないと。ホークさまが生きているのなら、あの人がホークさまなら、きちんとお礼をして、それで……」
「焦っては駄目よ、イルナさん。それに顔色があまりよくないわ。今にも倒れてしまいそうよ」
「ローリアさま……。でも、わたしにはもうあまり時間がないんです」
「あ、そうだったわ。銀水ね。ちょっと待ってて」
「え、あ、ちょっと母さん!」
「確かあるわよ、銀水。それがあれば、イルナさんは急いで村に帰らなくていいのでしょう?」
レットが呼びかけるけれど聞こえていないのか聞こえないことにしたのか、ローリアは振り返らず部屋を出てゆく。
「銀水がある、って……」
レットはイルナと顔を見合わせた。銀水がここにあるわけがない。
あれはニール村の泉にしか湧き出ないものだと、ミアは言っていた。
けれどもし本当に銀水が手に入るのだとしたら、イルナはどうするのだろうか。
ホークが生きていなくても仕方ない、と言ってはいたけれど、フェイレがホークかもしれないとわかった途端、フェイレのところに戻ると言ったイルナ。
もしイルナが戻るのなら、自分も一緒に行く。
座る時に腰からはずしておいた剣の鞘を掴み、引き寄せる。
自分がすべきことは変わらない。イルナを守る。イルナがどこか安全な場所へ落ち着くことができるまでは、俺が守りきる。
それが全てだった。




