王都と教会1
朝露に濡れた葉が青く地面を覆う。
街道を歩く馬車の白い布の覆いは煤けて茶色く汚れている。その馬車の手綱を持つオレンジの髪の男は軽く溜め息を吐いてからフルフルと首を振った。
王都へと続く門には朝も早いのに何台かの馬車や荷馬車が並び、衛兵により検問を受けている。それの最後尾へと並び、馬車の中を軽く垣間見た。小さく丸まり上下する毛皮の塊と、大の字に寝転びお腹を見せて豪快に眠る黒髪の少女、壁に寄りかかり立膝に座り微動だにしない白銀髪の少女。
「ちょっと覗き見しないでくれる?」
ロディルを睨むように馬車からマザーが顔を出す。手には馬車にある食材のあり合わせで作ったのか、具材が入ったパンを持っている。
一つに纏めて垂らしていた黒髪は何処に持っていたのか飾りの付いた簪で纏められ、その細い首を晒していた。
黒のロングドレスにコルセットという早朝の空に似つかわしくない服装の彼は持っていたパンをロディルに渡す。
「はい、これ。朝ご飯」
長い爪で良く作れるもんだと感心しながら、ロディルは手綱を片手にまとめて受け取った。
「どーも、腹出てるの直してやれよ。あとあれ苦しくねぇのか」
あれ、と顎で指したのは毛皮の塊だ。
マザーは鈴玉の服を直し毛皮をお腹に掛けてやり、チラリと塊を見る。上下する息づかいは定期で苦しくは無さそうだ。
「アンジェラはあれじゃないと寝れないみたいなのよね。えーっとあとどれ位で着くのかしら?起こした方が良い?」
「いや、スチュワート領からの紹介状と保護者様がいりゃ大丈夫だ。それに一台、一台を検問してるんだ。まだしばらく待つさ」
「ああ、そうなの。隣良いかしら?」
ゴソゴソとポーチの中から折り畳まれた紹介状を取り出しながらマザーは返答を聞かずに御者台にいるロディルの横に、よっこいしょと跨いで座る。
その手にはロディルに渡した物と同じパンがあった。
「これ何挟んでるんだ?」
「賽の目に刻んだトマトにオイルと香草混ぜたものと、レタスと塩漬け肉の缶詰解したやつ。まぁ」
むしゃりと一口、彼は口にしてペロリと唇を舐める。肌は白いままだが顔立ちは昨日より派手ではない。顔だけ見たら中性的な美男子といった所だろうか。
「うーん、調味料が無いから微妙なとこだわ」
そういえば、夜中の化粧はお肌の大敵よ!といつの間にか取っていたなとロディルは思いながらパンにかぶり付いた。ジワリと口の中にトマトの酸味と香草の香りが広がる。解れた肉の微かな塩っぱさが後から来た。
「十分、美味いけど」
普段、洞穴でもっと質素な食事しかしていない所為かロディルは三口程でそのパンを食べ切って、もぐもぐと口を動かしながら感想を言う。
マザーはパクパクと小さくパンを噛み切りながら、軽く眉間に皺を寄せた。
「家庭料理としてはねー。王都の中って馬車のまま進める?待ち合わせしてんのよね」
「進めるが、待ち合わせ?何処でだ?」
口元を押さえ、中の物をごくりと飲み込むとマザーは一つ頷く。
「教会で。転居の申請を行いながら待っててって言われてるの。あと大雑把な街の地図が欲しいんだけどそういうの何処で手に入るのかしら」
ロディルは再び両手に手綱を取る。ふと、どうしてこんなにも自然にマザーと会話しているのだろうかと考えて彼に視線を向ける。確かに昨日の夜から時折は会話をしていたが。
もしゃもしゃとレタスを抜きだして食べている所で目が合った。その紫の瞳に銀色がチラチラと覗き、緩く弧を描く。
「街の地図なら教会に簡単な案内図があるぞ。ハンターギルドと解体場とか市場とか、大きな商会なんかはそれに書いてある。酒場やるならそこら辺が必要な感じだろ」
「へぇ、流石王都。色々と凄いのねー。あと家がちゃんとするまでは宿に泊まらないとなんだけど良い宿屋知ってる?」
柔らかい受け答えと、態度と、高くも五月蝿くも低くも無い声色。
成る程、『マザー』か。
「宿屋か、金に糸目付けないなら貴族向けの宿があるからそっちのがちゃんとしてる」
答えながら列の進みに合わせて馬を歩かせる。
衛兵がロディルを見て、手を振った。
そして、マザーの姿を見てビキリと固まった。
「あら?お知り合い?」
「月に一度決まった日に獲物を売り飛ばしにきてるからな、地方都市の運搬担当だと思ってるよ」
マザーは折り畳まれた紙を真っ直ぐになるように手で直しながら、最後の一口をパクリと放り込んだ。
「ロディル、どうした?お前が来る日付はまだ先じゃないのか?今日は上の人がいるから先に行かせたりとかはできねーぜ」
隣にいるマザーの姿を気にしながらも一人の衛兵が検問所から離れて、こそっと話し掛けて来た。
「あー、今回は普通のお客さん。うちの商会の常連さんが王都に向かうってんで、これまでのお礼も兼ねて乗っけて来たんだよ。紹介状もあるし逆に普通に並ばないと駄目な奴だろ」
マザーは軽く首を傾げながら、少しだけ頭を下げる。
慌ててビシっと敬礼をし、衛兵はマザーへと向き直った。
「ようこそ、ハイデバル国王都へ!こちらには定住ですか?商売をやりに?」
「ええ、そうなの。酒場をやっててね、こちらでもお店をやろうと思って。もし来てくれたらサービスするわよ?」
合わせた両手を頬の横に添えて、彼がウインクをすると、衛兵はロディルに真顔になりながら視線を送る。
「そうか、娼館に誘っても全然ノってくれないのはそっちの趣・・・うごっ!」
盛大な勘違いをした衛兵にロディルは横に置いていた一本鞭を振り下ろした。バシリと良い音を立てて衛兵の背中を叩く。
「ふざけんな、低賃金だっていつも言ってんだろ」
「冗談だって・・・前の馬車は今検問してる商人の物だから次ですね。紹介状を用意してお待ち下さい」
「はいはーい」
にこりと微笑みマザーは手を振って彼が検問所へと向かうのを見送った。
がたんと背後で音がし、ぬっと白銀髪の少女が顔を出した。
「マーチ、着いたのか?」
チラリとマザーが娘たちの方を見て、再び腹を出した鈴玉と毛皮の塊が目に入る。
「スヴィトラーナ、まだ休んでなさい。ああ、あと鈴玉のお腹を隠して、ついでにアンジェラの顔だけ毛皮から出してくれる?」
「了解した」