001 或いはそれは洞窟の中(1)
暗闇の中にピタリピタリと音が響いていた。
微かな音、そのせいか、容易く周囲の環境音に喰らわれ何も残らずにいる。中心、陽の光すら無い中で一人の少年が倒れ込んでいた。金色の髪はボサボサで濡れており、身長は百五十センチ程度……幼さの割には酷く超え太っている。例えるならば土に塗れた豚と変わりないだろう。
一つの雫が彼のもとへゆっくりと滴る。
狙い済まされたかのように額に当たると少しばかり、少年の目元を動かしてみせた。だが、それでも、まるで春の朝のような心地良さへ身を任せるかのように、その瞳を閉じ始める姿に怒りを見せたのは近場でゆっくりと流れる川である。
「はっ……さっぶ……!」
強く波打った川、水がかかり漸く瞼を開けた。
その視界の先に映るのは、やはり代わり映えのしない暗闇ばかりである。それでも暗闇に慣れた瞳の影響か、極微かながらに周囲の状況を眺めて大きな溜め息を吐いた。
その思考の中にあるのは死ぬ直前の光景のみ……そう、電車に轢かれたはずの事実だけが残っているのだ。
「見知らぬ天井だ……ってか」
馬鹿の見る物と卑下し続けた作品達。
僅かながらに知っていた古い知識を軽く口にしたかと思うと軽く前髪を流した。ベタベタとした感触が指に伝わり、納豆を触ったかのような臭みすらも手から溢れ出している。
上半身を起こそうとした左手にぶつかったのは硬い感触……思い出したかのように再度、大きな溜め息を吐いた。
「シオン……ルール、か」
名前、出自……そして殺されたという事実。
彼の頭の中に残っていたのは本当に極小数の、虫食いのような記憶ばかりであった。公爵家の末っ子、三男として生まれたシオン……二人の兄と一人の姉、そして父親の顔と名前は覚えているものの関わりは全て消え去っている。
同時にズキリと頭に痛みが走り、口を歪める。
死ぬ前ならば思い出せた事……自身の家族だけがポックリと頭から抜け落ちていたのだ。ただ、実の家族を思い出そうとしただけ、その行為が彼の頭をより痛め付けていく。顔も、声も、思い出や名前すらも浮かんでは来ないのだ。
「これ……どっちだ」
ボヤき、勝手に喉奥から漏れた本音であった。
多くの記憶を失った今の自分は果たしてシオンと言えるだろうか。そのような自問自答が脳内に浮かんでしまう。仮にシオンであるとして、それでも彼が悩んでしまうのは他でもない、殺された時の光景が脳裏に残っているからである。
知らない戦場、遠い国の話だと思っていた。
だが、彼をシオンたらしめるのは……その体が覚えている事である。恐怖、血生臭さ、そして多くの人が死ぬ光景。川の音が全てを食らう中ですらも彼の耳に残っているのは悲鳴であった。
『だから! 来たくなかったんだ!』
『こんな奴を守る理由なんて!』
『嫌だ! 死にたくない!』
忠義すら不明な騎士達が目の前で殺される姿。
人によっては神に愛されたのか、首を切られて即死していたが……大半は、そのような神の優しさから離れる結果となっていた。勇ましき者は何度も刺されて殺され、逃げようとした者は見せしめのように惨殺される。阿鼻叫喚、その中で渦巻いていたのは……憎悪だけであった。
「気持ち悪……!」
不意に吹き出した劣悪な感情は堰を切る。
流れる川の中に漏れ出したそれは、美しく済んだ水には似合わず、ただ奥へ奥へと流れ出すばかりであった。虚ろな視界の中、映っていたのは水面で漂う新しい自分の顔だけである。過去の崩れたプライドではなく、新しい誇りがそこには宿っていた。
「随分と……綺麗な顔だな」
太っている……だが、整っているのは確かだ。
それも当然の事だろう。彼の記憶の中に残っている家族の顔は誰もが美しく整っていた。シオンとして生きていた時に愚弄されてきた事実だけは知っているものの、だからこそ、それらすらも笑えてしまう程に愚かしく思えてしまう。
「とりあえず、か」
状況確認、彼の視界に関しての事である。
左端に映る地図のような何か、無性に彼の内面から顔を出したがるものがあった。口にするかどうか、躊躇っていたのは過去の自分が馬鹿にしていた者達へと成り下がる事への恐怖である。とはいえ、殺人が起こるような世界の中で恥辱に恐れていられる程の余裕も無かった。
「ステータス」
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名前 シオン・ルール
職業 貴族LV1
年齢 10歳
レベル 1
HP 20/20
MP 10/10
物攻 25
物防 25
魔攻 10
魔防 15
速度 5
幸運 100
・固有スキル
【異次元流通LV1】【マップ】
・スキル
無し
・魔法
無し
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見慣れない光景、半透明の何かが現れた。
知らないはず……だが、それを過去のシオンは知っている。ステータスは本人の各々の能力を数値化したものであった。同時に幸運を除いた全ての数値は十歳であれば、全て百程度であるのが普通だと思い出してしまう。
「いいや……はぁ……」
生きているだけ僥倖、そう考えたが否定する。
確かに生まれは幸運にも王家の血を引く公爵家であった。とはいえ、シオンが死んだ理由も間違いなく、それに起因しているのだ。いいや、出自だけが問題では無い事も彼は理解していた。何故ならシオン・ルールは……。
「とんだクソ野郎だな」
ただ、その一言に限る存在であった。
だからこそ、彼の口元はニヤついて仕方が無い。少なくとも近日のやるべき事は決まったのだ。日本にいた時の記憶が無いにしても、知識だけは確かに残っている。生きていた証が彼の中で生きているのだ。それがあるだけで十分だった……だが、笑みを捨てられなかったのは先程に見たステータス故だろう。
固有スキル、異次元流通……それは……。
「チート能力をありがとよ。クソ神様が」
忌々しげにボヤいて、ステータスを開いた。
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