LGバッヂ
「やりなおーし!」
加勢の怒声が会議室に炸裂する。
「はい!」
続いて川路の素直な怒声が爆発し、加勢と他の空士がのけぞった。
転倒をこらえた加勢が続ける。
「いい!?宇宙船の中はデリケートなんだから、埃ひとつのこしちゃだめなの。いつでも、宇宙船の中にいるつもりで行動せよ!」
加勢は語尾だけ班長の大谷3曹の口調を真似た。
かくいう加勢達はまだ宇宙は未経験である。
建徳6年度の警備滞宙任務を最後に第3中隊は宇宙に行っていない。
加勢の代がようやく半年前に北防府の水中訓練所で疑似無重力訓練に参加したのみである。加勢の後輩達はシャックルトン警備隊に配置されただけで、宇宙らしいことは何一つやっていない。
だから加勢達が憧れているのは…
「おーい、まだ清掃おわらんのか。」
大谷3曹が入ってきた。
胸には低重力下勤務徽章、通称LGバッヂが縫われている。
連続2週間、シャックルトンなどの月面で勤務をするともらえる徽章だ。
3年で失効するため、この徽章を持っている隊員はここ肝付基地以外ではあまりみられない。
そして、価値観の多様さが極まるこの世相において、きわめて珍しいことに、LGバッヂは若い隊員達の圧倒的な憧れの的であった。
「おい、加勢。あんまこだわらんでもいいけん。あと10分で次んとこいけ。」
加勢「はい、班長!しかし埃がまだ天井のライトに残っています!」
大谷はうーんとうなって思案した。
「壁と床、教卓、机は十分やろ。それでええよ。」
加勢「埃はよいのですか?宇宙では」
大谷が言葉を被せる。
「そう。宇宙じゃ埃ひとつが命取り…なんやけど、自衛隊じゃ作戦の遅れも命取りやけん。」
大谷も新隊員のときは「宇宙では◯◯が命取り」論法を大真面目に信じる口だった。
若い隊員達に真面目に雑用をさせる魔法の言葉「宇宙では」論法
大谷は個人的に「宇宙出羽守」とよんでいる。
だが、当然ながら使用期限は短い。
実際に宇宙に上がるまでもなく、大概の隊員はそれが方便だと気づく。
ー加勢は定年まで気づかなそうだー
大谷は目をキラキラ輝かせている加勢をみて思う。
そして隣の巨漢、川路をみる。
ーコイツはしかしまた従順なことだ。その年で宇宙論法なんか信じるわけなかろうにー
ま、なんにせよ年末年始休暇まであと4日。
清掃なんかサッサと終わらせてしまいたい。
本点検でまわる隊長や科長達はもちろん、事前点検をする先任達も天井のライトを取り外してまで埃をみることはない…
大谷は去り際、本当の魔法の言葉を置いていった。
「そうそう。5中が市ヶ谷勤務に行くらしいけん、今度の練成滞宙は3中が繰り上げでやるそうや。」
大谷はそれだけいうと会議室をあとにした。
加勢の嬉しさの猿叫を背中に受け、ニヤニヤしながら廊下を歩く。
翌週から3中隊は来年度からの宇宙上がりに向けて練成に入ることになる。




