第5話「マスクド・ブレイブ登録」
石畳の街は、朝から人の気配が濃かった。
屋台の呼び声、鍛冶屋の金属音、家畜の鳴き声。
——そして、腹の音。
「……パン」
俺は店先から漂ってくる匂いに引っ張られて、ほぼ反射で足を向けた。
焼けた麦の匂い。焦げ目。素朴な見た目。
文明の匂い。
木の看板には、丸いパンの絵が描かれている。
分かりやすい。こういうの好きだ。
「いらっしゃい。……お、外の人間か?」
店の奥から出てきたのは、腕の太いおっちゃんだった。
粉が前腕に白く付いている。パン屋の証だ。
「外の人間って何だよ。俺は——」
言いかけて、やめた。
この街で「異世界転移しました」なんて言っても通じるわけがない。
「……旅の途中。パン買いたい」
硬貨を二枚。ユーリから借りたやつ。
おっちゃんは硬貨を見て、パンを一つ置いた。
「これで一つだ。水は向かいの井戸で汲め。……で、顔色悪いぞ」
「歩き疲れた。半日歩いた」
「……半日? 森の方から歩いたのか?」
「まぁな」
おっちゃんが目を細めた。
「……冗談だろ?」
低い声が、少しだけ真面目になる。
「命があるだけ運がいい。……仕事でも探してるのか?」
「探してる。てか、金がない」
俺はパンを一口かじる。
うまい。泣ける。生き返る。
「外の者が、街で仕事を得るのは難しいぞ」
「え、冷たくない?」
「冷たいんじゃなくて現実だ。顔も素性も分からんやつに任せられる仕事は少ねぇ。
盗みだってある。揉め事もある」
「……なるほど、現実が重い」
おっちゃんは顎で、街の中心方向を示した。
「ハンターギルドに行け。あそこなら腕があれば飯が食える。
魔物討伐、薬草採取、解体、雑務……どれかはある」
「ギルドか。冒険者のアレだな」
「冒険者って言い方は知らんが、まあ、何でも屋だ」
俺は残りのパンを握りしめた。
「よし、行く。情報ありがとう」
「待て」
おっちゃんがカウンターの下から紙切れを一枚出した。
折り畳まれていて、封もしてある。
「ギルドに行くなら、ついでに受付でこれを渡してくれ」
「手紙?」
「依頼だ。……俺の店は朝が忙しくてな。届ける暇がねぇ」
俺は紙を受け取り、軽く振ってみる。
「中身見ていい?」
「見るな。届けろ」
「ケチ!」
おっちゃんはふん、と鼻を鳴らして、パンをもう一つ置いた。
「届けてくれるなら、もう一つおまけだ」
「なら、任せとけ」
即答した瞬間、おっちゃんの目が細くなる。
「……現金なやつだな」
「現金がないから現金なんだよ」
俺はパンを受け取った。
(夜用に取っておく。飢えは敵だ)
*
ハンターギルドはすぐ分かった。
建物がデカい。
人が出入りしている。
武器を持った連中が普通にいる。
一歩入っただけで、空気が違った。
汗と革と鉄。
酒。薬草。獣の血の匂い。
(ここ、治安悪そう……)
受付のカウンターに、若い女が座っていた。
髪はまとめられていて、手元の帳簿に目を落としている。
俺は紙切れを差し出した。
「これ、パン屋のおっちゃんから」
受付の女は受け取って封を確認し、淡々と頷いた。
「承りました。……伝達依頼ですね。ありがとうございます」
(伝達依頼。なるほど、ギルド経由で信用を作る仕組みか)
俺は咳払いして、次の用件を言う。
「で、仕事探してる。登録したい」
「初めての方ですね。では、お名前を」
来た。ここは普通にいこう。
俺は胸を張って言った。
「氷室勇也だ。ユウヤでいい」
受付の女は小さく微笑んだ。
「ユウヤさんですね。よろしくお願いします。私はミレイです。では、ギルドカードを作成しますので、こちらの水晶に触れてください」
カウンターの横に、水晶球が置かれていた。
透明で、薄く光っている。内部に霧みたいなものが渦巻いている。
(ファンタジーだな……)
俺は手を伸ばして、水晶に触れた。
ひやり、と冷たい。
次の瞬間、水晶が淡く光った。
そして、空中に文字が浮かぶ。
『登録者名:マスクド・ブレイブ』
『適性魔法:変身』
「……は?」
俺は水晶と空中の文字を交互に見た。
ミレイが、くすっと笑った。
「ふふっ……マスクド・ブレイブさん……変わったお名前ですね」
「はぁ!? 俺はユウヤだ!! 氷室勇也!!」
ミレイは困ったように、でも楽しそうに言った。
「そうは言われましても、この水晶は偽造できませんので……マスクド・ブレイブさん」
「その名で呼ぶな!!」
俺はカウンターに身を乗り出した。
「偽造できないって何だよ! 俺の名前は俺が決めるんだよ!」
「登録名は水晶が確定します。
ギルドカードはその情報を基に作成されますので……」
「いや、待て待て待て。じゃあ本名って概念ないのかよ!」
「基本は本名が出ているはずなのですが……どちらにせよギルド登録は水晶の表示が優先されます。
詐称防止のためです」
(詐称防止……偽造不可……)
俺は頭を抱えた。
「なんで俺だけこんな呪いみたいな……!」
腰のブレイブドライバーが、タイミング悪くカチ、と鳴った気がした。
(お前のせいだろ!!)
ミレイはペンを動かしながら、にこやかに追撃する。
「それと、適性魔法が“変身”……珍しいです。
戦闘職向きかもしれませんね」
「変身? いや、あれは……条件付きで……って、魔法とかあんの!?」
ミレイは、驚く俺を見て目を瞬かせる。
「……ええ。魔法はありますよ」
「いや、さらっと言うなよ。俺、今めちゃくちゃファンタジーに置いていかれてるんだけど」
ミレイは少し困ったように笑って、けれど事務的に説明を続けた。
「ただ、魔法を持っていてハンターギルドに登録する人は、あまりいませんけどね」
「え、そうなのか?」
「魔法を使える方は国に雇われたり、魔法ギルドに入ったりします。契約と監督がある分、待遇がいいんです。討伐は“外注”が多いですね」
「へぇ……」
(俺は無理だろうな……)
俺は腰のベルトを見下ろした。
“変身”って魔法扱いなのかよ。しかも条件付きで、フルチンになるやつ。
(とはいえ、戦闘か……)
昨日の森を思い出す。
観測。ポーズ。フルチン。
バケモン狼。裂けた木。
(戦闘職向き? 冗談じゃねぇ)
ミレイは淡々と手続きを進めていく。
「戦闘経験はありますか?」
「ない。苦手」
「苦手……」
「苦手っていうか、したら死ぬ」
「……承知しました」
ミレイは帳簿を閉じて、こちらを見た。
「マスクド・ブレイブさん。現状でご案内できる仕事は——採取くらいですね」
「ユウヤだ! 採取か……」
「薬草採取です。森の外縁で指定の草を集めるだけ。危険度は低いです」
「……低い?」
「“比較的”です」
比較的。
その言葉が一番信用できない。
俺は深く息を吐いた。
(でも、やるしかない。金がないと野宿だ)
「……分かった。採取行く」
ミレイが頷く。
「では、こちらが依頼書です。ギルドは夕方の6の刻(だいたい日暮れ前)まで空いておりますので、それまでに納品してください」
ミレイは続けて小さな札を出した。
「そして、こちらがギルドカードです。この街の依頼と報酬は“ギルド連盟の共通カード”で管理されています」
俺は頷きながら、頭の中で別のことを考えていた。
——登録者名:マスクド・ブレイブ。
——適性魔法:変身。
(……最悪の名前で、最悪のスタートだ)
でも。
パンで腹は膨れてる。
ポケットには夜用のパンもある。
早く行って報酬を貰わないと野宿になっちまう。
俺はギルドカードを受け取り、そっと握りしめた。
「……覚えてろよ、水晶」
誰に言ってるのか分からない愚痴を、飲み込んで外に出た。
俺は薬草を採りに行く。
——生きるために。




