第3話「勇者と変質者」
フードの人間が、倒れた狼を一瞥してから、俺を見た。
いや——俺の顔じゃない。さっきのキラキラマスクと、その下を見ていた。
視線が、刺さる。
「……魔物か?」
「違う違う違う!!」
俺は反射で叫んだ。
——そして次の瞬間、ストンと地面に落ちる。
正座。
膝を揃えて、背筋だけは妙に伸ばして、両手は膝の上。
股間は、太ももと手で完全ガード。
某・履いてますよのポーズ。
でも——
俺は、本当に履いてない。
笑いにならない。命がかかってる。
フードの影が一ミリだけ動いた。
剣先が、こっちを向く。
(やべえ、殺される……)
「俺は人間だ!!」
ブレイブドライバーが空気を読まず点滅した。
『観測されました』
『変身可能です』
「もう変身しとるわ!!」
俺は腰のベルトをバンバン叩いた。
「解除! 解除! 変身解除!!」
ベルトが淡々と返す。
『変身解除:可能』
「早く!!」
カチ、と音がして、光が引いた。
——次の瞬間。
目元のキラキラが消えた。
同時に、夜気が“素肌”を刺す感覚も消える。布が戻ってくる。
俺は自分の体を見下ろして、心底ホッとした。
服。
靴。
文明。
「……っ、戻った……!」
ブレイブドライバーが追撃みたいに補足する。
『補足:ヒーロー装備は変身中のみ展開されます』
「はいはい、助かる。今のは助かる情報だ」
フードの人間は剣を下ろしたまま、少し首を傾げた。
「……人間、なのか」
「そうだよ!! 今の見た目は事故だ! 仕様だ! 俺も被害者だ!」
焚き火の明かりの中で、フードの人間の気配が一段だけ落ちる。
警戒の“刃”が少し鈍る。
「……来い」
「えっ、やだよ……お前怖ぇし」
「ならここで死ぬか?」
即答。容赦ゼロ。
「脅迫じゃねぇか!」
でも剣はまだ手元にある。
俺は黙ってテントの近くへ歩いた。死にたくないので。
焚き火に近づくほど輪郭が見える。
フード。マント。軽装。剣。動きが無駄なく静か。
体格は細め。
声は若干高い。男とも女とも判別しにくい。
(……どっちだ? まあいい。怖ぇし)
俺は狼の死骸を見て、遅れて震えた。
「……このバケモンみたいな狼はなんなんだ?」
フードの人間が短く答える。
「魔狼だ」
「魔……なに?」
「デカイ狼だ」
「説明が短ぇ!」
「そんなことより、こんな所で何をしていた?」
俺は腰のベルトを指で弾く。
「気がついたらここに飛ばされたんだよ。さっきまで撮影してたのに、いきなり森」
フードの人間の視線が、ブレイブドライバーに落ちる。
「……召喚か?」
「知らねぇよ。しかも喋るベルトとかも意味わかんねえし」
フードの人間は焚き火の前に腰を下ろし、剣を置いた。
置き方が、戦う人間のそれだった。
「……休め。中は安全だ」
「……え?」
(優しいのか?)
俺は警戒しながらテントを見る。
一張りだけ。誰もいない。荷物も最小限。
「いや、いいのかよ。俺、さっき魔物扱いされたんだぞ」
「魔物なら、テントに入れないようになっている」
「まだ疑ってるのかよ!?」
「……入れ」
命令じゃない。圧だ。
断ったら何かが終わるタイプの。
俺はため息を吐いた。
「借りる。借りるけど、変なことすんなよ」
「……お前がな」
「するわけねぇだろ!」
テントの中は簡素だけど温かい。
布と焚き火の匂い。寝具は最低限。
俺は座り込み、改めてフードの人間を見た。
「で。お前は何者なんだ? すげぇ、強かったな」
「勇者だ」
「は?」
「この世界を救うために選ばれた者。そう呼ばれている」
言い方が妙に事務的だった。
自慢じゃない。“職業”の報告みたい。
俺は半目で返した。
「ふーん。勇者ね。で、名前は?」
フードがわずかに揺れる。
「……名を聞くのか」
「聞くに決まってんだろ。勇者って肩書きだけで会話すんの?」
「普通は、先にひれ伏す」
「ひれ伏す? 腰が悪いから無理だな」
一瞬、空気が止まる。
怒るかと思った。
——違った。
「……新鮮だな」
「は?」
「私を見て、怯えない者は少ない。
崇めるか、利用するか、距離を置くか……どれかだ」
(人気者の悩みかよ)
俺は適当に返した。
「まっ、俺も役者だし似たようなもんか。人気者は大変だよなー。俺も街歩くと、ガキが寄ってくるんだよ」
フードの奥で、わずかに呼吸が揺れる。
……笑った? いや、呆れた?
「役者?」
「そう。ヒーロー役。……まあ、さっきのはヒーローっていうか変質者だったけど」
「……意味が分からない」
「だろうな」
俺は肩をすくめた。
「じゃあこっちが先に名乗る。氷室勇也。ユウヤでいい」
フードの人間が復唱する。
「……ユウヤ」
その呼び方がやけに自然で、少しだけムカついた。
「で、お前の名前。性別とかどうでもいいから、呼び名だけくれ」
少し間があって、フードの人間が言った。
「……ユーリ」
「ユーリ。へぇ。男か女か分かんねぇ名前だな」
「分からない方が都合がいい」
「まあ、なんにせよ、さっきは助けてくれてありがとな」
ユーリは焚き火を見たまま言った。
「……ユウヤ。お前は私を知らないのか」
「知らねぇよ」
「……信じがたい」
(その声が、ほんの少しだけ安堵して聞こえた)
「自意識過剰か!」
沈黙が落ちる。焚き火の音だけが続く。
それからユーリが小さく言った。
「……ユウヤ」
「ん?」
「お前は不思議なやつだな。嫌いではない」
「告白すんな」
「告白ではない」
「じゃあ何だよ」
「……新鮮だ」
ユーリはテントの入口側へ座り直す。
外を見張るつもりらしい。背中がまっすぐだ。
俺は寝具に横になり、天井の布を見た。
(この世界、普通に死ぬ)
さっきの“バケモン狼”。裂けた木。
観測とポーズ。装備は変身中だけ。ポイントは人助け。
(脱変態のために人助けしろって、何の罰ゲームだよ)
でも。
今夜だけは、死なずに済みそうだった。
焚き火がもう一度パチ、と鳴る。
ユーリが外に向けて低く言った。
「……眠れ、ユウヤ。夜が明けたら動く」
「動くって……何するんだよ」
返事は短い。
「街へ戻る」
「おっ!街か!!近いのか?」
「歩いて半日程だ」
「嘘……だろ……」
ブレイブドライバーが追い打ちで点滅した。
『クエスト:勇者と街へ行け』
『推定報酬:ヒーローポイント(1)』
「……今それ言うな!!」
フードの奥で、ほんの少しだけ息が揺れた。
——笑ったのかもしれない。
俺は目を閉じた。
ああ……これが夢でありますように。




