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「革」命転生 ――転生した化学エンジニア、13世紀の皮革産業を「革」新する  作者: 柄臼田廬翁
作らないという技――聖バルトロメオの谷修道院編
15/31

第02話 - すなわち、最初の宿と焚き火

夜は、

人を落ち着かせるためにあるわけではありません。


選ばなかった道を、

静かに照らし出すためにあります。


街を出て、

宿に辿り着き、

火を囲む。


それだけのことが、

この時代では

「戻れなくなる」合図になることもあります。


この話は、

同行を決める話ではありません。


同行するしかない状況が、

言葉になるまでの話です。


火は、

まだ強く燃えています。

宿は、街道から少しだけ外れた場所にあった。


近づくにつれて、

灯りが一つ、

また一つと数えられるようになる。

壁に掛けられた獣脂の明かりが、

風に揺れている。


「……助かりました」


テオドールは、

思ったより素直にそう言った。


行き倒れを埋めてから、

二人とも口数が減っていた。

疲れというより、

言葉を選ぶ余裕がなかったのだ。


「ここは、

 街道を使う人が多い宿です」


エルサは、

灯りの位置を確かめながら言う。


「修道院の巡礼者も、

 商人も、

 行商も」


なるほど。

つまり、

慣れている。


建物は低く、

壁は厚い。

石と木が混じった造りで、

飾り気はない。


扉を押し開けると、

中から熱と匂いが流れ出た。


煮込み。

汗。

濡れた外套。


テオドールは、

無意識に肩の力を抜いた。


「……生きてる匂いだ」


自分で言ってから、

少し可笑しくなる。


「ええ」


エルサは否定しなかった。


「ここは、

 倒れないための場所です」


宿主は、

二人を見るなり事情を察したらしい。


「部屋は一つか、

 二つか」


「二つで」


テオドールが即答する。


「……あ」


言ってから、

視線をエルサに向ける。


「構いません」


彼女は、

先回りするように頷いた。


「祈りの時間が、

 少し欲しいだけです」


なるほど。

この人は、

「断る理由」を

持ち歩いている。


それぞれ、

別の部屋に通された。


俺は、

廊下の先の小部屋で

外套を外し、

荷を壁際に置く。


一方エルサは、

向かいの部屋に入り、

扉を静かに閉めた。


◆◆◆


エルサは、

背負い袋から

小さな木箱を取り出し、

棚の奥へ収める。


抱えるほどの大きさではない。

だが、

他の荷と

同じようには扱えなかった。


布をかけ、

一度だけ手を止める。


その箱は、

彼女の中で

重さを持っていた。


◆◆◆


外に出ると、

すでに焚き火が組まれていた。


宿の裏手。

石で囲われた、

簡素な火だ。


「夜は、

 ここで過ごす人も多いです」


エルサが言う。


「中より、

 落ち着く人もいますから」


「……分かる気がします」


テオドールは、

腰を下ろしながら答えた。


火を見るのは、

革を見るのと似ている。


形よりも、

状態を見る。


しばらく、

二人とも黙っていた。


火が爆ぜ、

薪が崩れる。


昼間の出来事が、

頭から離れない。


「……さっきの」


テオドールは、

言いかけて止まった。


「行き倒れのことですか」


エルサは、

こちらを見ずに言う。


「はい」


「珍しいことではありません」


昼にも聞いた言葉だ。

だが、

夜に聞くと、

重さが違う。


「街道では、

 助けは

 いつも間に合うとは限りません」


「……それでも、

 歩くんですね」


「ええ」


即答だった。


「歩かなければ、

 書も、

 人も、

 届きませんから」


なるほど。

すなわち、

止まる理由がない。


焚き火の向こうで、

エルサの横顔が揺れる。


この人は、

最初から

「ここまで来る」前提で

生きている。


テオドールは、

そう思った。


自分は――

どうだ。


「……俺」


口を開いて、

また閉じる。


薪が崩れ、

火の形が変わる。


「…エルサさんは…どうして、

 修道院に入ったんですか」


テオドールは、

焚き火を見たまま聞いた。


深い意味はなかった。

ただ、

この火の前なら

聞いてもいい気がした。


エルサは、

すぐには答えなかった。


祈るときの沈黙とも、

迷っている沈黙とも

少し違う。


「本を、

 守りたかったからです」


ようやく、

そう言った。


「守る、ですか」


「はい」


彼女は、

火の向こうを見ている。


「昔……

 家に、

 本がありました」


それだけで、

どんな家だったかは

分かる気がした。


「誰のものでもなくて、

 でも、

 誰の手にも

 ちゃんと触れていた本です」


なるほど、

とテオドールは思う。


「でも、

 失われました」


語調は、

淡々としている。


「理由は、

 よくあることです。

 戦、

 移動、

 価値の違い」


火が、

ぱちりと音を立てた。


「なくなったあとで、

 気づきました。

 本は、

 読まれなくても、

 存在していなければ

 いけないんだ、と」


彼女は、

少しだけ

口元を引き結んだ。


「だから、

 書く場所に行きました。

 守る場所に」


「……なるほど」


それ以上、

言葉はいらなかった。


「祈りは、

 そのあとです」


エルサは、

そう付け加えた。


「先にあったのは、

 仕事でした」


テオドールは、

焚き火を見つめた。


革も、

よく似ている。


使われなくなった瞬間に、

価値が下がる。

だが、

残っていなければ、

次はない。


「だから、

 外に出るのも、

 怖いです」


エルサは、

正直に言った。


「でも、

 怖いまま

 守るよりは……」


言葉は、

最後まで出てこなかった。


だが、

十分だった。


挿絵(By みてみん)


「……テオドール」


エルサが、火を見たまま言う。


「目的地の見当は、

 ありますか」


唐突ではあったが、

不自然ではなかった。


テオドールは、

一瞬だけ考え、

肩をすくめる。


「んー……」


正直に言えば、

決めていない。


「次の町、

 ですかね。

 で、

 その辺のギルドで

 仕事をもらえたら――

 って感じで」


言い終えてから、

自分でも曖昧だと思った。


エルサは、

ゆっくりと頷く。


「なるほど」


それから、

少しだけ声を落とした。


「その“次の町”が、

 ケルンになります」


テオドールは、

思わず顔を上げた。


「……ああ。

 確か、

 でかい街ですよね」


「非常に」


エルサは、

淡々と続ける。


「革職人の数も多く、

 ギルドの力も強い。

 仕事はありますが――」


一拍、置く。


「外から来た者が、

 技術で目立つのは、

 歓迎されません」


すなわち、

混ざる前に疑われる。


テオドールの口元が、

わずかに緩んだ。


「……逆に言うと」


火を見つめたまま、

言う。


「腕があれば、

 話にはなる」


「ええ」


エルサは否定しなかった。


「だからこそ、

 心配でもあります」


その言葉に、

テオドールは視線を向ける。


「あなたの技術は、

 正しいですが――

 静かではありません」


なるほど。

痛いところを突かれた。


「波乱、

 起こしそうですかね」


「起こします」


即答だった。


「無自覚に」


焚き火が、

小さく爆ぜる。


エルサは、

しばらく火を見つめ、

それから続けた。


「一つ、

 別の道もあります」


「別の?」


「修道院付きの

 革職人になる、

 という道です」


テオドールは、

少し驚いた。


「……そんなの、

 あるんですか」


「あります。

 数は少ないですが」


修道院は、

書を持ち、

人を抱え、

長く残る場所だ。


「革は、

 祈りに使われます」


装丁、

袋、

覆い。


「静かな仕事です。

 ですが――」


エルサは、

そこで一度言葉を切る。


「あなたの技術なら、

 埋もれはしません」


テオドールは、

焚き火を見つめたまま、

考え込む。


ケルン。

強いギルド。

波乱。


修道院。

静かな仕事。

長く残るもの。


「……すなわち」


ぽつりと、

彼は呟く。


「どっちに行っても、

 楽じゃない」


「ええ」


エルサは、

小さく頷いた。


「だからこそ、

 選べます」


夜は、

まだ深くなる。


焚き火は、

そのために

燃えていた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


この回では、

剣も、

技術も、

奇跡も起きません。


あるのは、

宿と、

火と、

少しずつ噛み合っていく言葉だけです。


エルサが語ったケルンの話は、

「大きな街」の説明であると同時に、

「大きな危険」の提示でもあります。


そして、

修道院付きの革職人という選択肢は、

逃げ道ではなく、

別の戦場です。


すなわち――

進む道が増えた、

ということです。


次回、

焚き火のそばで、

同行は言葉になります。


よろしければ、

もう少しだけ

火のそばにいてください。

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