第02話 - エルサ短章 - だからこそ、知らないままでいる
この夜、
焚き火のそばで語られなかったことがある。
それは、
祈りと同じく、
一人きりでしか整えられない思考だった。
焚き火を離れ、
私は宿の中へ戻った。
廊下は暗く、
板の軋む音が自分の足音だけを強調する。
それが、少し心地よかった。
扉を閉め、
ようやく一人になる。
ここからは、
祈りと整理の時間だ。
◆◆◆
巡礼に出る修道女は、
必ずしも一つの修道院に
留まり続けるわけではない。
一時的に身を寄せ、
役目を与えられ、
終えれば、また歩き出す。
写本、
薬草、
連絡、
運搬。
人の手でなければ
届かないものが、
この世界には多すぎる。
私は今、
その途中にいる。
なるほど、
目立たない役目だ。
だからこそ、
長く続いてきた。
◆◆◆
戸棚を開き、
中身を確かめる。
祈祷書。
替えの布。
そして――
箱。
小さな木箱だ。
抱える必要もない。
重くもない。
だが、
作りは異様なほど丁寧だった。
角は金属で補強され、
蓋には細い溝。
その上から、
封蝋の痕が幾重にも重ねられている。
鍵穴はない。
開けるための仕組みが、
最初から用意されていない。
私はそれを棚の奥に置き、
布をかける。
触れない。
◆◆◆
箱の中身を、
知りたいと思わないのか。
かつて、
そう問われたことがある。
答えは、
今も変わらない。
――知らない方が、
世界は美しいことが多い。
すべてを知り、
すべてを理解したとき、
人は正しくなるわけではない。
むしろ、
壊しやすくなる。
なるほど、
知識は光だ。
だが、
光は影も作る。
だからこそ、
私は
知らない場所を
自分の中に残しておく。
祈りは、
そこに置かれる。
◆◆◆
今日のことを、
一つずつ思い返す。
テオドール。
若い。
それは否定しようがない。
だが、
軽くはない。
彼は静かで、
感情を外に出さず、
必要なときだけ
一歩踏み出す。
行動は、
奇妙なほど
計算されている。
無意識なのか、
それとも
本人も気づいていないのか。
なるほど、
どちらにせよ――
放っておくには
鋭すぎる。
◆◆◆
同時に、
彼は知りたがる。
ケルンの革職人ギルドの話をしたとき、
その目が
一瞬、
確かに輝いた。
野心ではない。
理解への渇き。
だからこそ、
危うい。
強いギルドは、
才能を守らない。
束縛するだけ。
彼には、
まだ
静かな場所が必要だ。
◆◆◆
修道院付きの革職人。
それは、
縛るための提案ではない。
技術を、
祈りのそばに置くという
選択だ。
私は、
小さく十字を切る。
箱には、
触れない。
言葉だけを置く。
「導いてください」
それで十分だ。
だからこそ。
明日も、
歩く。
知らないままで
運ぶために。
知ることより、
運ぶことを選ぶ。
それが彼女の巡礼であり、
この旅の静かな重さでもある。
次は、
その選択が試される道へ。




