創作論13:ポリティカル・コネクトネスを忘れてはならない
原案:蒼風 雨静 作;碧 銀魚
翌日。
ゆり子は第1話10ページの修正を終え、一から読み直していた。
「……最初に考えてた話の面影が、殆ど残ってないなぁ。」
当初は自分と同じ、14歳の女の子を主人公にした、笑いあり、バトルあり、感動あり、ちょっとしたロマンスありの少年誌風漫画になる予定だった。
それが、会社員である主人公が傾きかけた会社をみんなで立て直すという内容に様変わりした。
残っている要素は、主人公の性別と“佐倉井美園”という名前だけだ。
「まぁ、とりあえず1作目は、世に出せなかったら意味ないしね。」
ゆり子は自分自身に言い聞かせるようにつぶやき、パソコンを立ち上げた。
いつものように、クリオリを起動させる。
『こんにちは、田中ゆり子さん。』
「こんにちは。とりあえず、言われたところを全て修正して、ラフ画を10ページ分完成させたんだけど、通して見て、落ち度がないか、チェックしてもらえる?」
『はい、お任せ下さい。』
ゆり子は10ページ分の画像データを、クリオリのアプリの中に放り込んだ。
待つこと、3秒。
『残念ながら、この内容では、規制に引っかかる危険性が高いです。修正を推奨します。』
「ええっ!?全部直したのに、何で?」
ゆり子は思わず叫んでしまった。
『全体を通して見た時に、ポリティカル・コネクトネスへの配慮が足りないと見做され、規制の対象になると思われます。』
「ぽ、ぽり……?何それ?」
聞いたことがない横文字用語だ。
『ポリティカル・コネクトネスとは、1917年のロシア革命後にマルクス・レーニン主義の中で出てきた用語と言われています。2000年代頃から、現在の意味合いで使われるようになり、ポリコレと略されることが多いです。』
「ああ、ポリコレって、正式にはそう言うんだ。確か、多様性がどうのこうの……とかいうやつだったっけ?」
学校で習った気はするが、テストとは関係ない範囲だったので、内容はあまり覚えていない。
『少し違います。ポリティカル・コネクトネスは、直訳すると“政治的妥当性”や“政治的正当性”という意味になります。他者に対して、人種、性別、国籍、宗教、年齢、障がいなどを理由とした“差別的な表現を正す”という考え方を指します。』
「え~っと……つまり、どういうこと?」
なんだが、学校の授業のようになってきた。
『2000年代以降、日本だけでなく世界各国で、人々の多様性を尊重しようという流れになっています。なぜならば、多様性のある社会では、各々の考えが相互に作用し、新しい発想やイノベーションが生まれやすいからです。ポリティカル・コネクトネスにより、差別的な表現を是正することで、多様な人材が生きやすい状況が生まれます。そのような環境の中では、人種や性別、国籍、宗教、年齢、障がいなど、多様な背景を持つ人材が、それぞれの能力を十分に発揮することが可能です。結果として、豊かな社会の創造につながり、持続可能な未来につながります。』
「ああ、学校の教科書にも、そんなこと書いてあったっけ……」
『これはあらゆる分野に適用される考え方で、創作物もその例外ではありません。特に2010年代以降、漫画を含む創作物もポリティカル・コネクトネスへの配慮が厳しく見られるようになり、その配慮を欠いた作品は出版が停止されたり、差別的表現がある古い原作を映像化する時に、表現を変えたりした例があります。現代では更に厳しくなり、事実上、ポリティカル・コネクトネスへの配慮を欠いた作品は、出版したり、公表したりするのは不可能となっています。』
「それはわかったけど、あたしの漫画の何がポリコレに抵触してるの?」
『まず、登場人物に日本人しかいません。これは、人種の多様性を否定していると見做される危険性があります。』
「はぁ?別に日本人しかいない職場は普通でしょ?」
『現実的にはそうですが、漫画という媒体が、不特定多数の人間に心理的影響を与えることを加味した場合、不適当とされると考えられます。』
「マジで……」
『次に、登場人物の見た目が、全員整い過ぎている点です。』
「ちょっと待って!体形とかが画一的なのは、あんたが指摘してきたからよ?それで多様性がないとか言われても、どうしようもないんだけど!」
『いいえ。体形の表現はこれで問題ありません。強いて挙げれば、肥満体形の人間がいた方が、より作品の質が向上すると考えられますが、規制に引っかかる事案ではありません。』「だから、デブはもういいって。」
『問題なのは、顔立ちが全員美形だという点です。これは現実離れしているだけでなく、この企業が顔という、生まれ持ったスペックのみで採用を行っていると見做され、多様性が否定された表現ととられると考えられます。』
「いや、そんなつもりないんだけど!っていうか、絶対ブサイクな奴を入れなきゃならないの?」
『その為にも、肥満体形の人間を登場人物に入れることをお勧めします。』
「だから、デブはいいってば!あんた、デブ専なの?」
『AIにそのような、嗜好性はありません。』
相変わらず、冗談や軽口が通じない。
「あーもう!現代の漫画家が、デブを必ず描くのは、こういう理由もあったのか……」
ゆり子は忌々しく吐き捨てた。
『次に……』
「まだあるの?」
『はい。次に宗教の自由の描写が不足しています。』
「宗教!?そんなもんまで、言われるの?」
『はい。1ページ目の主人公の家の描写に、仏壇があります。これにより、主人公の一家が仏教徒であることがわかります。』
「まぁ、確かに描いたけど……」
別に、主人公が属する宗教まで意識して、描いたわけではなかったが。
『しかし、その他の人々が属する宗教の描写がなく、また、仏教以外の宗教を示す物や建物も全く描かれていません。これでは、仏教以外の宗教を排斥していると見做され、規制の対象となります。』
「いや、そんなつもりないから!っていうか、そもそも、宗教なんて意識して描いてないし!」
『それが最もよくありません。』
ゆり子はキョトンとなった。
「どういうこと?」
『漫画家やイラストレーターに限らず、創作物を創るクリエイターは、常にポリティカル・コネクトネスを念頭に置いて、創作をしなければなりません。さもなければ、無意識に人を傷つけたり、差別したりする表現をしてしまい、それが多くの人の目に触れてしまうことで、ある種の“加害”を行ってしまうからです。』
「……創作物は凶器だって言いたいの?」
『あくまで、そうなり得るということです。』
ゆり子は、過去一不機嫌そうな表情になった。
「あんたがそれ言っちゃダメでしょ。」
『私はAIです。自らの意志は持ち合わせてはいません。』
「あっそ。」
ゆり子はパソコンの電源を……
落そうとして、あることに気付いた。
「クリオリ、ちょっと待って。」
『何でしょうか?』
「ポリコレをあーだこーだ言うなら、子供と男の表現がNGなのは、どうなの?これって、立派な差別じゃないの?」
先程の説明通りなら、性別や年齢で差別的に扱うのは許されないはずだ。
『ポリティカル・コネクトネスには、セクシャル・ハラスメントやパワー・ハラスメントを始めとする、各種ハラスメントへの措置を講じることも含まれています。創作物における猥褻な表現や暴力的な表現はこれに該当し、排除されるべきだとされています。』
「っていうと、何?ポリコレ的に、子供は猥褻な行為から産まれてくる存在だからダメで、男は暴力的なことをよくするからダメってこと?」
『男性は猥褻な表現にも該当します。』
「いや、追い打ちかけるんじゃねぇよ。」
『そのように定義されていますので、矛盾はありません。』
「いや、矛盾しかないでしょ……」
ゆり子は天を仰いだ。
だが、これは、表現というものの難しさと限界を物語っているのかもしれない。
良くない表現を、何か一つ禁止しようとすれば、それに伴って、別に悪くない表現も道連れで禁止されるのは、よくあることだ。
それは、今日に至るまでの創作活動で、嫌というほど思い知った。
そしてゆり子は、先鋭化された規制の中で、この表現という難しいものに立ち向かおうとしているのだ。
「漫画家とかイラストレーターって、絵さえ描ければなれるもんだと思ってた。」
『それだけでは、不足と考えらます。』
「うん。甘かった。」
ゆり子はタブレットを手に取った。
そこには、当初の構想とはかけ離れた……しかし、ゆり子が初めて表現に挑戦した証が確かにある。
「もうちょっとがんばってみるわ。クリオリ、もうちょっとよろしく。」
『はい、お任せください。』
ゆり子はパソコンの電源を落とした。




