16.氷雨さんと運動会
夏休みが終わり2学期。秋。この季節には、私が嫌悪、いや憎悪する行事がある。
ーーーー運動会
何故この様なイベントが全員参加の学生行事なのか。部活にも運動部と文化部があるのだから、運動会だって、恒例行事とするならば、展覧会やら学芸会やらとの自由選択制にするべきだと思うのだ。
特にこの『クラス対抗全員リレー』。
みんなで力を合わせて一つの目標を目指すのなら、別にリレーじゃなくても良くない?
そんな事を考えながらぼんやりと見上げた空は、カラッカラの快晴だった。10月だと言うのに、秋なんかに譲ってやるものかみたいな太陽の強い意志を感じる日差しが降り注ぐ。
「てるてる坊主作ったのになあ」
応援席で一人でに呟いた言葉は、隣にいた美子ちゃんの首を傾げさせた。
「とってもいいお天気なのに?」
「えっ!あっ……うん!確かにそうだよね!いやあ、あそこにちっさい雲があったからさ〜〜」
雲一つないような空の、殆ど無いに等しいほんの僅かな雲を指差して誤魔化すと、美子ちゃんは力の抜けた様に笑った。
「ひめりちゃんって、意外と欲張りさんなのね」
「いや〜〜、へへへ」
咄嗟の下手な誤魔化しは存外上手くできてたようで、美子ちゃんが笑っていることに安心感を覚えていると、ふいに少し前に座っている男子達の声が聞こえてきた。
「お前のクラス良いよなー。男子も女子も速いやつ多いじゃん」
羨ましがられるのは我がクラス、そして私がリレーでバトンを渡す予定の田中君。
「いや、そうでもないぜ?うちのは格差が凄いからさ」
意識してしまったものだから嫌でも会話が耳に入ってくる。
あぁ、この流れはとても嫌な感じだ……。
「はぁ?言っても、ちょい遅い奴が数人いるくらいだろ?だってお前のクラス優勝候補じゃん」
「まぁー、それがさ『ちょい』なんてもんじゃ無いんだよな、これが。まじで歩いてんの?みたいのとかいるから」
自分の中に黒いモヤが広がっていくのを感じる。つい俯いてしまうのは、これからヒソヒソと集まるであろう視線とかち合いたくないからだ。
「ははははっ!お前、それは盛りすぎだろ」
「いや、まじ!俺の前のやつとかさ、本当にそれだから!しかも、その後走るとかまじ憂鬱だわ〜」
「え、お前の前って……妹ちゃんだよね?足遅いんだ?」
妹ちゃん……、それは私を揶揄する呼称だ。
徐々に集まってくる憐れみの視線……。
今すぐ逃げたい塞ぎたい、けど、変に空気を読んじゃう私は、気にしてませんよ聞こえてませんよって素知らぬ顔して座るしかできない。
だから、地雷と分かってその先も聞いてしまうのだ。
「あぁ、あれはやばいな。俺なら普通に休むレベル」
……休むレベル
……休むレベル
……休むレベル
あぁ、本当に俯いててよかった。私、ナイスジョブ。想像以上にハードなのくらっちゃって、自分の世界に入り込まなきゃ流石に涙腺が危うかったかもしれない。しかし、追撃も気が抜けない。「田中君酷いよね〜、花竹さん可哀想」なんて憐れみの声も私には結構ダメージだったりするのだ。
私だって休めるもんなら休みたいわ!なんて、声を大に異議を唱える事は出来るはずもなく、ただただその言葉だけが私の意気を重く暗く沈めていく。
とは言え、隣の美子ちゃんにまで気を遣わせてしまうのも申し訳ない。友達のしかもたった今隣に座っている人の陰口なんて、優しい美子ちゃんの心を痛めないはずが無いんだから。そう思えば、僅かな気力でその場を退散する提案くらいはできたのだった。
『トイレにいかない?』そう言い掛けた時だった。
「変わってもらえる?」
馴染みある、雹みたく冷たく鋭い声が耳に降りてきた。そして、その声は辺り一帯の空気を一瞬にして固めさせ、多くの驚愕たる眼差しをその一身に集めた。
「走順」
その声はそう付け足した。
「………………あ、はい」
声を掛けられたのは田中君らしい。けど、先ほどまでの威勢なんて見る影もなかった。やっと出た言葉がそれだった、そんな感じの声を漏らした。
「ありがとう。スタート位置は時計の前辺りだから、よろしく」
よろしく……、リレー……。氷雨さんの言葉を繰り返すような独り言を呟くと、ようやく田中君の頭の中で話が繋がった様だった。
「……えっと……もしかして全員リレーの話……だったり?」
「そうだけど。駄目だった?」
「あ、いや駄目とかじゃないんだけど……。俺のとこ別に良い場所じゃ無いって言うか。寧ろ悪いくらいなんだけど……。その、大丈夫かな……みたいな」
「気にしてない」
「ーーーーあ、うん」
会話が終われば氷雨さんは、あらゆるものを封殺するような雰囲気を身に纏いその場を去っていった。
もう、さっきまでの居づらさなどはなく、声すら掛けられないまま私は顔を上げてその背中を見送った。
あれから結構探し回ったのに、氷雨さんとは話すどころか顔を合わせることさえ出来なくて、あっという間に本番になってしまった。
只今私たちのクラスの順位は、4番手。8クラス中4位という、正しくザ・ど真ん中な順位。優勝候補と名高かった我がクラスが何故にこんな順位で走っているのかと言えば、バトンミスに続くバトンミス、それに尽きるのだった。そもそも私たちのクラスは『優勝間違えなし!』なんて周りから囃し立てられて調子に乗り、高を括って大した練習もせずにいた。その上、他のクラスが放課後練習に戦略を張った走順で勝負する中、私たちは授業内での最低限の練習のみに、くじ引きで決めた走順。つまり、その結果がもろに今表れてきているという訳だ。
そもそも『優勝候補』というのも、このクラスに運動部の実力者が多いというところから広まったもの。けれど、運動部とは様々あって、運動が出来る人がみんな足も速いのかと言われればそんな事も無いのである。
要するに、我がクラスは詰めや認識、とにかく色々と甘かったのだ。
そんな事を考えながら、青いクラスカラーのバトンを目で追っていると、あれよあれよという間に私の出番がやってきてしまった。
トラックに入り、迫ってくるバトンを不慣れなフォームで待ち構える。
今まで運動会でこんなにも心臓が飛び出そうなほど、息苦しくなるほど緊張したことは正直、無い。ベストを尽くすと言えば聞こえはいいが、ただ自分の身体能力を諦め切って参加するのが常だった。だから、恥ずかしながら順位を意識したことも無ければ、追い抜きに恐怖することも無かった。私の失敗は、転倒、それだけだった。遅い上に転ぶとか無様すぎて目も当てられないから。
けれど、今回は違う。私の走った先に氷雨さんがいる。氷雨さんにはやっぱり少しでもいい順位を渡したい。走ってもらいたい。氷雨さんに最下位なんか走らせられない!だから、その為に、私はベストという名の惰性を捨てるんだ!
長年身についたゴミ精神が土壇場でこんにちはをしてくる可能性は多分にあったけど……。
私は、私史上最高の走りをするんだ!
そう気合を入れて、バトンを受け取った。
4位とは言え、1位から8位までうまい具合に団子状になっている今、いい意味でも悪い意味でも大逆転のチャンスがあるということ。勿論、いつもの私ならあっという間に最下位に落とされていただろう。というか、進んで最下位に行ったかもしれない。走りやすいから。
でも今は、『速く走る』なんて曖昧なイメージは投げ捨てて、もっと具体的で分かりやすく、足をとにかく素早く回すに集中した。
私は空高く飛んでいて、勿論翼なんか無く、飛べているのはこの素早く回している足のおかげ。だから、少しでもスピードが緩まったり、足が絡んで止まったりでもすれば……その瞬間私は真っ逆さまに落ちて――――死ぬ!
やだ絶対!そんな事にはなりたくない!
乙女ゲームで培った抜群の妄想力が功を奏して、私は結構ディープにのめり込んだ。
それで、とにかく氷雨さん目掛けて突き進んだ。
それでも、やっぱり私の横を通り過ぎる陰もあって、逃げる背中をこんなにも悔しく思ったことなんて無かったのに、私はその背中を掴みかかりそうになるほど必死で追いかけた。取り戻せないその差を少しでも広げないように、後ろから迫ってくる人に捕まらない様に、必死で空を飛んで、飛んで。
ようやく氷雨さんの元へと辿り着いた。
「ごっ……ごめんなざいぃ〜〜」
潤んだ視界に映った氷雨さんはキラキラと輝いて眩しくて。飛びつきたい気持ちをグッと堪えて、綺麗な手に違わぬ様、素早く丁寧にバトンを手渡した。
「ーーーーおつかれさま」
周りの声援とか自分の呼吸とかに混じって、いつもより少し柔らかい声。聞き間違えかなと思うくらいの一瞬で、私の涙腺は大崩壊した。
びしょびしょに濡らした瞳に映る氷雨さんは、どこまでも美しくかっこよく。私が抜かされたことなんてあっという間に帳消しにして、男子も混じるその中をものの見事に抜き去って、氷雨さんがバトンを手放す時、その前には誰もいなかった。
「それでは……、2組、リレー優勝を祝して」
「「「かんぱーーーーい!!!!」」」
あれから、氷雨さんの驚異的スピードで1位に躍り出た我がクラスはその勢いに乗って、トップの座を死守し続け、期待通り優勝を手にしたのであった。
最初があまり芳しくなかった事もあり、氷雨さんからの猛追撃は自他共に認めるドラマチックな展開となって、運動会終わりにそのまま打ち上げを開催しちゃうくらいに盛り上がった。
ジュースやらお菓子やらを持ち込んで、いつもの教室で行われるちょっとしたパーティー。教室だからこそ、参加してくれるという人も多いのだろう。特に氷雨さんなんて、放課後とか休日開催なら絶対に参加してなかったと思う。
そんな氷雨さんは、リレーでの輝かしい活躍でその人気をさらに集め、また控えめだった周囲からのアプローチも、この『運動会』『優勝』という言葉によってその雰囲気とテンションで、かなり積極的なものになっていた。有体に言えば、衆望を担う王子様。そんな画が広がっていた。
そんな様子を、私は少し離れたところから麻子ちゃんと美子ちゃんと眺めていた。
「なんだあれ。氷雨、すっかり人気者じゃん」
「まぁ、今日の氷雨さん、とてもかっこよかったものね」
「いや、そうだけどさ」
腑に落ちていないような様子の麻子ちゃんに、美子ちゃんが首を傾げる。
「氷雨って、あんな感じじゃ無かっただろ?ああいう囲まれるのとか、チヤホヤされるのとかさ。前だったら蹴散らしてただろ、嫌な感じでさ」
「うーん、今日のでタガが外れたんじゃない?」
「そういうもんかぁ?」
「そういうものよ。だって本当にかっこよかったもの。ね?」
そう言って私に目配せをする美子ちゃんは、多分リレーの事ではなく、その前の事を言っている気がした。
「……うん」
思い出すと少し顔が熱くなる。そんな姿に麻子ちゃんの呆れた声が飛んできた。
「はぁ〜〜、お前達もかよ。私には氷雨の良さがさっぱり分からないね」
そう言って少し口を尖らせる麻子ちゃんは、そのサバサバした性格から結構あった女子人気を少し奪われてちょっと悔しそうにも見えた。
「優しいからね。氷雨さんは」
言いながらちょっとだけ寂しくなる。
けど、麻子ちゃんが、すかさず突っ込んでくれた。
「氷雨がぁ?」
「うっ、うん!実は凄い優しいんだよ、ちょっと天然なところもあるし……」
「ふーん、全然そう見えないけどな」
「だから、『実は』なんだよ」
「ふふっ、ひめりちゃんは氷雨さんのことをよく見ているのね?」
朗らかな笑みの美子ちゃんに私は胸を張って声を大にする。
「勿論!私、氷雨さんのこと大好きだからね!」
「あーはいはい、それはよく分かってるって」
麻子ちゃんは面倒さそうに答えると、手をひらひら振った。
「ほら、大好きな奴があんなにチヤホヤ囲まれてて良いのかよ。さっさとお持ち帰りしてこい」
「おおおお持ち帰りって!麻子ちゃん、なんて事を!!変態!ハレンチ!!」
「はぁ!?別に連れて帰れって意味で言っただけだろ!そう言うこと言う方が変態なんだよ!ハレンチ!」
麻子ちゃんの小学生の言い合いみたいなノリにまんまと乗せられて「なにをーー!?先に行った方がハレンチなんだよ!?」と言い終えたところで美子ちゃんの一言で頭が一気に冷えた。
「でも、早く行かないと、本当に氷雨さん連れていかれちゃうかも」
そう言われて見た先で私は固まった。
せっ………………接触!?
さっきまでは見られなかった腕と腕、手と手、なんだか色んなところに皮膚接触が確認される。さっきまでは囲まれて、飲み物とかお菓子を渡されて話かけられて、それだけだったのに……!
そう思えば私は咄嗟に分厚い人壁を掻い潜り、氷雨さんの所まで突っ込んで行っていた。
海の時を思い出して、私こんなんばっかだな……とか思いながらも捻じ込んで。
周りから軽いブーイングを受ける中、私は僅かに空いていた氷雨さんの右腕を掴むことに成功した。
そして、グイッと引っ張って。
「氷雨さん!一緒に帰ろ!!」
私はそのまま氷雨さんを連れ去った。
引っ張る腕に重さは感じなかった。
いつもお読みいただきありがとうございます!




