13.氷雨さんと温泉旅行5
息苦しさと全身の痛みで目が覚めた。
「うぅ……。何だ……これ」
目を開ければ、見慣れない天井が広がって。そして、確かに私を押しつぶす重みを全身に感じた。それは覆い被さるように私の上で安らかに眠っていて。息をすれば同じシャンプーの香りが鼻をくすぐる程には顔が近くにある。
寝息って、こんなに高原のそよ風みたいなやつ出せるんだ。素直に感心していると、段々と腕の感覚が鈍くなっていくのを感じた。
「氷雨さーーん、朝ですよーー」
優しく声をかけてみた。耳元でそこそこの声量は出してるっていうのに、眉ひとつ動かさない。
物理的刺激が足りない?
「氷雨さーーん!起きてーー」
痺れかける腕と脚を懸命にバタつかせてみる。私の上で氷雨さんが微妙に揺れてちょっと向きが変わった。でも、ただそれだけ。
いや、無理……。段々と腕が重くなる。
とりあえず脱出しよう。そう思い、身じろぎしながら結構強引に試みる。少し格闘して、ようやく、ゴンッという恐らく氷雨さんの頭辺りが床にでもぶつかった音と共に、私は自由の身となった。身体の中を血がくすぐっていく。じわじわくるその感覚を少し楽しんでいると、横で氷雨さんが起き上がる。
流石に起きたか、お寝坊さんめ。
「おはよう氷雨さん」
格闘の末はだけた浴衣を直しながら声を掛けると、まだ光が差さない瞳がこちらに向いた。
「おーーい!大丈夫?起きてる?」
目の前で手を振るもこくりと頷くだけだった。
大丈夫か、これ?
仕方無く起き上がって、障子を開けてみる。眩い朝日が鋭く部屋に入り込んで。
「うぅっ」
氷雨さんは険しい表情で唸ると、陽を浴びた吸血鬼みたいに布団に突っ伏した。
「ほら!早く起きないと朝ごはん来ちゃうよ」
「わ……かっ……た」
虚な目で顔を上げ、消えそうな声でする返事に説得力など全くなく。
「も〜、そんなぼんやりしてたらあっという間に旅行、終わっちゃうんだからね!」
と釘刺した……のに。
その言葉通り、私たちの旅行は本当にあっという間に終わってしまった。それは何も氷雨さんが寝坊助さんだったからという訳でもなく(ちょっとあるけど)、旅を普通に楽しんでいたら気がつけば終わってしまっていたという訳だ。
私達は、ひまわり畑を散歩した、足湯に浸かった、通りがけのお店で特大ソフトクリームを平らげた、それからまた海に行って夕日を見た。念入りに日焼け止めを塗る氷雨さんを見ては、氷雨さんの中に私との時間が残っていることを感じて嬉しくなった。
そうして、気が付けば、いつの間か帰路に就いていて。え!もう?なんて焦った頃には、あっという間に自宅のソファで仰向けになっていた。勿論、隣に氷雨さんはいない。
途中で何度も『もっとゆっくり』と思っていたのに、それすらも思い出になって、強い寂寥感が広がっていく。
2倍速でアニメを見たみたいな呆気なさ。
ううっ、また早く氷雨さんに会いたい。遊びたい。
そう思って数週間。旅行からは結構時間が開いた頃。
私は氷雨さんの家を訪ねた。
インターフォンを押して、中から出てきたのは、氷雨さんでもお兄さんでも無くて。
シルクのように滑らかで輝く金髪、ぱっちり開いたヘーゼルアイ。
まるで異国のお人形さんのような、どえらい美少女が立っていた。
「あら?どちら様?」
首を傾けて、綺麗な髪がサラサラと片側に揺れる。高く透き通った声はまるで天使を思わせる。
「あっ……えっと。私、隣に住んでいる花竹ひめりといいます」
氷雨さんとはまた違った美しさ。思わず見惚れて自己紹介した。
「あぁ、貴方が。はじめまして」
凄い。笑うだけで花が咲いた様だった。これぞまさに天使の笑みだ。
「は、はじめまして!宜しくお願いします!」
「ふふっ、何が宜しくなの?」
可愛い!口に手を当てて笑う感じなんて、絵に描いたようなお嬢様だ。少しミステリアスな感じが氷雨さんと似てて。親戚かな?だとしたら、美の血があまりに濃い、凄い遺伝!そうでなくても、最強の類友。
「それで、今日はどうされたの?」
「あ、はい!氷雨さんに用事がありまして」
「――所詮、苗字呼び」
「え?」
今なんか……。
「失礼。それで深王ちゃんにどの様なご用件で?」
キラキラした優しい笑顔。聞き間違えだよね。心なしか『深王ちゃん』部分の声量が少し大きくなっている気もしたけど……うん、気のせい。
「あっ、えっと。ちょっとしたお誘いというか……なんというか」
「そう」
「はい……」
「用件は分かったわ。それではとりあえず、お帰りいただけるかしら?」
ずっと手のひらを外へ差し出す美少女。
んん!?
「あ、あの……、私、氷雨さんに用事が……」
「ええ。聞いたわ」
「じゃあ……」
「お帰りいただけるかしら?」
いや、何で!?
思わず口に出しそうになったのを頑張って引っ込めた。
「深王ちゃんはいないわ」
「あ……、そうだったんですね」
一瞬、嫌がらせかと思っちゃった。
「ええ。だから、出直すといいわ」
「あっ、ありがとうござ――」
「100年後くらいに」
「やっぱり、嫌がらせ!」
「あら、失礼な。親切心を無下にするなんて、とことん性根が腐っているのね。これじゃあ、深王ちゃんがいても会わせなくて正解だわ」
「いや、100年後とか絶対おかしいでしょ!そもそもこの家に居るかどうか自体怪しいし!」
「さぁ?それなら、80年後とかにしたら?」
「そんなに変わらんわ!」
「貴方、本当にうるさいわね。そして面倒くさい」
誰のせいで……!
「それで、結局、氷雨さんはお家にいるんですか?いないんですか?」
「だーかーらー、いないって――」
「椿、何してるの?」
姿は見えずとも、空いた扉から聞こえる久しぶりの氷雨さんの声。
「今ーー」
言おうとすると、慌てて扉を閉められた。そして、見るからに焦った様子で。
「今のは『むおちゃん』。深王ちゃんの双子の姉よ。姿形だけでなく声質だって似てるから聞き間違えね」
氷雨さんと話すようになってまだ数ヶ月。されど数ヶ月、隙あらばできる限り一緒に過ごす様に心掛けてきた。でも、双子だなんて、お姉さんだなんて、一度も聞いたことも見掛けたこともない。それに、あんなの2人といてたまるもんか……!
「そんなことはーー」
「あるわ」
「ない!……かも」
正直自身はあまり無い。氷雨さんの知らない一面を少しずつ知って行っている自覚はあるけれど、それがほんの一部だなんて事は当たり前のことだから。
「随分自信がないじゃない。とりあえず、帰っていただける?」
「いやです!」
「帰って!」
「いやです!帰れと言うなら『むおさん』に会わせてください!」
「無理!」
「何で!」
「無理なものは無理なの!」
一切引かぬ言い合いがヒートアップし続けていた。そんな時、扉が開いた。
「2人ともうるさい」
そして中からは、どう見ても氷雨さんとしか言いようのない完成された美貌が登場する。でも、一応……。
「『むおちゃん』?」
「……誰」
極力表情筋を使わないその冷め切った表情。そして、凍っちゃいそうなくらいの涼しげな声。
これは。
「氷雨さん!!」
「久しぶり。花竹さん」
感動的久しぶりの再会の横で「チッ」と舌打ちが聞こえた。
こうして、私の雲行き怪しい夏休み後半が始まったのであった。
■おまけ■
「そういえば、昼間はなんかごめんね」
1日目夜、ふかふかのお布団に身を預けながら氷雨さんに謝った。
「何が?」
眠いのか、少し気怠そうな声が返ってくる。
「ほら、写真。なんか一緒に撮るの渋っちゃって」
「別に」
清々しいほどに興味なさそうな声だった。けど、それが今は心地よく、だからこそ私もつい続けてしまう。
「私、写真って苦手でさ」
「そう」
「それで、1つ気になってたんだけど……氷雨さんも写真、苦手だったりするのかなって」
「別に」
「……そっか」
「何で?」
「1人で撮るの嫌がってたから、なんとなく」
そう言って横を見てみると、氷雨さんは目を閉じていた。もう返事は返ってこないかなあなんて、私も目を閉じてみれば、少しして氷雨さんの声が耳に広がった。
「私1人の写真なんて持っている人は持ってるから、あまり価値があるように思えないだけ」
「えっと……それは」
友達とか家族とか?って言おうとして、昼間の光景が蘇った。――隠し撮り。そちらの方が、氷雨さんの言葉にしっくりくるような気がした。そんなことをされる気持ちっていうのはよく分からないけど、まぁ嫌なんだろうなぁとは思う。それに、それで一緒に撮ってくれたということは、僅かばかりでも一緒の時間に価値を見出してくれたのかなと思うから。
私は、布団から飛び起きて目を瞑る氷雨さんを見た。
「じゃあ、これからは私とのツーショットばかりにしないとね!」
「……まぁ期待してる」
そう言いながら背を向けた氷雨さんの横顔は口元が少し笑っているようだった。
そんな雰囲気に私も心地よく、再び布団の中へ潜り込もうとした時のこと。
氷雨さんが思い出したかのように呟いた。
「あ、でも……そもそも、花竹さんが危ないんだった」
「…………え!私、警戒されてた!?」
いつもお読みいただきありがとうございます!!
これで温泉旅行終わりです(^^)




