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憤怒。
それは怒りが極限まで高まり、噴出した状態をさす。今のヴェナトルを例えるのに、丁度よい言葉だった。
怒りは一時的感情でしかない。長く保つことは出来ず、やがて治まる。しかし、ヴェナトルの怒りは違った。根底に憎悪がある。憎悪は決して消えることはない。報復を望む悪しき感情は、安寧の時を忘れ、復讐に狂う。
「なん、だか! 知らないけれど! 」
ユミの命を刈り取ろうと、左の爪が今までにない速さで繰り出される。これが両手であったなら、ユミに勝ち目はなかったかもしれない。が、先に右手を潰していた事が功を奏した。
とはいえ、振り子のように揺れる右手の軌道が読み切れず、些か被弾してしまう事は止むを得ない。
「私、貴方達の王様なんて知らないし! 」
防戦一方になりながらも、勝機を探し、爪を往なす。
「誰も裏切ったことなんて、ないわよ! 」
爪の間に剣を差し込むと、力いっぱい腕を上に振り抜き<衝撃波>を放った。
鈍い音がして、アーツの勢いに乗せられたヴェナトルの左手が後ろへと持っていかれる。当然、腕と繋がる彼の体も、後ろへとバランスを崩しよろめいた。
「<迅、ひぁっ?!」
ヴェナトルに出来た隙を逃さず、首を狙いに踏み込んだ瞬間、その足が砂に滑った。思わず右手をつき転倒は免れるが、左膝を曲げ、右足は斜め後ろに大きく引いた状態のユミは、自分に出来た隙の大きさに青ざめる。
「嘘……」
見上げたユミの目に、ヴェナトルが爪を突きたてようと振り被る姿が見えた。
回避しなければ。という思いが、咄嗟にユミの手から剣を離させた。
『パワームーブ』が発動する。
『パワームーブ』はスキルでも、アーツでもない。格闘スキルのオートで発動する補助効果だ。システムアシストが、双剣を手放したユミの動きを回避から格闘攻撃へと転じさせた。
このゲームの格闘モーションは、ダンサーが行ったと思われる動きが多い。
開脚旋回から、倒立した状態で回転するスピンタワーに繋げ、迫るヴェナトルの顎を揃えた踵で蹴り飛ばした。
格闘スキルは、他のスキルと違いアーツに独特の動きが決められているものが多い。体が勝手に動くことを嫌うプレイヤーは、パワームーブをOFFにしているか、そもそも格闘スキル自体を取らないかしている。しかし、ユミのようなタイプは喜んでその効果を享受していた。
まず、自分では出来ない動きを体がしてくれるのだ。緊急回避手段の奥の手として、ユミはこのシステムを利用していた。
但し、パワームーブは格闘スキルに付随する為、格闘武器を装備するか、素手でないと発動しない。故に、彼女は咄嗟に武器を手放した。
「取っててよかった、格闘スキル」
倒立状態から身を起こすと、ユミは即座に双剣を拾い、仰向けに倒れたヴェナトルから距離を取る。
「……」
剣を構え、様子を見るがヴェナトルが起き上がる気配はない。それでも警戒は解かず、ゆっくりとヴェナトルに近付いていった。まだ息があるらしく、盛り上がった胸が僅かに上下している。
生気の消えかけた濁った眼は、もうユミを映さない。呆気ない幕切れであった。
「……お疲れ様」
無防備に晒された、太く短い首を躊躇いなくユミは踏みつけた。
砂漠の狩人、ヴェナトルについての噂は多くはない。
朽ちた神殿の神官だったとも、守護兵士だったとも言われている。
彼らが生きた時代は、神代まで遡る。その頃のテレネウンネフェルは、今のような砂漠ではなく緑に満ち溢れていた。
朽ちた神殿は、後世の者がそう呼ぶだけで、本来は神を祀るだけではない、王も座す王宮だった。
神と対話できる唯一の存在として、テレネウンネフェルを治める王家は絶対の支持を受け、君臨していたという。
豊富な資源と人材に恵まれた国は、神の寵愛の元、栄華を誇っていたそうだ。
それが、突然の滅亡を迎える。
森は枯れ始め、湖や川は干上がり、神から下賜された竜が姿を消した。やがて王宮は炎に包まれ、一つの歴史が幕を閉じる。
神の寵愛が薄れた地ではモンスターが跋扈し、人々は争い、その数を減らし続ける。人は、己が手をもって、神の声を聞く耳を塞いだ。
この争いで、非業の死を遂げた者たちがヴェナトルに姿を変えたのだと言い伝えられている。
また、閉じられることがなかった死者の目が、ステュクスという目玉型のモンスターエネミーとなったとも、ゲーム内に鏤められたテキストとNPCの噂話で語られていた。
死して尚、彼らはテレネウンネフェルの地を守り続ける。
ここまでが、ヴェナトルに関しての話だ。
この話には続きがある。
故郷を失い、流浪の民となった人々が縋り、導きを求めたのが神の血筋、初代マーガレット・マルガリテスである。彼女は、当時の王家の血族の中で一番の魔力の持ち主だったが、王家の直系ではなく傍系であったため、神の寵愛からは外れているとされていた。
そのため、彼女が如何に賢く、聡明で慈悲深い心を持っていたとしても。王家の竜が彼女にだけ、額に触れることを許していたとしても。直系ではない彼女が、王位に就くことは許されなかった。
しかし、皮肉なことに王家は滅び、マーガレット・マルガリテスは彼女を支持する民に守られ生き残った。彼女は長い旅路の果て、マルグリットを建国する。
時はまだ、神代の終わり。巨人が闊歩する最後の時代だった。
彼女が安寧の地と定めたのは、現・帝都マルガリテスとワルターの首都、グランカスターの中間辺り、今は『迫害されし民の迷宮』と呼ばれる場所であった。
リッシュ平原に暮らす巨人が全て、人に友好的であるわけではない。知恵の足らない大喰らいの巨人は、飢えを満たすため動くものは何でも口に入れた。
巨人を畏れたマーガレット・マルガリテスは、彼らが人の味を覚え、攻めてこないように旧マルグリットとリッシュ平原の間に堆い城壁を築き、そこに守備隊を派遣した。二百人もの人数を支える宿営地には、商人以外の人間も仕事を求め集まってくる。監視用の城砦の内側に村が出来、やがて子が生まれ、村は街へ発展していく。
時が過ぎ、城砦はその壁をより強固な物へと変貌させ、周りの街を巻き込み城郭都市へと姿を変えた。
初代マーガレット・マルガリテスの統治は、百四十年続いたという。彼女が神の血筋ゆえに長寿だったのか、はたまた一夜で湖の水を干上がらせる事が出来ると言われた魔力の持ち主だったからかは判らない。
彼女が死を迎える前の年、マーガレットはそれまでの土地を捨て、人々を率い北上する。そして、今あるマルグリットの土地に住む先住民を異教徒と断罪し、その場に新しく国を築いた。
それが、神秘と奇蹟の国マルグリット帝国の白亜の都、マルガリテスだ。
初代マーガレット・マルガリテスの死を契機に、城郭都市は独立を宣言する。
ワルター公国の誕生であった。




