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33 海底へ(海溝の底)

 ■システィーナの視点



 生きている……彼は必ず……生きている……。

 私はその思いだけで、深く、暗い、海溝の底へとやって来た。生きている……絶対に、生きている……。



 暗く重い海床の底は白い砂で覆われ、光の精霊の輝きに煌めく。彼もどこかで、この白い砂を見ている……。絶対に……この白い砂を触って、感触を確かめている……。



「よしシスティーナ、東の方向へ行くぞ!」

「お願い……!」



 彼が亀竜に連れ去られてから、およそ四十分余り。彼が亀竜を倒すには充分な時間だ。きっと……きっと、私たちが来るのを待っている! いつも……いつも、私を置いて先に行って……笑顔で待ってるの……ちゃんと待ってるの……今回もそう、きっとそう。



 陰鬱な暗い海床は、先程までのマリンスノーが嘘のように引き、重い重い水の層を湛えている。私と肩を組み海床を泳ぎ進むディートリッヒが、暗い夜の世界でそれを指し示した。



「見よシスティーナ。マリンスノーがないのは、あれが影響しているからだ」



 白い砂底には巨大な貝が鎮座していた。横幅が三十メートル超、高さが十メートルくらいある巨大な二枚貝だ。二枚貝からは大木のごとき太い太い入水管が天に昇り、マリンスノーを含む海水を大量に取り込んでいる。



「これだけクリアなら、龍を探しやすくなる! 必ず見つけるぞ!」

「うん……うん……!」



 生きている……必ず生きている……。一刻も早く……彼に追い付きたい……彼は暗い海床で、私たちを待っている……。暗いなぁと言いながら、あくびをしながら待っている……早く明るい光でこの海の底を見せてあげたい。



 光が白い砂の隆起を映し出し、岩の影を怪しく動かす。貝の隙間からは、ヒモが手招きしているかのようにビラビラしている。おいでおいでしているの? コックリがそこにいるから? お願い、探してよ!



「泣くなシスティーナ! 泣いている暇があったら、探せ!」

「……泣いて……ないもん……!!」



 私は袖で目をぬぐった。必ず彼は生きている。ディートリッヒは力強く海を泳ぐ。私たちは太い煙突が乱立する海の底を、ひたすらに進む。彼はきっとお腹をすかせて待っているわ……早く何かを食べさせてあげたい……。光る海を調べ終えて陸に戻ったら、食い倒れるまで手料理を食べさせてあげたい。

 私はコックリの姿を探した。



「システィーナ聞こえるか!? 何の音だ?」



 音のない海床……そこに……音が響く……これは……金属の音!



「金属の音! 金属の音よ! もしかしたらコックリかも!?」

「よし行こう!」



 私たちは音の鳴る方へ進む……すると……金属の音の正体が……姿を……現した……。



「な、何だコイツは…………」



 足が長い……足だけで十メートルはある巨大なヤゴのような、体の長い昆虫が海底を歩いてきていた……。体高は、巨大な貝よりもさらに高い……ヤゴは青銅のような金属的な殻をまとっていて、二十本くらいある足を複雑に動かし進んでいた。



「と、とりあえず……刺激しないよう進もう……」



 ディートリッヒはヤゴの化け物の遥か上を泳いで通過する。早く……彼の元へ……彼の元へ行きたい……。彼は生きているけれど……もし万が一、疲れて眠っていたら……その時こんな化け物に襲われたら……。彼はこんなところで眠るような人じゃないけれど、もし万が一気を失っていたら……もし、万が一……。



 ディートリッヒは力強く泳いでくれている。ゴメンね……私も泳げたらいいのに……。



「気にするな、私こそ貴女に謝るために、望んで行動しているのだ。私に謝るくらいなら、龍を探せ!」



 ありがとう……ありがとう……。コックリ、出てきてよ……もっともっと話しをしたいよ……。イタズラっぽいあの笑顔で、私を見つめてよ……。キスだってもっとしたいよ……ヴェネリアでキスしてくれた以来してくれてないじゃない……。コックリ……早く出てきてよ。



 侘しく重苦しい水の底を、進む……。

 すると、暗い水床におびただしい数の小さな魚獣や甲殻をまとった昆虫獣が、巨大な何かに群がり乱舞していた! ああっあれは!



「亀竜の首よ! もう一つの亀竜の首!」

「ああ! 龍はあの状態から亀竜の首を叩き斬ったのだ!」



 そう、コックリは……! あの状態から……さらに亀竜のもう一つの首を落とした……強いから……彼は、強いから……!



 魚獣の稚魚とおぼしき小さな魚獣や青銅の鎧をまとった昆虫たちは突然のご馳走に狂喜乱舞するかのように、巨大な中の首に群がり、貪り食っている。



「龍はどこだ!? 亀竜の首の近辺に、龍の姿は見当たらない! というか亀竜の胴体はどこだ!? 首を落としたら絶命したということだろう?」

「いえ……いえ、違う……! コックリが以前言っていたわ。多頭竜の頭は、物を見たり呼吸をしたりする程度の機能しかなくて、行動を司る大脳は体の中にあるって……!」

「なんだと!?」



 ヒュドラなど頭を沢山持つ竜が、それぞれ別々の頭の考え通りに動いていたら、チグハグな動きになり行動不能になる。でも実際には進みたい方向にちゃんと進んでいるのは、本当の頭が体の中にあって、それが統率しているからだ……って言っていたの。



「つまり、頭を落とした程度では、亀竜の動きは止まらないの!」

「な、なんと……では龍はまだ先に?」

「ええ、行きましょう!」

「あ、ああっ!」



 ディートリッヒは岩石のような、巨大な甲羅を持った亀竜の胴体を……その中にある大脳を……倒せたのか不安に思ったのだろう。でも彼なら倒せる……彼なら、倒せる……絶対に倒せる!

 私は、信じる……コックリが亀竜を倒すと、無事な姿で私たちを待っていると……信じている!



 私たちは黒く重々しい海の底を、進む……。

 沈鬱な海床を、進む……。

 荒涼とした寒い水の底を、進む……。



 海床は寒い……。だから、だから彼の体温を感じていたい。温かい、彼の体温を……。そばにいるだけで私をも温かくしてくれる彼の体温を……。彼は温かいの……体も……心も……。全てが温かいの……。私が気絶していたとき、彼は温かい体で私を温めてくれていたの。だから、今度は私が、彼を温めてあげたいの。



「システィーナ、見よ。沈没船だ!」



 光の中、白い砂に半ば埋もれかけた巨大な帆船が横たわっている。岩と崖に挟まるような形で、しっかりと固定されその沈没船は眠りについている。



「何だアレは?」 ディートリッヒは目を擦った。「タツノオトシゴ……か?」



 沈没船の影で揺らめく影をみて、ディートリッヒはつぶやいた。その影は、体長五メートルほどで……全身を華麗な鎧で着飾っている流麗な海の獣だ……。燃え盛る炎のように美しい赤色のタツノオトシゴと青嵐を具現化したような青色のタツノオトシゴが、沈没船の影で何かしている……。



「沈没船を……沈没船の中を、探っている……?」



 二頭の美しいタツノオトシゴは、沈没船に開いた巨大な穴に触手を伸ばして何かを探っている……。



「ヤゴに比べれば可愛いものだが……近づかぬ方が良かろう……」



 ディートリッヒは再び東へ向け泳ぎだした。今はコックリの無事な姿を、亀竜の骸を探すことが先決だ。コックリ……待っていて……。すぐに、すぐに追い付くわ。今見た美しいタツノオトシゴの話をしてあげる……きっと彼も、見たいと言うわ……うらやましいと言うわ……だって、彼は好奇心旺盛なんだもの……。その好奇心を、私にも向けてくれたらどんなにうれしいことか……どんなに幸せなことか……。



 優しい眼差しで私を見つめて、私の心と体を熱くしてほしい。待ってたよって、遅いよって……。

 彼の匂いに包まれていたい。



「システィーナよ、気づいているか?」

「え!? コックリがいたの?」

「いや、周りのことだ」

「周り?」

「少しずつだが、明るくなってきているぞ」



 ああ……ああ本当だ。周囲が少しずつ、明るくなってきている……。暗い重苦しい陰鬱な海の底が、夜明け前のほんのりと明るい濃紺色の世界へと変わってきている……。



 近づいてきている……光る海に……。やはり彼の考え通り……東に進めば光る海に到着するって……。東に進むことで、少しずつ……少しずつ……ほのかに明るく……。


 そのほのかな明かりのおかげで、海溝の断崖のシルエットがうっすらと……うっすらと……姿を表している。それは故郷の峻険なリートシュタイン山系にある、大峡谷に見まごう美しいシルエットだ……。



「明るくなれば、亀竜の骸を探しやすくなるぞ」

「うん……うん……」



 私たちは明るくなり始めた海の底を進む……。明るくなるにつれ、海底を泳ぐ魚たちにも変化が見え始めた……。魚獣やその稚魚が減り始め、昆虫のような魔物もまた減り始め、一般的な大型の魚が増えてきたの。狂暴な肉食の魚獣にとっては、明るい海より暗い海の方が過ごしやすいのかもしれない。暗い海の方が姿を隠しやすく、狩りがしやすいだろうから……明るい海には魚獣が少ないのかもしれない。だとすると、コックリが万が一気絶していても……大丈夫……かもしれない……。

 私たちは海の底を進む……。周りの景色は徐々に……徐々に……明るくなっていく……。



「凄いな、こんなに明るくなるとはな」



 そう、例えるなら藍色の世界だ。海溝へ着いた時、そこは黒色の世界だったけれど、徐々に徐々に黒色から濃紺色に変わり、今や藍色の世界へと変貌を遂げつつある。光の精霊がなくても、百メートルくらいの広範囲でシルエットが分かる。



「コックリ……どこ……コックリ……」



 藍色の世界には、一メートルくらいの中型の魚たちが群れをなして泳ぐ。美しい光景だ。コックリも……コックリも見ているよね……? これなら私たちを待っていても、退屈じゃないよね……。もうすぐよ……もうすぐ着くから……待っていてね……。



 私たちの周りにも、中型の魚たちが寄ってきて、一緒になって泳ぐ。魚さんたち、人を探してほしいの。大切な人なの……。



「システィーナ!」



 ディートリッヒの緊迫した声に、私の心臓は数回大きく脈動した。ど、どうしたの!?



「か……海底が……」



 ディートリッヒが……震える指で……海底を指差す……。



 そこには……大きなものが……墜落してきて……擦りながら進んだような……長い距離をえぐったような……巨大な……痕跡……。



 深い……深い……砂を掻き出したような……深い……痕跡……。



 私の脈動は……激しく……激しく……ただただ……激しく……。



「ディー……トリ……こ……この……先に……」

「あ、ああ……ああ……!」



 巨大な何かが通った跡を……私たちは……。



 勢いよく砂底をえぐりながら進んだ跡を……私たちは……。



 藍色の世界に……そのシルエットが……。



 巨大な……楕円形の……まるで記念碑のような……輪郭が……。



 砂底で……。



「亀竜の……骸……」



 白い砂底に……首があった部分を半ば以上、砂底に埋没させた亀竜の骸が……コックリがぶつかった場所を、砂の中深くに埋もれさせた亀竜の骸が……



 私たちの目の前に…………






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