32 海底へ(海溝の中2:ディートリッヒ)
■海妖精ディートリッヒの視点
巨大な竜の魔物に吹き飛ばされた我々は! 漆黒の海溝の方へと吹き飛ばされた! ふおあああっ! 私は、水馬から投げ出された! ふおあああっ! 巨大な渦に巻き込まれたかのごとく、どこが天なのかどこが地なのか、分からなくなるほど! メチャクチャに吹き飛ばされる!
システィーナよ! 龍よ! どこだ!? 無事か!? その時、暗闇の中で、龍が叫ぶ!
「シイイイスッッ! ディイィィッッ!」
すぐに暗闇の中から、システィーナの声も上がる!
「コックリイィィ! ディートリッヒイイ!」
「システィーナ! 龍よ!」
どこだ!? 声の方向はなんとなくしか分からん! その時、光の精霊が! システィーナ、そこか! 私の斜め横数十メートル! 彼女も落馬している!
「待てっ! まだ早い!」
「えっ!?」
「光に寄ってくるぞ!」
ゴボボボボボボボッッ!
不吉な音が響いたとき、私はメタモルフォーゼの魔法を唱えた! これは海妖精にのみ伝わる形態変化の魔法だ。私の下半身は、青い鱗をもった魚の体に変化した!
次の瞬間、上方で眩いばかりの黄金色の光が膨らんだ! 龍だ! 龍が亡者を祓った時のあの魔法を唱えたのだ! 龍は左手で黄金色の珠を何発も射つと! あの金色の花火が辺りを照らす! そしてその花火の中を、恐ろしい、巨大な岩の塊が突撃していく!
龍は! システィーナを庇うために! 自ら囮にっ!
ドゴンッッ! という音がして、巨大な竜の首が一つ飛んだところが見えたが……ふおおおおっ……龍が……龍が……!
「嫌あああぁぁあッッ!!」
システィーナの、魂から絞り出したかのような大絶叫が……心が締め付けられる金切り声が……!
その時!
ゴゴゴゴゴッッ!
今度は私たちが落ちる谷底のどこからともなく、大地を揺るがすかのような音が響き始めた! 次は何だ!? 何が起きている!? 分からん、があきらかに何かマズイッッ!
「システィーナ! 光を消せっ!」
だが彼女は、それどころではなく、頭を押さえまだ絶叫している! くそぅっ! 私はシスティーナめがけて全力で飛び込んでいったその時!
彼女の光の精霊の届く範囲に、不気味な影が入った!
怪しく蠢く不吉な影! うなじがチリチリする底気味悪い影! あれは!? あれは!? あれは何だ!? ふおお、あれは!
「ワームだっ! システィーナ、光を消せ!」
虫酸が走る気持ちの悪い、ムカデのような複数の節に分かれた体! だが平べったい体ではなく、丸い団子が何個も何十個も連なったような、どちらにせよ気持ち悪い体だ! そして見るだけで不快になる鞭毛が体のいたるところから飛び出てウネウネウネウネ蠢いている! ふおおお、一つの節が私の身長くらいある!
「嫌ああぁぁああっっ! 嫌ああぁああっっ!!」
「システィーナアァッッ!」
彼女はワームの接近さえも意に介さず、泣き叫んでいる! ふおぉっ鞭毛蠢く不快なワームがシスティーナに迫るっ! ワームの口は大きく開かれ、体の奥まで不気味な、気色の悪い牙が並んでいる! 鋭い牙がワシャワシャとうねるように動いている! ぐおおお、全身が総毛立つ! 間に合え!
「ふおぉああああっ!」
私はシスティーナに体当たりするように、全身で彼女にぶつかり! 眼前の暗闇の海へと飛び込む! 次の瞬間!
ガボッッ!
と大きな音を立て、システィーナがいた場所に巨大なワームが飛び込んできていた! ふおおおおっ! 間一髪だ! しかし、彼女が移動することで光もまた移動する。再び真横の大地が鳴動する音がすると、斜め上から別の巨大ワームが口を広げ襲い掛かってきた!
ガボッッ! ガボッッ!
システィーナを抱えながら体をひねり避けると今度は斜め下から、別のワームが! くそっ、この崖は汚らわしいワームの棲みかだ! 上から下から! 次々にワームが襲い来る! 崖から離れなければ! 私は体をひねり、ワームの攻撃を避けながら、ジグザグに泳ぎ、海溝の崖から離れるように、かつ海溝から抜け出すように上へ上へと向かう! 私は全力で尾を動かし、ワームの崖を脱出する! よし!
「嫌ぁあっ! 嫌あぁっ!!」
脱出したと思ったその時、ブチブチッッ! ブチブチブチブチッッ! と何かが引きちぎれる音が! 次は何だと警戒すると、頭を抱えて泣き叫ぶシスティーナが! 美しい金髪が! 頭を、髪を握りしめることで、髪がブチブチと引きちぎれている!
「待てっ! 落ち着けっ! システィーナ! 落ち着けっ!」
「嫌ぁあっ! 嫌あぁっ!!」
龍の行動が、彼女を助けるための行為だと分かったのだな。それは支えになりたい、龍のためにありたいという想いとは逆の結果。彼女は正気を失っているのだ。彼女は頭を振りながら、髪を引きちぎりながら泣き叫んでいる!
「嫌ぁあっ! 嫌あぁっ!!」
「落ち着け!」
ゴチンッ! と私は彼女の額に頭突きした。ぐおぉっ額が痛い! 頬を叩きたいところだが、彼女を抱えたままでは叩けん! だが彼女もやっと我に返った!
「ディ、ディートリッヒ! ああっディートリッヒ! ああっどうしよう! わ、わた、私のせいでっ! ココ、コックリがっ! ああっコックリがあああ!」
「落ち着けっ! まずは光を消せっ! いや、下に向けて降ろせ!」
システィーナは泣きながら光の精霊を海溝へと降ろす。おそらく今は海溝の上百メートルほどだ。ふおおっ、気色の悪いワームどもが、海草のごとくワシャワシャ蠢いている。ああっ体が痒くなる!
「はぁっはぁっはぁっはぁっ! コックリがっ! コックリがっ!」
「落ち着けっ! 深呼吸しろ! 息を整えろ! 龍は大丈夫だ!」
「はぁっはぁっはぁっはぁっ! でもっ! でもっ!」
「でも、じゃない! お前が龍の無事を確信せんでどうする!? 龍の死がお前の確信かっ!? これがお前と龍の帰結か!?」
「違うっ! はぁっはぁっはぁっ! 違うっ!!」
「そうだ! ならば自分が何をすべきか、分かるか!?」
「はぁっはぁっ! 分かる! 彼を信じっ! 探すっ!」
「そうだ、その通りだっ! 探す方法はどうするっ!?」
「はぁっ! 光の精霊による目視!」
「よしっ! 探すのは海中か!? 海底か!?」
「彼なら! 必ずあの竜を倒す! 倒したなら海溝の底に竜の骸がある! その近くにいるっ!」
「よしっ! では行くぞ! 光の精霊を出すぞ!?」
「分かったっ!」
私とシスティーナは、それぞれ五個ずつ光の精霊を呼び出した。光が届く範囲は、半径十メートルほど。しかし光の外苑部はとても暗い。私とシスティーナは、横に半径八メートルずつ、おおむね十五メートル間隔で、そして前後二列に配置し巨大な光の園を作った。私はシスティーナと肩を組む体勢になり、私が左側を担当、彼女が右側を担当する。
「よし! 行くぞ!」
「お願い!」
我々は再び暗闇の海溝へ急降下していった!
「ふうぉおおああああっ!」
急降下だ! まず光の精霊がワームの蠢く崖を降りると、ワームどもが光の精霊につられ、一斉にそちらに体が動く。くおぉ、光に群がり蠕動する様はただただ醜悪の一言! 長き黒色の蛆虫! 不快さつながりでいつぞやの亡者どもをも思い出させ、さらに不快な気持ちにさせる。我々は、その三十メートルくらい離れた海中を、警戒しながら急降下する! よし、思った通り我々よりも光の精霊に気を取られている! 崖をよく見ると、大きな穴がボコボコと開いていて、そこからワームが出たり入ったりしている。凄い穴の数だが、すべての穴にワームがいるのか!? いやもしかしたら中でつながっていて、一匹のワームが複数の穴を利用しているのかもしれない!
「くおおっ! 凄いマリンスノーだ!」
底へ、底へ向かう我々の元に、吹雪のごときマリンスノーが向かってくる! 途轍もない量のマリンスノーだ! 周りが真の暗闇だからこそ、マリンスノーが強調される! しかし我々は、怯むことなくただただひたすらに、もっと暗いもっともっと暗い、海底へと進む!
「途方もない深さだ! まだ底が見えない!」
ずいぶんと海溝の底に向かって泳いでいるのだが、一向に底が見えてこない! 光の精霊が映し出す世界は、ただただ、吹雪が向かい来る暗晦たる海溝のそれだけだ。陸上にこれほど深き谷があるか? いや、ない。大陸斜面から今まで数千メートル潜ってきたのに、さらに深い溝があるとは。
「ディートリッヒ! 気を付けて! 巨大な魚が!」
「ふおおっ! これはもう魚とは呼べん、魚獣だ!」
光の範囲に、二十メートル超のクジラのごとき巨大な体を持つ魚獣が入り、光の中心に向かってきた! それはもはや魚と呼べるものではない! なぜならばその体は甲冑のごとき外皮に守られているうえ、片側だけで目が五つもついているからだ! ふおぉっ巨大な口には牙がびっしりと生えそろい、岩でも楽に切り裂けそうな鋭利さを見せつける。
「光の精霊で追い払うわ!」
システィーナは光の精霊を魚獣の目の近くに移動させると、瞬間的に強くを発光させた! よし! 突然のことに驚いた魚獣が海溝の奥底へと向かって逃げていく! 魚獣が大きく体をうねらせたとき、ギゴゴゴッと甲冑がきしむような甲高い音が響いた。ふおぉっ本当に甲冑なのかもしれない!
しかし一体何千メートル降りているのだ!? 一向に底が見えんぞ!? 途方もない深さ、途轍もない自然の大きさだ。ただただ暗い、代わり映えのない世界ゆえに、時間の感覚も距離の感覚も全く分からん! ただただ、力強く泳ぐことで感じる疲労感と粗い息遣いだけが、時間の経過を感じさせてくれる。
「生きてる……絶対に……生きてる……!」
隣では、システィーナが呪詛するかのごとく、暗黒の闇を睨み付けている。怖いぞシスティーナ。尋常でなく美しい娘が、座った目でブツブツつぶやくのは怖すぎるぞ。
とその時! 突然周りのマリンスノーが薄くなり、やがてなくなった。何だ!? いきなりマリンスノーがない、ゴミの存在しない美しい海水の層に行き当たった。何だ!? 突然変わった空間に警戒しながらもさらに下へ下へと進んでいくと光の範囲のそこかしこに、煙突のようなものが見えてきたぞ?
何だこの煙突は!? 私たちがすっぽり入りそうな巨大な、白い煙突だ。ふおぉっ、煙突がさらに天へと延びていく。そしてマリンスノーの層に行き当たると……ふおぉっ凄い勢いでマリンスノーを吸い込んでいる!
何だこの煙突は!? 辺り一帯が綺麗な水になった!
ふおぉ、今度は煙突がスルスルと海溝の底へ消えて行くぞ!?
いったい何だ? 何なのだ!?
私とシスティーナは顔を見合わせると、まずは光の精霊を海底へと降ろしていった。しばらくすると、そこには美しく輝く白い砂が一面に広がっていた。白い砂、白い砂だ!
そう、ついに海の底の底、海溝の底についたのだ。
長くなりました




