13
「!!」
創樹は突然襲いかかった違和感に、目を見開く。苦痛が、広がる。
「?」
姿を消して出てきていた黒猫と白猫が、不思議そうに顔を見合わせる。
体内をかき乱されるような苦痛…。
「…あれは…」
窓の外に、何か、嫌なものが舞い落ちるのを感じた。
「創樹…?」
咲也が不思議そうに振り返る。
「…兄さん、窓の、外」
「窓…?」
苦痛を見せないようにしながら、慎重に言った創樹に、咲也が首を傾げ、カーテンを開けた。
「何もないぞ…?」
「…下。窓枠のところ…」
創樹に言われ、咲也は見直す。
「紙が…こんなところに…」
咲也は窓を開け、それを拾い上げると、再び窓を閉めた。それから紙に目を落とす。そして、息を呑んだ。急いでカーテンを引く。
「例の、脅迫状でしょ…?」
創樹の言葉に首を横に振り否定すると、咲也はその紙を机に置く。
「…見せて。わかってるから」
「…見なくていい」
咲也は静かに首を振った。
「…お願い、兄さん。見せて…」
創樹の言葉に、ひとつため息をつき、咲也は紙を創樹に渡した。
『力を失いたくなければ従え。命がけのゲームだ』
なるほど。やはりあの男…ホンマ・ケンジとやらが、この苦痛の原因らしい。
猫たちが懸念するように注意をうながす。
(新しい機械…?)
今度は、宿主に作用する機械か…。
(…駄目だよ、砕牙。さすがの兄さんも、砕牙が出てきたら驚くくらいじゃ済まない)
体内からの感覚に、創樹は答える。それから猫たちも一応戻した。
「創樹…? 大丈夫か…? 顔色が悪いぞ…?」
「大丈夫。ありがとう、兄さん。私はちょっと休むから、兄さんは続けて。終わらせないと、月曜から、大変なんでしょ?」
兄に顔をのぞき込まれ、創樹はかすかに笑みを浮かべて見せた。
「ああ…」
創樹がベッドに横たわるのを確認すると、咲也は気がかりそうにしながらも、重ねて言われ、作業に戻る。
創樹は静かに、兄に気付かれないように息を整える。
息苦しい。
体が内側からはじけてしまいそうだ。
熱い。
創樹は布団からそっと這い出ると、壁にもたれ、じっとうずくまった。
「創樹…?」
「…大丈夫。ちょっと暑いから…」
心配そうに振り返る兄に、創樹は微笑む。
眉根を寄せつつ、咲也は再び作業に戻る。
兄に気づかれないように、静かな、深い呼吸を繰り返す。
だが、朦朧としてきた。
体を、支えきれない…。
ドサッとベッドに倒れ込む。
「創樹!」
兄の声が聞こえる。
「何だ…?」
体が支えられる。額に手が当てられる。
「凄い熱じゃないか…っ! 大丈夫かっ!?」
「駄目…兄さん、離れて…」
創樹は声を絞り出した。
「兄さんの、力、吸い取ってしまうから…離れて…」
これ以上の疲労は危険だ。体が自動的に生命エネルギーを調達してしまう。
「力を、吸い取る…?」
「……生まれた時……私は、生き残った…。色んな、命を…吸い取って…」
咲也はしぼり出された創樹の言葉に、愕然とする。知ってたのか…そんな瞳で己を見つめる兄。
「知ってた。…だから、お母さんが、私を、怖がってることも…全部、知ってる…。離れて…兄さんの力、吸い取ってしまう…」
創樹は動かない体を動かして、兄を押しやる。
「いつから…」
突き放された体勢で、呆然と咲也はつぶやく。
「…ずっと、前から……」
ベッドの上でうずくまり、荒い息をつきながら、創樹は答える。
「だから…」
だから…知っていたから、創樹は友達も作らず、家族の輪に入ろうともせず、一人、いつも離れたところにいたのだと、咲也は悟る。
「創樹…」
咲也は体勢を整え直し、創樹の額に浮かぶ汗を、手近にあったタオルでぬぐう。
「大丈夫。離れて…」
創樹は、静かに兄に告げた。もう、限界が近い…
『大丈夫か?』
ふいにそばで聞こえた声に、咲也はぎょっとして、飛びすさる。シグの姿が、そこにあった。
「誰だ…!?」
咲也が声をあげる。自分と同じか、あるいは少し年下かと思われる青年。
『…もろにきているみたいだな。生命エネルギーを補給するといい』
咲也の言葉は無視し、シグは持っていたみずみずしい葉の茂った木の枝を、創樹にさし出す。
『生命エネルギー? 何の話だ?』
咲也が英語に切り替え、つぶやき、創樹が木の枝を受け取った。
一気に、その葉が、枯れ落ちた。
創樹が、ふうっと、軽く、息をはき出す。
『…どこから君は……』
まじまじとその様子を見たが、それ以上何も言うことはなく、咲也はシグに問う。
「兄さん、大丈夫。私の、知り合い」
創樹は咲也に、静かに告げる。
『さっき…』
苦痛をこらえながら、創樹は握りしめて、しわくちゃになった紙をシグにさし出す。
『またか? …何て書いてある…?』
『…力を…失いたく、なければ…』
シグの気づかう口調の問いに、創樹は荒い息ながら、答える。
『…何て、書いてある?』
シグは創樹の様子に、咲也に問い直す。
『……【力を失いたくなければ従え。命がけのゲームだ】……そう、書いてある…』
咲也は警戒しつつも、答える。
『そういうことか…』
『大丈夫か?』
シグのつぶやきが終わらない内に、別の男の声がした。咲也が再びぎょっとしてそちらを見やる。
『もろに彼女にきてる。俺たちの比じゃない』
シグが答えた。
『それと、また、彼女に脅迫文。【力を失いたくなければ従え。命がけのゲームだ】だそうだ』
『じゃあ、ユンがああなったのも…』
ザットの言葉に、シグは頷いた。
『ああ。もう、ゲームとやらは始まっているらしい』
『ふざけたやろうだぜ。大丈夫か? ソウ…』
ザットが心配そうに、脂汗を浮かべ、荒い息をつく創樹を見つめる。
『梁は?』
『置いてきた。ショック受けてるから、ちょっと休ませてる』
『そういえば、ユンが外に出てる時は、別に苦しくなかったと梁は言っていたな?』
『ああ』
『…宿神を狙ってるのか』
シグが静かに呟く。
『梁さんと、雲が…どうか、したんですか…?』
「創樹」
何とか身を起こそうとする創樹を、咲也が支えた。
『突然の違和感に襲われた時、梁はユンを出していたんだ。ユンが苦しげに身をよじりながら、輪郭をあいまいにして、どこかに流されそうになった。すぐにユンを戻させて連れ去られはしなかったが、ユンの力の一部が失われたと、梁が』
『…私の場合、ちょっと違うようです』
壁に身を預けながら、創樹は静かに言う。
『違う?』
『ええ。幻と現がさっき出てたんですが、そのままの姿で…別に、何も…』
飛び出しそうになる宿神たちを押さえ、創樹は再びベッドに崩れ落ちる。
「創樹…」
「大丈夫」
創樹は兄に頷き、呼吸を整える。
『幻も現も、まったく苦しそうな様子はなく…違和感だけはあったようで、不思議そうにしていました。力も、失われて…いません』
うずくまったまま、創樹は告げた。
『どういうことだ…?』
ザットが首を傾げ、シグを見る。
『原因究明は後にするとしても…とりあえずこのままじゃ彼女は危険だ』
シグが深刻な顔でつぶやき、その言葉に咲也がまじまじと創樹と、それからシグを交互に見る。
『創樹が危険…? 命が、ってことか…?』
咲也がシグに問う。シグは頷いた。
『何でソウの命が…』
『俺たちは宿神が狙われているわけだから、宿神を外に出さなければ、少々の息苦しさと普段の力を出せないだけで済む。今のところな。だが…彼女の場合、宿神ではなく、彼女自身が影響を受けている。しかも…恐らく五柱分の影響を…』
ザットの問いに静かにシグは答え、窓際に歩み寄ると、窓を開け、外に掌をさし出した。その掌に、じょじょに光が集まる。
『ザット、梁にここに来るよう電話しろ。跳べないようなら家に帰るように言え。文句を言ってもだ。…彼女を、一旦遠くへ連れて行きます』
ザットに告げた後、シグは咲也に静かに告げた。
『何故!?』
咲也が声をあげる。
ザットは携帯電話を取り出す。
『力にしろ、何にしろ、人為的なものならば必ず規模は決まっている。一定範囲外…影響の及ばないところに彼女を連れて行けば、ひとまずこの症状は治まるはず…』
シグが窓を閉める。その掌には、光の塊が。大気の生命エネルギーを少しずつ集めたのだ。それに、少し、自分の力も加える。
まばゆいほどの光が、シグの掌に。
『だったら…私が…』
創樹を見つめ、咲也は言った。
『…どうやって? 車? 電車? どれも無理だ。必ずやつらに見付かる』
シグは掌の光を、ぐったりと既に意識を手放しかけている創樹の額に触れさせる。
一瞬で、光が創樹の中に消えた。創樹が再びまぶたを開けた。
創樹の焦点が、シグに定まる。その唇がかすかに動く。シグは淡い笑みを口許に浮かべ、首を横に振った。
『それに…残念だが、連れても行けません。二人を運ぶとなると、距離がわからない以上、こちらが力を使い果たす危険がある…』
シグは再び咲也に視線を戻し、言った。その言葉の正しさを、咲也は認めないわけにはいかない。
どこからともなく現れる脅迫状や、突然凶暴化した両親。相手のことも、創樹のことも、何も知らない咲也にはどうにもできない。足手まといになるだけ…。
『…………ちょっと、待っていてくれ』
静かに言うと、咲也は一旦部屋を出て行った。
しばらく電話を掛けながらわめいていたザットが、電話を切る。
シグが結果を聞くまでもなく、フッとその場に峰春が現れた。創樹を見て、驚いたように後ずさる。
『…五柱分の影響を、宿主である彼女自身が全部一人で受けている』
『ユンが苦しんでいた五倍の苦しみだ』
シグとザットが、静かに告げた。さすがに峰春も、押し黙る。
『今から跳ぶ。なるべくここから…この街から離れる。何度跳ぶかも判らない』
『それは、さっきザットレディンに電話で聞いたわ』
シグに、峰春は静かに答える。
『影響の及ばない範囲まで跳んでから、作戦を練る。そこまでついてこれなかったら、この件からおろす。本部か家に帰れ。ついてこれるだけの力がなければ、ホンマに取り込まれる危険があるからな。それだけ今回の相手は力を必要とする。いいな?』
シグの確認に、峰春は頷いた。
再び部屋のドアを開け、咲也が入ってくる。
峰春の姿を一瞬目にとめたが、何も言わないままシグに地図を見せた。
『君たちがどういう手段で移動しているのかは知らないが…消えて現れたりするにしろ、何にしろ、一回で移動する距離には限界があるだろう。…ここから北へ行けば山脈が続いている。できれば、そこを通ってやってくれ』
地図上を指で辿りながら、咲也は静かに言った。
『…その地図、お借りして行っても?』
シグは頷き、確認する。咲也も無言のまま頷き、地図を渡した。それから創樹のクローゼットから上着を取り出し、それも渡す。
『あなたは、なるべくこの家から出ない方が安全でしょう。この家には、彼女が悪いものを阻む結界を張っているようだから』
受け取り、シグは咲也に告げた。そして手に持っていた地図を峰春に持たせる。
『シグ、途中で交代だろ?』
『ああ。まずは俺が』
ザットの問いに、シグは頷き、ぐったりとした創樹に上着をかけて、抱き上げる。
『…俺とザットが、交代で彼女を運ぶ。梁は地図を頼む。あとはただ、ついてこい』
シグの言葉に、峰春は頷く。
『…創樹を、頼む。…………助けてやってくれ…』
静かに告げる咲也に、シグは頷いた。
『じゃあ、行くぞ。いいか?』
『ええ』
『いつでも』
三人が、消えた。
咲也は拳を握り、しばし、その空間を見つめていた…。




