9
日の傾き始める夕刻。
昨日と同じ家の前に、少女が一人で立っている。
「飛天」
呟きと同時に彼女の右腕には、燃える炎をまとったかのような、大きな鳥がとまっていた。
「幻」
次に呟くと、純白の毛並みを持つ猫がいつの間にか彼女の足元にいて、すり寄る。
さしだされた左腕に軽々と飛び乗り、白猫は一声鳴いた。少女が頷く。
白猫が純白の尻尾を揺らし、と金色の瞳で、鳥と見つめ合う。
光が、鳥を包んだ。白猫が鳴き声を上げる。
鳥が――消えた…。
「ありがとう、幻」
少女の言葉に白猫は嬉しそうに鳴いて、それからフッと先ほどまで鳥のいた場所に飛び移ると、消える。
「飛天、幻、お願い」
少女は右腕をかかげた。
彼女のさしだした腕がかすかに揺らぎ…その髪が吹いてもいない風に揺れる。
少女の瞳が、見えない何かを追うように動く。
少女の指が、目の前に立つ家を示した。
何かを待つように、少女はその家を見続ける。
いや、一人と一匹。
いつの間にか少女の足元には漆黒の毛並みの猫がいた。
しばらくして、少女はふっと表情を変え、右腕を持ち上げる。
彼女の髪と、右腕が揺れる。そのまま少女は歩き出し、その家の前を離れた。
「………神父…?」
少女は家から少し離れた細い路地で立ち止まり、何かを考えている。
「………飛天、幻、今度は教会をお願い」
少女は三度、その腕をかかげた。
彼女の髪が揺れ…再び少女と黒猫は空を見上げ続ける。
いつまで見上げているつもりなのだろうか、というほどの時が過ぎ…少女は宙に右腕をさしのべた。
「現」
その腕に何かを受け止めると、少女は周囲を見回してから、呟く。
いつの間に移動したのか、黒猫が少女の右肩の上で鳴いた。
そして、金色との瞳でチラッと少女を見やる。
同時に黒猫のすぐ脇、少女の腕の辺りが光に包まれ、少しずつ霧が晴れていくように、赤い鳥が姿を現した。するっと抜けでるように、白猫が少女の左肩に現れる。
黒猫はためらいもせず、地面に飛び降りた。
「ありがとう、現」
少女の言葉に、黒猫はツンッと顔を背けた。
白猫がからかうように少女の左肩の上から鳴いた。
黒猫は不機嫌そうな声を上げ、そっぽを向いたまま。
少女は柔らかな瞳でその様子を眺めてから、腕にとまる鳥に瞳を移した。
「飛天も、ありがとう」
鳥は澄んだ鳴き声を上げ、少女にすり寄ると…消えた。
白猫が何やら長々と少女に向かって鳴く。少女は小さく相づちをうつ。
「…そっか。行ってみるしかないね」
少女はやがて白猫の体を優しく撫でながら呟いた。
「翔波」
もう一度周囲を見回してから少女は呟く。
次の瞬間、彼女の目の前に馬が立っていた。
――いや、馬ではない。
馬に角は生えていない。
…伝説上の生き物である一角獣が、確かに少女のさしのべた手にふれた。
色も、馬とは異なる。
白に青を数滴落とした、青白磁の胴体。深みのある群青色のたてがみと、キラキラと光の踊る蒼玉の瞳は、馬にはないもの…。
そして…
その姿形を最も馬とへだてる堂々たる角は、淡く、半透明のまるで天青石のような色で、光の角度によって微妙にその色合いを変えていた。
翔波に触れていた手を離し、少女は黒猫に手をさしのべた。
黒猫は飛び乗り、白猫のすぐそばに来ると一声鳴く。
それから黒猫は一角獣の背に飛び移った。
少女が再び一角獣に触れ――…消えた。
人も動物もいなくなった細い路地は、何事もなかったかのように、静まり返っている…。
少女が路地から消えた次の瞬間。
あの路地から東南へ徒歩一〇分ほど行ったところにある教会の裏手に、人影があった。
「ありがとう、翔波」
少女が礼を言い、一角獣の背から黒猫を抱き上げる。黒猫はその腕から地面へ飛び降りた。
少女は一角獣を優しく撫でる。
嬉しそうに少女にすり寄った一角獣は――消えた。
人目のない教会の裏手から表へと、少女が回る。
黒猫が先を歩き、少女と肩に乗った白猫が後に続く。
教会の正面近くになると、チラッと少女を振り返った黒猫が、突然駆けだした。
「現?」
首を傾げた少女の肩から白猫が飛び降り、黒猫の後を追い、駆けだす。
「幻…?」
少女はあわててあとを追うようなことはせず、一度教会を見上げた。
「………………」
一瞬その眼光を鋭くした少女は視線を前方に戻すと、変わらぬ歩調で二匹の猫を追って、わずかに開いたままの教会のドアを開いた。
「……お邪魔します…」
中に入り、扉を閉める。中には四人の人間がいて、一斉に少女を振り返る。
「あ…っ!!」
「遼介…?」
小さな声を上げた友人に、哲哉は何ごとかと瞳を向ける。
「あの子、昨日居酒屋で見かけた…」
隣にいた哲哉に、遼介が耳うちする。
哲哉も少女を見つめ直し、すぐに思い出した。たった一度見かけただけだが、強い印象が残っている。
「いらっしゃい」
シスターは用件を問うでもなく、微笑んだ。
少女は遼介と哲哉の姿に一瞬目をとめたが、特に反応は示さなかった。
四人に向かって一礼する。
「突然申し訳ありません。猫が二匹、ここへ入ってしまったので…」
あまり抑揚のない声で少女は言った。




