27 吠えろ、ヒメ
山に住む野生動物たちは、獣道を通る。人間も、しばしばそこを利用するが。
一方、島に住む神々にも、専用の道があるらしい。
マモノスジと呼ばれる、建物も山も川も無視した、黄色い霧のけぶるトンネルを、アオネコと鈴緒は進む。
「こんな道があるから、あっちこっちに出てくるのですね」
中腰のまま、鈴緒は感嘆の声をもらす。猫専用通路のため、トンネルは小さい。銀之介であれば、ほふく前進が必要だろう。
四足歩行で先を行くアオネコは、フン、とヒゲを揺らした。
「神様を、ゴキブリみたいに言わないでくれるかい?」
「あ、ゴキブリも使ってるですか?」
「使うわけないだろう」
吐き捨てるように言うと、三毛柄の尻尾が丸く膨らんだ。怒ったらしい。
鈴緒は慌てて謝ろうとしたが、その前にマモノスジの出口が見える。
謝罪の言葉を思考から放り出し、駆け出したアオネコを追いかけて、鈴緒も出口を潜り抜けた。
霧のトンネルを抜けた先では、巨大な鷹と烏──狩穂が、くんつほぐれつ戦っていた。切迫しているようでもあり、やはり馬鹿馬鹿しさも漂う光景である。
一瞬、自分が小さくなってしまったのか、と鈴緒は錯覚する。
だが二羽を取り囲むようにして、呆然と立ち尽くす不銅や牧音を見とめ、大きいのは鳥の方だと安心した。
二人の背後では、瓦礫が散乱している。不銅家の塀であったものだろう。道路にもいくつか穴が開いていた。
大小さまざまなコンクリート片の中には、青ざめた金次郎と、血みどろの銀之介もいた。どちらも砂埃にまみれ、薄汚く、ついでにくたびれている。
「大丈夫ですかー!」
当初の目的を思い出し、鈴緒は声を張り上げる。巨鳥どもがマウントを奪い合っているため、彼らの元へ行けないのがもどかしい。
けたたましい二羽の雄叫びの合間に、彼女の声は届いたらしい。銀之介が、遅れてゆるゆると金次郎が、鈴緒へ顔を上げる。
頭に乗せていたハンドタオルを落とし、まず金次郎が仰天する。
「そっ、そんなところで何をやっているんじゃあ! ザシキワラシはどうした! いいや、そもそも、どうやって来たのじゃ!」
「アオネコ様が、送ってくれたー! ザシキちゃんは、『塊ソウル』を貸せば大人しかったです!」
『塊ソウル』とは、道行く一般人を次々となぎ倒して丸めて塊にするという、不条理な世界観が売りのゲームである。
「なにっ、あんなクソゲーを貸し与えたのか? 他に選択肢があるじゃろうに!」
化生に非常識極まりないゲームを教え込んだ孫へ、金次郎はしばし愕然する。
代わって銀之介が、大声を上げた。
「ジンが暴れているんです! こっちの言い分なんて、お構いなしです! 危ないから、離れて下さい!」
「やだ!」
赤い顔で、すぐさま反論する。
「わがまま言うなァッ!」
額から流れる血を拭い、銀之介も言い返した。切羽詰っているためか、口調も荒い。
「さっきからサソリになったり、ライオンになったり、手が付けられないんだ! いいからさっさと逃げろ!」
犬歯もむき出しでがなる彼に、根が内向きの鈴緒はたまらずたじろいだ。
震え上がるも、自分の膝を叩いて叱咤し、なおも言葉を続ける。
「逃げてどうするか! みんなオダブツだろ!」
「俺は死なねぇから、どうとでもなんだよ! いざとなりゃ、俺と狩穂で──」
「そんなの、もっといや! あたし、守り人だから! 銀之介さんも守る!」
涙混じりの絶叫は、巨鳥の威嚇を切り裂いて、辺りにこだました。
銀之介は、大口を開けて固まっている。眼鏡もななめにずれていた。
傍らの金次郎は、むず痒い表情で視線を、遠くへ向けてしまっている。
「はぁー……すっごい口説き文句」
父を庇う牧音が、呆れたような、感心したような呟きをもらす。
そして鈴緒の叫びは、二羽の聴覚も震わせたらしい。
狩穂の黒羽をむしり取っていた鷹が、ぶるりと首を巡らせた。耳障りだ、とその仕草が語る。
同時に視線も辺りへさまよわせ、騒音の元を発見する。
魔人ジンからすれば、ひどくちっぽけな小娘であっただろう。自分をつつく烏よりも遥かに御しやすい、と異国の化生はすぐさま判断した。
ジンは素早く浮き上がった。思いがけない行動に、狩穂の鉤爪も出遅れる。
巻き上がった羽毛越しに、腰を抜かす金次郎が見えた。
不銅も青ざめ、牧音は咄嗟に小刀を掲げる。
「何してんだよロンドン!」
銀之介も瓦礫を蹴散らし、駆け出す。
「鈴緒ッ!」
牧音の投げた小刀も、銀之介の手も、ジンを止められるわけがない。
尖ったクチバシを大きく開き、鈴緒目がけてジンは急降下する。
これは駄目だ。
鈴緒もそう悟った。
悟る反面、脳裏に様々な言葉があふれかえる。狼狽する金次郎の声や、呆れる牧音の呟きも、心の内に反響する。
その中で、一層鮮明に三人の言葉が聞こえる。
「ちゃんと見てね」
ザシキワラシの言葉だ。
「異国の化生を調伏するには、異国の人間が適任」
アオネコの言葉だ。
「こっちの言い分なんて、お構いなしです!」
銀之介の言葉だ。
ジンを見据える。そして考える。
この化生はサソリやライオン、果ては鷹に変身し、こちらの言い分もお構いなしに暴れている。
今もその姿は、日本にそぐわない。牧歌的な田舎島においては、尚更異様である。
まるで自分と同じだ。髪の色も目の色も違う、言葉もたどたどしい自分と。
瞬時にここまで考え、気付く。
言い分を無視したのではなく、この魔人は理解出来なかったのではないか?
海外から、直接ここへ送りつけられた指輪だ。
日本を、いや日本語を知らなくて当然である。
「やめなさい!」
閃くと同時に、鈴緒は鋭く言い放った。
日常会話程度なら不自由しない、フランス語だ。
ジンのクチバシは、すぐ鼻先まで迫っていた。
だがそのまま、魔人は固まっていた。
眼前にある双眸は、かすかに困惑している。鈴緒の命令に、たじろいでいるようにも見える。
「お願い、落ち着いて」
一つ息を吐き、鈴緒は静かな声音で付け加えた。
するとジンは、凶悪な口を、ようやく閉じた。おずおずと後退し、鈴緒から距離を取る。
「お利口さんね」
鈴緒がほっと微笑すれば、ジンはかすかにうなずいた。




