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第14話:毒を盛る者ほど、毒を恐れる

 薬房を差し止められて、五日が過ぎた。


 表向き、わたしは調剤をやめている。けれど、病んだ人の足は途絶えない。裏の戸口から、夜に、そっと。ギルベルト爺が、見張りに立ってくれていた。


(差し止めの札は、宮廷の体面。……人の痛みは、体面では治らない。)


 その日、昼を過ぎたころ。表の戸口に、上等な籠が置かれていた。


 白い布のかかった、菓子と茶葉の詰め合わせ。添えられた小さな札には、達筆で一言。——「ご療養のほどを。宮廷薬務より」。


「まあ、御丁寧なこと」


 ニナが、頬をゆるめて籠を取り上げた。差し止めておいて、見舞いとは。皮肉のつもりか、それとも。


 わたしは、布をめくった。その手が、途中で止まる。


(……匂い。)


 茶葉の、乾いた芳ばしさ。その底に、ほんの糸ほど、別のものが編み込まれていた。甘い。蜜より甘く、けれど、どこか粘つく甘さ。


「ニナ。お茶を淹れるのは、待って」


「え?」


「——その茶葉、湯を注がないで。触ったら、あとで必ず手を洗いなさい」


 わたしは籠から茶葉をひとつまみ取り、白い皿に広げた。細かく砕いた乾き葉に、ごく淡い、青みがかった緑が混じっている。ただの緑茶では、この色は出ない。


 懐から、銀の薬匙を抜いた。祖母の形見。水を数滴たらし、茶葉を溶いて、匙の腹に触れさせる。


 息を、ひとつ。


 銀の面が、ゆっくりと——曇った。白い息をかけたように、鈍く。


(眠り苔。)


 背筋を、冷たいものが伝った。


(甘い匂いで、人を油断させる。煎じて飲めば、まず、まぶたが重くなる。深く眠って——そのまま、目を覚まさない。事故にも、病にも、見える。刃を使わずに、人を消せる。)


 これを、わたしが茶にして飲んでいたら。あるいは、疲れた夜に一杯だけ、と口にしていたら。


 朝、薬房で冷たくなっていた「無許可調剤の薬師」の骸を、誰も、毒殺とは呼ばなかっただろう。


「……お嬢さま」ニナの声が、震えていた。「これ、まさか」


「見舞いの顔をした、始末状よ」


 わたしは、匙の曇りを、袖でそっと拭った。曇りは、拭える。けれど、いま危うかったのは、拭える傷ではなかった。


 その夜だった。


 裏の戸口の掛け金が、外から、こじ開けられる音。ギルベルト爺の「誰だ!」という怒声。そして、鈍い、何かの倒れる音。


 わたしは燭を手に、土間へ出た。闇の中に、黒ずくめの影が二つ。片方の手に、細い刃。切っ先が、蝋の火を吸って、鈍く光った。


(毒を盛って、しくじった。……だから、今度は、直に。)


 逃げ場は、ない。奥は行き止まり。わたしは薬研を掴んだ。こんなもの、刃の前では、玩具だ。


 影が、床を蹴った。


 ——その刹那。


 戸口の闇が、割れた。


 鋼の鳴る音。火花が一つ、闇に散る。気づいたときには、大きな背が、わたしと刃のあいだに立っていた。灰色の外套。広い肩。


「ジーク、さま」


「下がっていろ」


 彼は、振り返らなかった。低い声だけが、静かに落ちてくる。


「……こういうのは、俺の領分だ」


 ジークフリートの剣が、闇を薙いだ。一合、二合。近衛騎士団長の刃は、無駄がなかった。刺客の細刃が、宙を舞い、土間に突き立つ。もう一人が身を翻して逃げようとするのを、ジークは鞘で足を払い、床に組み伏せた。


 あっという間だった。呼吸を、二つか三つ、するあいだに。


「怪我は」ようやく、彼がこちらを見た。「ないか」


「……ええ。あなたが、間に合ってくれたから」


 わたしの声は、われながら、少し掠れていた。ジークは、それには何も言わず、ただ、わたしの手からそっと薬研を取り上げた。握りしめすぎて、指が白くなっていた。


「もう、離すといい」


 その手のひらの温もりに、張りつめていたものが、ひとつ、ほどけた。


 組み伏せた刺客の懐から、油紙の薬包が一つ、転がり出た。中身は、白い粉。念のための、二の矢だったのだろう。


 わたしは、それを拾い上げ、匙で確かめた。曇る。——兜草。遅効の毒。刃で仕損じたときの、保険。


(用心深い。……いいえ、これは、用心とは違う。)


 刺客を尋問しても、口は堅かった。誰に雇われたか、言わない。ただ、ジークが「お前たちの雇い主は、お前たちすら信じていないぞ」と静かに告げたとき、男の目が、ほんの一瞬、揺れた。


 その揺れが、わたしに、あの男の姿を、はっきりと見せた。


(ヴェンツェル・ダール。……あの人は、毒を配る。金と権のために、癒しの名の裏で、いくらでも。でも。)


 毒を扱う者だから、分かることがある。あの絹の声の男は、自分の茶に、必ず毒見を立てる。銀泪のような、少しずつ体に溜まる毒を、何より怖れる。だから、疑心暗鬼で、部下にすら、次の一手を明かさない。刺客に「二の矢」を持たせ、しくじれば口を封じられるように仕組んでおく。


 誰も信じていない。信じられないのだ。——自分が、誰より、毒の恐ろしさを知っているから。


(毒を盛る者ほど、毒を恐れる。……人に飲ませるものの正体を、いちばんよく知っているのは、盛る本人だもの。)


 これは、弱みだ。あの人の、いちばん柔らかい急所。公の場で、大勢の目の前で、その恐れを暴いてやれば——絹は、裂ける。


 卓の上には、証拠が、静かに揃っていた。


 祖母マティルダが『毒草譜』の余白に遺した、細かな書き込み。ジークが宮廷から持ち出した、「気付け薬」と称された銀泪の薬包。そして、ギルベルト爺が古い伝手を辿って写し取った、薬務の帳簿の一葉——どの毒草が、どこへ、いくらのリントで流れたか。


 あとは、これを、白日の下に晒す舞台がいる。


 翌朝、宮廷から、一通の書状が届いた。


 朱の印。薬務の正装の使者は、うやうやしく、それを読み上げた。


「ハーゼ薬伯爵家のリーゼロッテ嬢。——無許可調剤の罪、薬務の名において、公に検分いたします。三日の後、王都ヴェルデンブルク中央、薬務の大広間にて。侍医長ヴェンツェル・ダール、みずから検分の任に立たれる」


 薬務監査。公開の、裁きの場。


 わたしを「無許可調剤の大罪人」として、大勢の前で断ずるための舞台を、あの人は、自分から用意してきた。わたしを潰すために。——そして、たぶん、『毒草譜』を、正式に取り上げるために。


 ジークが、隣で、眉をひそめた。


「罠だ。向こうの土俵で、向こうの筋書きで、お前を裁く気だぞ」


「ええ。そうでしょうね」


 わたしは、書状を、静かに卓へ置いた。指先は、もう震えていなかった。


 あの人が、自分から、大勢の目を集める場を開いてくれる。毒を盛る者が、いちばん怖れる場所——おおやけの、逃げ場のない、みんなが見ている場所へ。


 これ以上の舞台が、あるだろうか。


 わたしは、鍵のかかった棚の『毒草譜』を、そっと見上げた。ばあさま。あなたが届かなかったところへ、今度は、わたしが。


 窓の外、宮廷の尖塔が、朝の光にまっすぐ立っていた。


「——では、そこで」


 わたしは、静かに、笑った。


「すべて、お見せしましょう」


 お読みいただきありがとうございます。差し向けられた眠り苔の茶、そして夜の刺客——身を張って庇ってくれたジークさまとの距離が、また一歩縮まりました。

 そして見えてきた、ヴェンツェルの正体。毒を配る男が、誰より毒を怖れている。この皮肉こそ、逆転の糸口。次話はいよいよ、公開の薬務監査で、リーゼが仕掛けられた舞台を、逆に決戦の場へと変えます。あの決め台詞も、そこで。

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