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刻の砂漠に咲く花  作者: 刻華
第一章 世界でいちばん静かな場所
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砂は、風の音を覚えている。

朝になれば東から吹く風が砂丘を撫で、昼には熱を抱き、夜には冷たい月明かりを映す。

私は毎日、その砂の上を歩く。

足跡は残らない。

残っても、すぐ風が消してしまう。

この場所には、それでいい。


誰も来ない。

誰も帰らない。

ここは《刻の海》。

世界中の命が最後に辿り着く場所。


正確には、命そのものではない。

命の終わりに生まれる砂が、ここへ集まる。


世界中の人には、一人につき一本の木がある。

それは生まれた瞬間に芽吹き、誰にも切れず、誰にも植え替えられない。

遠く離れていても、その木は持ち主の命と結ばれている。

病めば枝は痩せる。

喜べば花をつける。

恋をすれば葉が色づくとも言われている。


そして、人が死ぬ瞬間。

木は音もなく枯れ、幹は崩れ、葉も枝も根も、すべて白い砂へと変わる。

その砂は風に乗り、世界の果てへ運ばれる。

ここへ。

刻の海へ。


だから私は、この海を歩く。

砂を均し、流れを整え、風道を作り、砂丘を守る。

砂はただの砂ではない。

誰かが笑った証。

誰かが泣いた証。

誰かが誰かを愛した証。


だから踏み荒らしてはいけない。

だから、この場所は禁じられている。

世界で最も神聖な場所だから。


私は、その管理人。

名前は、ない。

必要がなかったからだ。


昔からここにいて、昔から砂を守ってきた老人は、私をただ「あなた」と呼んだ。

老人は十年前に死んだ。

その日、空には見たこともないほど多くの白い砂が舞った。

老人にも木があったのだ、と私はそのとき初めて知った。


それからは私一人。

朝も昼も夜も。

砂を守り続けている。


海の外へ出てはいけない。

禁足地へ足を踏み入れてはならない。

そう教えられてきた。


外には欲がある。

争いがある。

人は海を穢す。

だから門は閉ざされている。


私は、それを疑ったことがなかった。

あの日までは。


◽️

最初に見つけたのは、足跡だった。

風が消しきれずに残した、新しい足跡。

人間のもの。


私は立ち止まる。

ありえない。

何百年も、この海へ人は入っていないはず。


足跡はふらつきながら続いていた。

砂丘を越え、枯れた石柱を抜け、祈りの丘へ向かっている。


足跡を辿った先、

丘の向こうで、一人の少女が倒れていた。

金茶色の髪は砂まみれで、服はところどころ裂けている。

肩で息をしながら、私を見る。


その瞳は、空と同じ薄青だった。

晴れた日の砂で曇った空の色。


「……あなた、誰?」

少女がかすれた声で問うた。



◽️

少女は「エマ」と名乗り、私の名前を聞いた。

名前はない、と答えると、少女はおかしな顔をした後、何かを飲み込むようにして頷いた。


少女は周囲を見回した。

見渡す限り、白い砂丘。

風が砂をさらい、波のような紋様を描いている。


「……ここ、どこなの?」

私は少し考えてから答えた。


「刻の海。」


少女は目を丸くした。


「海?」

「そう。」


「……どこが?」

私は首を傾げる。


「どこが、とは?」

「だって、水なんてどこにもないじゃない。」


私は少女の言葉を理解できなかった。


「……みず?」

今度は少女が固まる番だった。


「え?」

「みず、とは何だ?」


少女は何か冗談を聞いたような顔をした。

けれど私が真顔のままだと気づくと、その表情が少しずつ消えていく。


「……あなた、本気で言ってる?」

「何をだ?」


少女は言葉を探すように口を開き、閉じた。

やがて砂をひとつかみして、指の隙間からさらさらと落とす。


「あなた、この砂を海だと思ってたの?」

「違うのか?」


「違うわ。」

即答だった。


「海は、水でできてる。」


私はその言葉を頭の中で繰り返した。


海は、水でできている。

意味が分からない。


海とは、この果てしなく広がる砂のことだ。

波とは風が砂丘を動かすこと。

潮とは砂の流れ。

昔からそう教えられてきた。


「……では、水とは何だ?」


少女はしばらく黙っていた。

やがて、少し笑う。

困ったような笑顔だった。


「説明するの、難しいなぁ。」


彼女は空を見上げた。


「雨は知ってる?」

「雨?」


「空から降る水。」


私はゆっくり首を振る。


「空から降るのは、砂だよ。」


少女は絶句した。


私は彼女の反応の理由が分からない。


だから今度は私が尋ねる。


「……外の世界では、空から砂は降らないのか?」


少女はゆっくりと首を横に振った。


「降らない。」


「一度も?」

「一度も。」


風が吹く。

白い砂が二人の間を流れていく。


少女はその砂を見つめ、小さく呟いた。


「……ここ、本当に世界のどこなの。」


私は答えられなかった。


ここは世界の果て。

刻の海。

それ以外の世界を、私は知らない。

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