case.58「真白の行方」
強烈な日差しがアスファルトを白く焼き付ける夏。
刃ケ丘異能高等学校の補習を終えた強矢翠柳は、単調な帰路を歩いていた。
彼の脳内は、一方的に好意を寄せる佐倉真白の存在によって大部分が占拠されている。
思考と連動するように、足は自然と彼女の出没率が高いエリアへと向かっていた。
住所を特定する意志も、執拗に尾行する意図もない。ただ、視界の端にその姿を捉えたいという無意識の欲求が、彼のベクトルを制御していた。
「あ、強矢じゃん……」
深い呼気を漏らし、歩みを止めた翠柳の背後から、間延びした声が投げかけられる。
振り返り、大空蒼の姿を視認した瞬間、翠柳の脳内で極端な演算が開始された。
ここは佐倉真白の出没ポイント。
そこに現れた同級生の男。導き出される結論は一つ。
「貴様! まさか、真白さんを!?」
翠柳は瞬時に距離を詰め、蒼の両肩を鷲掴みにすると、前後に激しく揺さぶった。
「なんで佐倉?」
蒼の顔に、明確な後悔の色が浮かぶ。
その直後、翠柳の身体が彫像のように硬直した。
「何? なんなの?」
蒼は揺さぶりから解放され、首を傾げ、翠柳の視線の先を追う。
道路を挟んだ対岸。陽炎の向こう側を、佐倉真白が歩いていた。
「あ、噂をすればなんとやらじゃん……」
蒼の呟きが落ちる。
真白の姿は、建物の隙間に形成された薄暗い路地裏へと吸い込まれていった。
翠柳の手から力が抜け、蒼の肩から滑り落ちる。彼はその場に縫い付けられたように立ち尽くした。
完全に静止した翠柳を見つめ、蒼の眉間に皺が寄る。
「っ!」
蒼の掌が、翠柳の背中を強かに叩き据えた。
肺から空気が押し出され、翠柳の喉から声が漏れる。
「何をする!?」
バランスを崩し、アスファルトに片膝をついた翠柳が、鋭く蒼を睨み上げた。
「らしくないね? 追いかけたら?」
蒼は身を屈め、視線の高さを合わせて平坦に告げる。
学園での翠柳は、常に真白の姿を追い、大仰に好意を叫び散らしている。
その彼が、今この瞬間において沈黙を選択し、ただ見送っているという状況に、蒼は明確な違和感を検出していた。
「お、追いかけたらストーカーだろっ!」
翠柳は立ち上がりながら、顔を背けて反論する。
「ストーカーの概念知ってるんだ?」
蒼も姿勢を戻し、冷淡な口調で返す。
翠柳の眉が跳ね上がり、瞳に怒りの熱が灯る。
「俺だって弁えている!!」
翠柳の右拳が空気を裂き、蒼の顔面へと迫る。
しかし、拳は不可視の障壁に衝突し、重い衝撃音と共に停止した。蒼の展開した圧縮空気の防壁。
「貴様! 一発やらせろ!!」
翠柳は拳を押し込んだまま、視線で殺意を射抜く。
「やだよ、痛いもん」
蒼は防壁の向こう側で、欠伸を噛み殺しながら応じた。
「今追えば追いつくんじゃない? 行く?」
蒼が視線を逸らし、真白が消えた路地の奥を指差す。
「……いや、やめておく」
翠柳の拳から張力が抜け、腕がだらりと下がる。
彼は踵を返し、逆方向へと歩き出そうとした。
「じゃあ、ボクは行こうっと」
蒼が道路を横断すべく、足を踏み出す。
翠柳の反射神経が即座に反応した。
「待て待て! 何故貴様が真白さんの尾行をするんだ!! やはり貴様、真白さんを狙って!!」
翠柳の怒声が響く。
蒼は振り返ることなく歩調を速め、翠柳はその後を追って駆け出した。
「佐倉に好意はないけど、強矢がこの後どう行動するのかには興味がある。ってか暇だし」
蒼は走りながら、背後へ向かって事実のみを告げる。
真白の元へ翠柳を誘導し、生じる化学反応を観測する。
表向きの理由はそれだが、本質は単なる暇潰し以上の何物でもない。
翠柳が異能を励起させ、筋肉の出力を爆発的に引き上げる。
強引に距離を詰め、蒼の捕捉を試みる。
対する蒼は、背後の気流の変化から翠柳の軌道を予測し、空中に不可視の壁を形成して幾度となくその突進を阻害した。
路地裏の迷路を抜け、二人の視界が急激に開ける。
太陽光を遮断する巨大なコンクリートの塊。
冷気を孕んだ空気が滞留する、私営の異能訓練施設。
「此処……」
蒼の歩みが止まり、視線が建物の外観をなぞる。
「帰ろう」
追いついた翠柳の右手が、蒼の肩を重く押さえつけた。
指先に込められた圧力が、明確な拒絶の意思を示している。
「此処が何か知ってんの……?」
蒼は肩越しに翠柳の顔を見上げる。
翠柳は無言のまま手を離し、踵を返して歩き出した。
蒼は再び施設へ視線を向け、その構造を記憶に留めた後、翠柳の背中を追う。
「ちっ……もっと面白いこと、起きて欲しかったな」
蒼は両手を頭の後ろで組み、不満気に呟く。
「貴様ぁ……」
前を歩く翠柳の口から、低い呪詛が漏れる。
施設の二階。
マジックミラーの施された窓の向こうで、佐倉真白が右手をガラスに添え、遠ざかる二人の後ろ姿を無機質な瞳で見下ろしていた。
再び熱気の渦巻く大通りへと戻る。
翠柳が歩みを止め、蒼へ向き直った。
「で、貴様は何故こんな所に居たんだ?」
ここは真白の出没ポイント。先ほどの言い訳では演算が合わない。
「佐倉目当てじゃないよ。この辺に出来た寝具店を見に来たんだよ」
蒼は大きな欠伸と共に、通りの斜め向かいを指差す。
新規オープンの花輪が並ぶ寝具店が、翠柳の視界に入った。
「貴様、いつも授業中寝てるのに……何故赤点じゃないんだ?」
翠柳の思考が、唐突に別の疑問へとシフトする。
「赤点回避ぐらい簡単じゃね?」
蒼の返答は、どこまでも気怠げだった。
「まさか! 不正か!!」
翠柳が再び蒼の肩を掴み、力任せに揺さぶる。
直後、高密度の空気弾が翠柳の顔面を直撃し、その衝撃で彼は背後へたたらを踏んだ。
「してない」
蒼は冷ややかな視線を落とし、短く切り捨てる。
「くっ……貴様を殴る大義名分が欲しいっ……!」
翠柳は両拳を強く握り込み、腕の筋肉を震わせる。
「殴るなよ」
「殴る!!」
不毛な押し問答が開始された直後、二人の間合いを割るように一つの影が近づいてきた。
火乃宮朱美。
「うわ……クラスで一番会いたくない、勝気プライド女に会った……」
蒼の視線が、明らかな不快感と共に逸らされる。
「なん……だって……?」
朱美の肩が小刻みに跳ね、瞳の奥で熱量が急上昇する。
「ああ、なんだ火乃宮か……」
翠柳の口からも、興味を完全に失った平坦な声が漏れた。
朱美の怒りが臨界点へと達する。
「あんたら火傷程度じゃ許さないから!!」
朱美は左手を腰に当て、右手の指先を二人へ向けて怒声を叩きつけた。
「いや、火乃宮じゃ俺には勝てん」
翠柳は右手を軽く掲げ、単なる事実として首を横に振る。
その一切の淀みない評価が、朱美の神経をさらに逆撫でする。
「ってか火乃宮は、なんでこんなところに?」
蒼が話題を強制的に切り替える。
「あんたって、そんな性格だったっけぇ?」
朱美の眉間に皺が寄る。入学当初の大人しい印象と、現在の底の知れない態度の解離。
「塾とか検討してて、この辺りにあるって聞いたんだけど……見当たらないのよね」
朱美は怒りを一旦抑え込み、右手を顎に添えて周囲を見渡す。
その言葉が、翠柳の鼓膜を叩いた。
彼の右手が、無意識にピクリと反応を示す。
「塾? 勉強頑張ってんだ、ふーんへー。興味なっ」
蒼は両手を頭の後ろで組んだまま、完全に思考をシャットアウトした。
「あんたが聞いたから答えたんだけど!?」
朱美の怒声が再び響く。
「塾って言っても勉強の方じゃなくて……異能の方。強くなりたいからね」
朱美は視線を外し、意地を張るように言い放つ。
その一言に、翠柳の拳が静かに握り込まれた。
蒼の眼が、翠柳の微かな動作を正確に捉える。
しかし、彼はその意味を深堀りすることなく、視線を別の対象へと向けた。
「あっそ。それじゃあ、カプセルトイの森へ行こう。火乃宮の奢りで」
蒼が通りの向かいにある、大量の筐体が並ぶ店舗を指差す。
「なんで私の奢りなの!?」
朱美の抗議を完全に無視し、蒼は歩き出す。
「ちょっと! 私は奢らないわよ!!」
怒声を上げながらも、朱美の足は蒼の後を追っていた。
取り残された翠柳は、僅かに俯き、脳内で何事かの演算を処理している。
数秒後、彼は両手で自身の頬を強く叩き、思考をリセットした。
「よし、火乃宮の奢りだな!」
「だから奢らないって!」
翠柳の叫びが店舗へ向かって放たれる。
朱美の反論が木霊し、三人の足音が夏のアスファルトに吸い込まれていった。




