case.51「日常の断片」
切ノ札学園の敷地内。
黒川玄と紺野爪戯が訪れていた。
目的の人物である四月レンとの接触。六大路辛が倒れたという事実が、彼女の異能により届いた。
「ただ、期待に答えられるかは……」
レンの口からこぼれたのは、冷酷な現実を突きつけるような低い声だった。
「少し、場所を移そうか」
言葉少なに背を向け、歩き出す。
玄と爪戯は視線を交わし、その背中を追った。
向かった先は、切ノ札学園の駐車場。
指定された黒いセダンの前に立つと、レンは二人を後部座席へと促した。
「四月さん!?」
運転席の男が、他校の生徒を乗せようとするレンの行動に目を剥く。
「良いんだ。連れていけ、場所は……例の場所だ」
助手席に腰を下ろしたレンは、シートベルトを引き出しながら前方を睨んだまま告げた。
後部座席に収まった玄と爪戯の顔には、疑念が浮かんでいる。
「わ、分かりました」
運転手は僅かに口元を引きつらせ、エンジンを始動させた。
窓の外を流れる景色が、市街地から寂れた山道へと変わっていく。
車内を満たすのは、エンジンの駆動音だけだった。
山の外れ。
かつての訓練場跡地に広がるのは、無数の墓標の群れ。
「降りろ」
短い指示を残し、レンは車を降りる。
冷たい風が吹き抜ける墓地へと足を踏み入れた。玄と爪戯も無言で後に続く。
「此処って……?」
立ち並ぶ墓石群を見渡し、爪戯が口を開いた。
その数、四百九十九。
「墓地……」
玄の喉仏が上下する。
レンは墓標の前に立ち止まり、そこに刻まれた名前の輪郭を指先でゆっくりとなぞった。
「お前たちは、選ばれた子ども達を知っているな?」
振り返ることなく、レンが問いを投げる。
「小四の頃に国から選ばれた子ども達が、訓練を経てⅩⅢに入れるってやつだよね?」
爪戯が即答する。
国から「特別な適性」を見出され、訓練の末に治安維持組織〈ⅩⅢ〉へ入隊する権利を得る。
選出された家庭には莫大な報酬が支払われたという。
「やっぱり、キミはその選ばれし子ども達の一人!?」
玄の確信めいた問いに、レンは僅かに顎を引いた。
「ああ……そしてこの墓は私以外の子ども達のものだ。五百人の子ども達は……私だけを残し、皆死んだよ」
無機質な声で紡がれた事実に、玄と爪戯の呼吸が止まる。
教室で全滅したという不穏な噂の真相を目の当たりにし、二人の視線が硬直した。
「ⅩⅢを夢見て、英雄だと信じた子ども達。しかしそれをⅩⅢは、最初から裏切っていた」
レンは身をかがめ、冷たい石の表面を見つめる。
「なんで……その話を?」
爪戯が周囲の墓標群へ視線を這わせながら尋ねる。
「ⅩⅢは世間が抱くような英雄とはかけ離れた闇の部分が沢山ある……六大路辛のことも、そう」
沈み込むような声だった。
「とはいえ……子ども達と比べて半妖の出自は貴重だからな。今回のことをキツく言っておけば、少しは……と言っても本当に少しだろうがな。一応掛け合ってみよう」
レンは立ち上がり、二人に向き直る。
その双眸の奥には、薄暗い陰りが落ちていた。
「ありがとうございます」
玄が深く頭を下げ、爪戯もそれに倣う。
「……良い味方を持ったな。外の世界といい……」
レンの口角が僅かに上がり、語尾は冷たい風に溶けて消えた。
二人が顔を上げる。
用件は終わった。
墓地を去る直前、レンは無数の墓標へ向けて静かに一礼する。
玄と爪戯もまた、それに倣い頭を下げた。
一方、六大路家。
ベッドに横たわる辛の意識は、深い闇の中に沈んでいた。
視界を覆うのは、白。
両手首が白衣の研究員の手で頭上で固定され、冷たい感触が肌を縛る。
両足も同様に押さえつけられ、仰向けの身体を隠す衣服はない。
「……っ……離せ」
乾いた唇から漏れた拒絶は、周囲を取り囲む白衣の者たちには届かない。
拘束を振り解こうと筋肉を収縮させるが、力は虚無へ吸い込まれるように伝わらない。
無機質な手が、辛の肌を這う。
「痛っ!? あっ……はぁ」
神経を直接撫でられるような鋭い痛みと、それを侵食する異様な快楽の感覚。
辛は背を反らせるが、その手の動きは止まらない。
「あっ」
意図せず声がこぼれる。
心拍数が跳ね上がり、呼吸が乱れる。
体温が不自然に上昇していく。
そこへ、仮面で顔を隠した女が近づいてくる。
その姿を捉えた瞬間、辛の全身が強張った。
「っ……やめ……助け……」
女の影が辛を覆う。
白衣の者たちの手が離れ、痛覚が消え去った直後、それを塗り潰すような異常な快楽の感覚が神経を焼いた。
理性を置き去りにした肉体の生理反応。
女の質量が、辛の身体へと沈み込んでくる。
「……っ! ……助け」
「辛! 辛!」
唐突に、視界の白が暗転した。
現実世界の重力が身体を取り戻す。熱に浮かされた辛の肩を揺すり、意識を引き上げたのは父・北王だった。
「水分補給しろ、ほら」
北王は辛の上体を支え起こし、グラスを口元へ運ぶ。
辛は促されるまま、冷たい水を喉へ流し込んだ。
「仕事は?」
乱れた呼吸を整えながら、辛は視線を逸らして尋ねる。
「お前の容態を診るのが仕事だ」
北王が短く返す。
半妖という特異な構造を持つ辛の肉体。その管理には、専門的な見地が必要不可欠だった。
その時、玄関のチャイムが電子音を鳴らした。
北王がグラスを置き、部屋を出ていく。
「六大路ー!」
「大丈夫かー!」
玄関先から響いてきたのは、騒がしい声。
ドアの向こうに立っていたのは、一年A組の面々――紅桔梗志紀、蘇芳レイヴン、色波樹、灰塚こころ、錆御納戸雫、青藤葵の六人だった。
「あ、煩くしてすみません。ちょっと男子、落ち着いて」
葵が頭を下げながら、志紀とレイヴンの背中を叩く。
雫とこころも、申し訳なさそうに身を縮めていた。
「あの、お見舞いに来たのですが……邪魔でしたら帰りますんで」
樹が周囲を制しつつ、冷静に要件を切り出す。
「いや……丁度さっき目が覚めたところなんだが、少しなら大丈夫だぞ」
北王は僅かに目元を緩め、彼らを招き入れた。
足音が廊下を進み、辛の部屋の扉が開かれる。
「……お前ら」
辛の目が、僅かに見開かれた。
「黒川と紺野も行きたかったみたいだけどね、ちょっと別行動」
レイヴンが、不在の二人の動向を短く補足する。
「六大路、あんま無理すんなよ」
志紀がベッドに近づき、辛の頬を指先で突いた。
「いや、紅桔梗君は離れて?」
葵が志紀の肩を掴み、強制的に引き剥がす。
「煩くてごめんね、あ……これ今日のプリントだよ」
雫が鞄を開け、クリアファイルを取り出してサイドテーブルに置いた。
「お前ら病人の前で……もう少し静かにしろよ」
樹が溜息混じりにたしなめる。その背後に隠れるように、こころが視線を彷徨わせていた。
「ノート見るか!?」
「お前のノートに価値あるのか!?」
「授業中寝てるもんね」
ベッドを囲む騒音。
無表情を崩さない辛の視界で、平穏な日常の断片が再生されている。
静かな自室を満たすその喧騒を、辛はただ黙って見つめていた。
扉の傍に立つ北王の目元も、僅かに和らいでいる。
過酷な検査と絶望的な疲労の底。
その暗闇の中に差し込んだ僅かな光を網膜に焼き付け、辛は静かに呼吸を整えた。
その日の夜。
ⅩⅢの実験棟。白く無機質な廊下に、重く鋭い足音が響き渡る。
四月レンの双眸は、周囲の空気を凍てつかせるほどの冷たさを帯びていた。




