case.48「天竜天色」
天竜天色は、治安維持機構であるⅩⅢの監視対象に置かれた存在だった。
彼の有する『竜化』という強大な異能が、その眼に留まったのだ。
だが、その評価は六大路辛という特異点に比べれば、相対的に低い水準にあった。
天色には、ある程度の期間、ⅩⅢの思想教育が施された。
彼は自身を、選ばれた存在であると固く自負していた。
しかし、ⅩⅢの冷徹な演算において、天色は辛の成長を促すための試金石、あるいは使い捨ての駒としての価値しか与えられていなかった。
ⅩⅢの描いたシナリオは単純だ。
天色を刃ケ丘異能高等学校のB組に配置し、A組の辛と衝突させる。
極限の闘争を通じて、辛の潜在能力を強引に引き上げる。それが彼らの立案した計画の全貌であった。
天色自身も、標的である辛という半妖の存在と、彼がⅩⅢの管理下にあるという事実を事前に通達されていた。
選民意識に凝り固まった天色は、辛を圧倒し、己の価値を証明する算段を立てていた。
「オレが、あの半妖に負けるわけがない」
ⅩⅢ支部の無機質な廊下を歩行しながら、天色は己の優位性を確認するように独白した。
入学式から一週間。天色はⅩⅢの施設内で、異能出力の最終調整を受けた。
そして、監視役も兼ねた朱殷実果と共に、刃ケ丘の地を踏んだ。
天色の最初のプロセスは、配属されたB組の掌握であった。
常に穏やかな微笑を浮かべながら、圧倒的な暴力の片鱗を提示することで、彼は瞬く間にB組を自身の支配下に置いた。
「オレの言うことを聞いていれば、A組に勝たせてあげるよ?」
天色は、狂信者を導く教祖のような微笑みで級友たちに告げた。
六大路辛……入学早々色々やってくれたみたいだね……。
天色の耳には、辛が学園内で起こした決闘騒ぎや、魔によって暴走したB組生徒の制圧といった情報が絶えず入力されていた。
予想を上回る辛の戦果に、天色の内側に不快な熱が蓄積していく。
だが、彼はその感情を完璧な微笑みの裏に隠し、穏やかな支配者を演じ続けた。
宿泊研修における登頂課題。そこで天色は、辛の能力の深淵を垣間見た。
「ⅩⅢが目をかけてる理由はなんとなく分かったけどね」
過酷な登山の最中、天色の口から漏れた評価。
状況を俯瞰する判断力、躊躇のない行動力、そして規格外の異能の質。それらの要素が、ⅩⅢが辛を特別視する理由として、天色の論理回路にも確かに認識された。
それでもなお、天色は自身の敗北など微塵も想定していなかった。
中間テストの折、花緑青小春が独断で辛を陥れようと策を巡らせた。
天色はその動向を把握しながらも黙認したが、結果として小春の目論見は辛の盤上で完全に破綻した。
「そっか……キミはその程度ってことだよ」
天色は、冷徹に小春の存在価値を下方修正した。
独断による暴走、そして無様な敗北。天色の演算において、失敗した駒を救済する理由など存在しなかった。
この時点でも、天色は自身が辛に劣っているとは露ほども思っていなかった。
そして、文月に執行された期末の異能実技試験。
天色は辛と直接対峙し、そして、完膚なきまでに打倒された。
最終的な機能停止を引き起こしたのは大空蒼の異能だったが、その前提として、辛の炎を纏った蹴撃が天色の強固な装甲を透過し、内部組織を不可逆的に破壊していた。
もし、大空に邪魔をされずにいたら……。あの半妖をオレは倒せたのか?
意識が暗転していく間際、天色の脳裏に浮かんだのは、己の敗北を否定できない絶望的な問いであった。
天色は、論理の奥底で薄々とは感知していたのだ。
自身は、六大路辛という存在には決して到達できないのではないか、と。
その不都合な真実が、意識の表面へと微かに浮かび上がっていた。
天色は刃ケ丘の医療棟で応急処置を受けた後、極秘裏にⅩⅢ本部の監察医療棟へと移送されていた。
意識が浮上し、天色は無機質な病室の天井を虚ろな目で見上げた。
両手首には、異能の励起を完全に遮断する重厚な手枷が嵌め込まれている。
「オレは……」
天色は自身の記憶データにアクセスする。
期末の異能実技でA組の連携に敗れ、自暴自棄に陥った彼は、延長戦と称して無差別の破壊行動へと移行した。
六大路辛に負けた……。
天色の脳内で、その事実が冷たく反響する。
あの半妖……おそらく、あれで一割も異能を解放していない……。
天色の演算回路が、辛の底知れぬ総出力を再計算し、戦慄する。
そこへ、足音もなくⅩⅢの職員が病室へと姿を現した。
「天竜天色、貴方を一時隔離措置とします」
感情の欠落した声で通達される、事実上の幽閉宣言。
天色は抗弁することなく、その決定をただ軽く頷いて受け入れた。
監察医療棟の廊下。
かつて大空蒼と取引を交わした眼鏡の男、藤原が、ⅩⅢの監査官を伴って歩行していた。
「藤原さん、これを見越して大空蒼を?」
監査官が、事態の推移を尋ねる。
藤原は歩調を緩めることなく、前方を見据えていた。
「しかしもう少しやる奴とは思っていたが……六大路辛の潜在能力を引き出せないどころか、殺人未遂の暴走。餓鬼だな」
藤原は中指で眼鏡のブリッジを押し上げ、冷酷な評価を下す。
「元々天竜に勝機はなかったと聞いていますが?」
監査官が藤原の背中へ問いを投げる。
「それにしても使えん奴だった」
藤原は天色の存在を完全に切り捨てるように、冷徹に言い放った。
◇
天竜天色の意識が戻るより前の時間。
異能実技試験が終了した直後、刃ケ丘の医療棟には、消耗と負傷の修復のため各クラスの生徒たちが集結していた。
「六大路が最初から、天竜をぶっ飛ばしてたら余裕だった?」
紅桔梗志紀が、腕の擦過傷に消毒液を擦り込まれながら顔をしかめて言った。
「これは異能実技の試験だ、オレ一人で勝っても意味はない。もし仮に、オレ一人で一瞬で制圧出来たとして……クラスメイトの査定が落ちていた可能性がある」
辛は壁に背中を預け、視線を動かさずに合理的な判断基準を開示する。
「それに天竜の異能が判明していなかった。開始直後は朱殷って奴の対応に迫られたしな……」
辛が状況の変数を付け加える。
個の武力による強行突破は、クラス全体の評価を下落させるリスクを孕む。さらに、朱殷の即座の迎撃と、天色の未知の異能という不確定要素が存在する状況下において、単騎特攻は最適な演算結果とは言えなかった。
「まあ、それ言ったら……もっと早くに、オレが結使いで天竜を引き寄せれば良かった……」
蘇芳レイヴンが椅子から立ち上がり、自身の行動タイミングの遅延を指摘する。
「でも引き寄せるタイミングや位置によっては、灰塚さんが危なくなってた可能性あるし?」
黒川玄が右手の人差し指を立て、リスク管理の観点からレイヴンの自責を否定する。
「いやまあ、あとからならなんとでも言えるって」
紺野爪戯が腕を組み、不毛な過程の検証を打ち切る。
「だよねー……私もあの時異能使ってればーって考えちゃってるもん」
青藤葵が自身の軽傷の手当てを終え、錆御納戸雫へ椅子を譲りながら同意する。
「私は葵が傍にいて心強かったよ」
雫が椅子に腰を下ろし、静かな声で葵をフォローした。
「あ、あの!」
灰塚こころが、限界まで縮こまらせていた身体を震わせ、勇気を絞り出して声を上げた。
「皆さん、ありがとうございました」
こころは両手を身体の脇で揃え、深く頭を下げる。
その光景を前に、火乃宮朱美は居心地悪そうに視線を逸らした。
「灰塚、頑張ったな!」
色波樹が真っ直ぐに称賛の言葉を向ける。
玄もこころの肩に軽く手を置き、いつもの緩い笑みを浮かべた。
クラスメイトの間に、戦いを共有した者特有の静かな連帯感が満ちていく。
「真白さん! 俺はどうでしたかっ!」
強矢翠柳が佐倉真白の正面に立ち、大声で敬礼する。
即座に医療棟の職員から静粛にするよう鋭い警告が飛んだ。
真白は翠柳の騒音を完全に無視し、窓の外の景色へ視線を固定し続けていた。
「一番の功労者はボクじゃね?」
大空蒼が、退屈そうに欠伸を噛み殺しながら自身の戦果を主張する。
「いや、あんた後方で見てるだけだったじゃん!」
爪戯が間髪入れずに事実を突きつける。
天色の暴走を無力化したという結果は事実だが、それ以前の試験プロセスにおいて、蒼は一切の戦術的貢献を果たしていなかった。
「そうだよ! 空気固めて壁に出来るなら、灰塚を守りやすかったじゃん!」
レイヴンも追従し、蒼の非協力的態度を非難する。
「やだよ、めんどい」
蒼が完全にそっぽを向き、会話を拒絶する。
A組の生徒たちから抗議の声が上がり、空間のノイズレベルが上昇する。
再び職員が姿を現し、冷ややかな一喝によって強制的に静寂がもたらされた。
壁を隔てた隣の区画。
そこではB組の生徒たちが手当てを受けていたが、A組の喧騒とは対照的に、重く沈鬱な空気が支配していた。
「天竜君はどうなるのでしょうか?」
意識を取り戻した小春が、不安を滲ませた声で問う。
「知るかよ」
浅黄ゴウが苛立ちのままに舌打ちをし、吐き捨てる。
敗北の重圧がB組を沈黙させる中、枯野アカハだけは、記憶の中の辛の圧倒的な姿を反芻し、熱を帯びた頬を手で押さえていた。
朱殷は喧騒と沈黙を背に、一人静かに窓際へと歩を進める。
任務は継続、問題ない……。
彼は窓ガラスに右手を触れ、己の使命の進行状況を再確認する。
「六大路辛……か」
朱殷は標的のフルネームを低く呟き、情報を噛み砕く。
そして、ガラスに反射する自身の顔に、不敵な笑みを浮かべた。




