case.19「それぞれのクラス」
「は~……ごめんね、私がしっかりしてれば毒にも対抗できるのに……いざってなると動けなくなっちゃう」
深い溜息と共に口を開いたのは、A組の少女・錆御納戸雫だった。
「大丈夫だって……なんならこの場では──……」
隣を歩く少女・青藤葵が言葉を濁し、横目で火乃宮朱美へと視線を流す。
「コントロールできない火乃宮が暴走したら厄介だよなあ」
前方を歩いていた紅桔梗志紀が、葵の視線の意図を正確に言語化した。
炎を操る朱美の異能は、出力こそ高いものの精密な制御を欠いている。木々が密集するこの山中において、彼女の能力行使は明確なリスクとして認識されていた。
「はあ!? 何言って」
朱美が歩みを止め、志紀へ向けて鋭い怒気を放つ。
「此処森だぜ? 引火してみろよ、なあ?」
志紀は挑発的に追い打ちをかけ、周囲の生徒たちへ同意を求めた。
「つーか、アレでよく灰塚を馬鹿にできるよなあ……逆に感心って言うか」
頭の後ろで手を組みながら、蘇芳レイヴンが呆れたような声で続く。
「何よ! トロ子より私の方が役に立つでしょ!」
朱美は声を荒らげて反論する。
比較対象として名指しされた灰塚こころは、騒ぎに加わることなく、最後尾でただ視線を落として歩き続けていた。
「あんたら喧嘩してないでさ……」
列の前方から、紺野爪戯が振り返って制止を試みる。
「はあ? あんたには関係ないでしょ!? 半妖の金魚のフン!」
矛先を向けられた爪戯に対し、朱美の語気がさらに強まる。
「殺されたいわけ?」
爪戯の目つきが鋭く細められ、即座に応戦の構えを見せた。
A組の列を包む空気は、最悪の様相を呈していた。
「いい加減にしろよお前ら!」
色波樹が後ろを振り返り、苛立ちをぶつけるように叫ぶ。
「あんたは黙ってなさいよ! 決闘は勝敗がつかなかったけど、実質私の勝ちのようなものだったし!」
朱美は腕を組み、傲慢な態度で言い放った。
確かにあのアリーナでの決闘は途中終了となったが、状況としては朱美が優位に立っていたのは事実である。
「決闘のことは関係ないだろ、今は仲間割れしてる場合じゃないって話!」
樹は険悪な空気をどうにか収束させようと声を張り上げる。
「火乃宮さんってちょっと……」
「ねえ……」
雫と葵が顔を寄せ合い、声を潜める。
朱美の攻撃的な態度に対する、冷ややかな評価がそこにあった。
「はあ……なーんで全員でゴールなんだろうなあ……一人だったら余裕だったのに」
レイヴンが頭の後ろで手を組んだまま、忌々しげに呟く。
「チームワーク拒否ってこと?」
隣の志紀がすかさず突っ込みを入れた。
「まあ、紅桔梗とかは強いから良いけどさ~灰塚・火乃宮・色波は正直足手まといつーか」
レイヴンは深い溜息と共に、容赦のない言葉を落とした。
名指しされた朱美と樹の顔面が、屈辱に歪む。
「ちょっと! 私をトロ子と一緒にしないで!」
朱美は右手を胸に当てて声を張り上げる。その左手は固く握り込まれていた。
一方の樹は、己の無力さを痛感しているがゆえに、一切の反論を返すことができなかった。
その直後、山に放し飼いにされている異形の魔物が、木々の隙間から列へと突進してきた。
だが、その巨躯が彼らに届くことはない。
先頭を歩く佐倉真白の周囲から放たれた光線が、魔物の肉体を一瞬にして貫き、霧散させた。
真白は背後の喧騒にも、眼前の脅威にも一切の反応を示さず、ただ無言で先頭を歩み続ける。
「良いからお前ら真白さんに続け!」
最後尾から、強矢翠柳が進行を促す。
終始まとまりのないA組の行軍。そのただ中で、大空蒼だけは退屈そうに欠伸を噛み殺していた。
一方、単独で先行した六大路辛と、それを追う黒川玄。
辛は飛来した「紙」のベクトルと、自身の有する五行の異能を活用して得た環境情報を照合し、B組の潜伏座標を正確に割り出していた。
迷うことなく、最短経路でその地点へと肉薄する。
木々の隙間を高速で縫うように走る辛。
玄も遅れることなく、その背後にピタリと追従する。
突如、虚空から無数の紙が現れた。
それらは鋭利な刃へと形を変え、辛と玄の周囲を完全に包囲する。
辛は一切の減速を行わず、地を強く踏み込んだ。
掌から高密度の金属刃を生成し、流れるような動作で一閃。
鋼の軌跡が、包囲する紙の刃を瞬時に両断した。
「よお、あの時の借り返すぜ」
紙の残骸が散る向こう側。
そこには、浅黄ゴウと、紙使いの少女である花緑青小春が立ち塞がっていた。
「一方的に絡んできておいてそれはないんじゃない?」
辛の背後から顔を覗かせた玄が、弛緩した口調で事実を指摘する。
「てめえに用はねえ!」
ゴウは顔の筋肉を怒りに歪め、殺気立った声を上げた。
彼が行動を起こそうとした瞬間、周囲の木々が不自然にうねりを上げ、大量の木の葉が刃となって襲い掛かってきた。
辛は重力に逆らうように跳躍し、空中で身を翻しながら木々と葉の刃を的確に斬り落としていく。
玄も即座に影を隆起させ、死角からの攻撃を完全に防いだ。
「邪魔すんじゃねーよ」
ゴウが苛立ちを露わにして背後を睨みつける。
そこには西森シルヴァの姿があった。先ほどの自然操作は彼女の異能によるものだ。
「そ、そんなこと言ったって……」
シルヴァは気圧されたように言葉を濁す。
辛が着地し、再び刃を構え直したその瞬間、場の空気が一変した。
敵対行動を取っていたB組の生徒たちを含め、その場にいる全員の視線が一点へと引き寄せられる。
「これはこれは……A組のお二方、御迷惑をおかけしてごめんね?」
ゴウたちの背後から、静かな足取りで一つの影が歩み出てきた。
辛は無意識に刃の切先を下げ、警戒のレベルを最大まで引き上げる。
玄もまた、普段の緩みを消し去り、両目を細めた。
「六大路辛君だよね?」
歩み寄ってきた少年は、辛を真っ直ぐに見据えたまま言葉を放つ。
頭の左側に三つ編みを編み込んだ、物腰の柔らかい少年。B組の天竜天色である。
「なんだ、お前……」
辛の口から、警戒を含んだ低い声が漏れる。
辛の記憶領域にも、玄のデータベースにも、この少年の情報は存在していない。
天色は顔に笑みを張り付かせたまま、口を開いた。
「いろいろ調整で遅れたけど、入学式と決闘ではお世話になったみたいだね?」
穏やかな声色で告げる。
彼の斜め後ろには、朱殷実果という見慣れない少年が控えていた。
「それで? オレ達に仕返しをしようって訳~?」
玄がいつもの調子で問いかけるが、その顔には明確な緊張が走っている。
「違う違う! 確かに此処におびき寄せたけど……A組をどうこうしようって意図はないよ」
天色は両手を軽く振り、明確に敵意を否定した。
「どういうこと?」
玄の問いに対し、辛は沈黙を保ったまま相手の細かな挙動を解析し続ける。
「話がしたかったからおびき寄せた。その為の攻撃。うちには毒使いの子がいるけどね、それを使うつもりはないってこと」
天色は表情を崩すことなく、事もなげに答えた。
「信じろって?」
玄が視線を鋭くして問い詰める。
「まあ、信じてもらうしかないかな? こちらとしても毒を使ったら巻き込まれるんだ。使いたくないというか使えない。これはクラス全員での登頂が目標だからね」
天色は辛から目を逸らすことなく、論理的な根拠を提示した。
入学式で毒を暴走させた生徒はB組にいる。だが、無差別に散布される毒を用いれば、B組の生徒たちも確実に被害を受ける。
「それに、入学式と決闘でお世話になったから、今回はこれ以上A組に手は出さないと約束するよ」
天色は穏やかな笑みを浮かべ、確約の言葉を口にした。
「信じれる?」
玄が辛へ判断を委ねる。
辛の脳内で、提示された情報と目の前の状況が高速で照合される。天色の発言に虚偽の兆候は検出されない。
何より、天色が姿を現した瞬間から、ゴウを含めたB組の生徒たちから一切の攻撃意思が消失していた。
「分かった」
辛は短く結論を下し、刃を消散させて踵を返した。
「良いの?」
玄が確認を求める。辛は無言で一度だけ頷いた。
「戻るぞ」
辛はそれだけを告げ、来た道を引き返し始める。
玄がその後を追い、背後では天色がゆっくりと手を振っていた。
「本当に良いのかよ」
天色の隣で、実果が不満げに問いかける。
「まあまあ、焦らない焦らない。のんびり行こう、ね?」
天色は相変わらずの笑顔で、実果を宥めた。
「オレ的にはあの半妖と戦ってみたかったけどな」
実果は両手を腰に当てて吐き捨てる。
小春とシルヴァが安堵の息を漏らす中、ゴウはポケットに両手を突っ込み、深く舌打ちをした。
「さて、俺達も登頂を目指そうか。日が暮れる前に」
天色は軽く手を叩いて注意を引き、B組の生徒たちへ行動の再開を指示した。




