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ジェシカ その5

ブクマ、評価ありがとうございます。



 覚悟はできていた。

 クリフォードに薬を盛った、あの時から。


 だから、大丈夫だ。


 心配そうにこちらを見ているのは、クレイン夫人だ。

 話があると、意を決してクレイン夫人に声を掛けたのは午後のお茶の時間帯。

 居間でお茶を用意され、長椅子に腰を下ろした。きっとわたしの態度にクレイン夫人はわたしが何を話そうとしているのか、理解していたのだろう。向かいの席に腰を下ろしたわたしに優しいまなざしを向けてきた。


「まだ無理しなくても」

「いいえ。覚悟はしていますから」


 クレイン子爵家の人たちはわたしが何をしたのか、どのような状況であったのか、知っていた。きっとアナベルがうまく説明したのだと思う。こういうところは、クリフォードだと単刀直入しすぎて誤解されそうだし、エドワードに至ってはちゃんと説明できたかどうか。その点、アナベルは正確にわたしを説明したのだと思う。


 思わず笑みが浮かんだ。これほど親し気にアナベルと言っているが、実際は二度しか会っていない。

 一度目はわたしが掴みかかった時。二度目はここに送られる時だ。

 大量に本を持ってきていて、本と一緒に見送ってくれた。アナベルが育った環境でここ1か月ほど生活をしているせいか、とても身近に感じた。


「それなら、一つ提案が」


 クレイン夫人が少し茶目っ気を出した話し方をした。そういう処はクローディアによく似ている。


「何でしょうか?」

「エドワード様にそれを告げてしまったら、あなたは行き場所がなくなるでしょう?」

「そうですね、覚悟しています」

 

 エドワードは優しいから、傷つけたわたしにも少しは援助はしてくれるだろう。だけど、それは初めだけでずっとではない。今後のことは考えなくてはいけない。憂鬱に思いながらも、自分が選んだ道だと無理に納得させる。

 そんな胸の内を見透かしてか、クレイン夫人がさらりとわたしの欲しい言葉を与えてくる。


「ここへ来なさい」

「え?」


 驚きに目を見開き、クレイン夫人をまじまじと見つめた。


「あなたはクローディアと一緒に勉強をしてもらうわ。きっとあの子よりはよほど筋はいいと思うの」


 なんとも言い難いセリフに曖昧に笑った。


「それに、クローディアなんかよりもずっと裁縫も上手だったわ。きっとアナベルと同じくらいになれると思う」

「でも」

「あなたは夫に捨てられてお腹がすくのが嫌だったのよね?だったら、あなたが誰もがお金を払う技術を持てばいいだけだわ」


 誰もがお金を払う技術?


 首を傾げた。時々クレイン夫人の話は難しくてよくわからない。クレイン夫人はお茶を一口飲んでから説明を始めた。


「そもそも、子爵令嬢であるアナベルがどうしてあれほどの刺繍の腕を持っていると思う?」


 クレイン夫人が話したアナベルの事情はそれは想像すらしたことのないことだった。



******


 怖い。


 初めてエドワードに会うのが怖いと思った。でもこの先、ここを通らなかったら、わたしはダメな人間のままだ、とぐっと逃げたくなる気持ちを押さえつける。


「やあ、久しぶり」


 ランバート侯爵邸の客間に入ってきたエドワードはそう声を掛けてきた。久しぶりに見るエドワードは変わっていなかった。初めて会った時と変わらず、この人だとそんな思いが湧いてくる。でも、これも今日までだ。

 座っていた長椅子から立ち上がると、深く頭を下げた。


「お久しぶりです、エドワード様」


 初めの頃のように敬称を付けた。わたしは彼のところから離れるのためのちょっとした覚悟だ。


「今、お茶を」

「いいえ」


 言葉を被せるようにして告げると、驚いたようにエドワードがこちらを見た。じっと見つめられたが、逸らすこともなく見返した。お互いに座ることなく見つめ合った。


「今日はお別れの挨拶に来ました」

「何を……」


 エドワードが狼狽えている。その様子に、わたしの方が驚いてしまった。


「本当に色々とごめんなさい。エドワード様とクリフォード様には、とてもよくしてもらったのにひどく傷つけてしまって……申し訳なく思っています」


 本当ならば謝って済む問題ではない。それはわかっていた。でも、謝罪をしないのは違うと思っている。


 だからけじめとして。


 冷静になった今、謝っておきたかった。きっとこの先エドワードとは会うことはできないだろうから。


「別れる、と言っているのかい?」


 ようやく落ち着いたのか、エドワードが呟いた。わたしにしたら、別れないという選択肢がまずないと思っていた。


「それが一番いいと思っています」

「君は……変わったんだね」


 そうだろうか。基本はあまり変わっていない。

 上っ面だけ理解したような感じになっているだけだ。ちゃんと勉強しなおしているわけではないし、未だに貴族が理解できない。


 ただ、ただ。


 エドワードが何から守ろうとして、自分が起こした何がダメだったか朧気に理解しただけだ。理解したような気持になっているだけで、本当のところはどうしていいのか、わかっていない。


「いいえ。わたしはきっとこれからも変わらないわ。だから、エドワード様の側に立つことができないんだと思う」


 きっと今は理解しているつもりでも、やはり正妻が一番だと思っている。側室や愛妾が思っているようなひどいものではなく、本当はその家を盛り立てるためにお互いが協力していくのだと理解できても、側室や愛妾の存在に不安だと思う。


 これはどう頑張っても変えられないことなのだ、と。


 同時に愛し合っているからといっても正妻にはなれないし、愛しあっていても側室を拒否できない。


 なんて苦しいんだろう。この苦しさは飲み込めない。飲み込めないならここから去る選択をした。側にいない苦しさの方がまだ耐えられそうだから。


「本当に、本当に今までこんなわたしを愛してくれてありがとう」


 エドワードはそれ以上何も言わなかった。ただただじっと見つめてくるが、最後はそのまなざしを受け止めることができなかった。



******


「ジェシカお姉さま」


 あれから、クレイン子爵家に戻ってきた。クレイン夫人が戻ってきてもいいと言ってくれたから甘えてしまっている。でも、今は誰もいない別邸に一人いるのは辛かった。後で始末をしに行かなければならないけど、今は無理だった。


 ベッドに丸くなって蹲っていると、躊躇いがちな小さな声がした。顔を上げたいけど、涙でぐちゃぐちゃだし、クローディアの顔を見たら、ようやく落ち着いてきたのに号泣しそうだ。


「ねえ、そのままでいいよ。アナベルお姉さまも泣いて泣いて泣いて目が溶けそうだった」


 アナベル、と聞いて思わず涙が溢れた。

 クレイン夫人が話してくれたアナベルとその婚約者の話は辛かった。


 アナベルとその婚約者は幼い頃からの幼馴染で、相手も子爵家であっても三男だったから、受け継ぐものがなかった。だから、二人は結婚しても貴族ではなくなるため、生活の糧になる様にと商売を始めることにした。アナベルの刺繍の腕はとても素晴らしく、すぐに人気になった。それを取り扱って広めたのが相手の子爵家。子爵家の後押しを使い、4つ年上の婚約者が中心となって、アナベルの刺繍を広めていった。


 だけど、羽振りがいいと思われたのか、婚約者が盗賊に誘拐された。計画がずさんだったのか、誘拐されて二日後には盗賊は捕縛されたが、婚約者が救い出されたときはひどい怪我を負っていて虫の息だった。誘拐されたときに切られた傷は放置され、悪化していた。それを看病していたのがアナベルだ。だけど彼は生きることができなかった。


 どれほどの辛さだろうかと想像すらできない。聞いた時は息が止まりそうなほどの衝撃だった。あれほど凛として、朗らかに楽しげに話す彼女にはどこにも陰りがないのに。いったいどれほど嘆いたら、あんな風になれるのだろうか。


「泣けるだけ泣いた方がいいと思う。でも、涙が出なくなったら前を見てね。ジェシカお姉さまは独りじゃないから」


 優しい言葉にまたもや涙が出てきた。アナベルの辛さとは比べ物にならないのに。


「……ありがとう」

「どういたしまして。どうしてわたしのお姉さま達は悲恋なのかしらね?」


 明るめにそう言いながら、部屋を出て行った。一人になった部屋で思わず笑ってしまう。


 わたしは悲恋ではない。自分でダメにした恋だった。

 これから先、同じように愛することができる人が見つかるとは思えないけど。

 もし、もう一度。


 愛する人が見つけられたら、運命などと思わずきちんと道を歩いていこう。





ジェシカ、別れました。言われるのも辛いけど、言うのはもっと辛い。。。

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