シェルエリナたち
Cielhelina
世界が存在し、その中で紡がれる誰かの物語。
この作品は、英雄だけを描く物語ではありません。
名もない冒険者も。
市場で働く人も。
酒場の主人も。
今日という一日を精一杯生きています。
その人生が交わり、
笑い、
悩み、
支え合いながら、
世界は少しずつ歴史を刻んでいきます。
主人公は、その世界を歩く一人です。
世界のために生きるのではなく、
自分の人生を精一杯生きる。
その歩みが、
誰かの人生と重なり、
やがて世界の歴史となっていく。
どうぞ、アルディアという世界を歩いてみてください。
「大きいねえ」
シェルエリナが言った。
返事はなかった。
王都アルディオンの大通り。
朝から人が行き交っている。
荷車が通る。
馬車が通る。
店先では商人が声を張り上げ、道の端では大きな木箱を抱えた男が、前を歩く誰かに向かって何かを叫んでいる。
その横を、籠いっぱいの果物を抱えた女が器用にすり抜けていった。
「大きいねえ」
シェルエリナがもう一度言った。
「聞こえている」
ノクトが答えた。
「じゃあ何か言ってよ」
「大きいな」
「そうでしょう!」
シェルエリナは満足した。
ノクトが少しだけ眉を寄せる。
「俺が言う必要はあったか?」
「あるよ」
「なぜ」
「一人で喋ってるみたいになるでしょう」
「いつものことでは?」
「いつもじゃない!」
「いつもだな」
ガイアスが言った。
「ガイまで!」
「俺は事実を言っただけだ」
「そういうところだよ!」
リゼリアは何も言わなかった。
ただ、少しだけ笑っていた。
「リセも笑った!」
「笑ってないわ」
「今、笑ったよ!」
「気のせいでしょう」
「絶対笑った!」
四人は歩く。
自由都市フェルムを出て。
王都アルディオンへ。
これから王都の冒険者ギルドを拠点に活動するために、四人はここまでやってきた。
けれど。
王都へ来た。
その実感は、城門をくぐったときよりも、こうして街を歩いている今の方が強かった。
人がいる。
とにかく、人が多い。
フェルムにも大きな通りはあった。
市場へ続く道。
冒険者ギルドの前。
祭りの日には、人で埋まることもある。
けれど。
ここは、何もない朝だった。
それなのに、人がいる。
通りの向こうから、荷車が来る。
「おい、そっちじゃない!」
声が飛ぶ。
荷車を引いていた男が何かを言い返す。
「昨日は――」
「今日はこっちだ!」
何が昨日で、何が今日なのかは分からなかった。
二人の横を、細長い包みをいくつも抱えた若い男が急いで通り抜ける。
その先では、店の軒先に布を広げていた女が振り返った。
「そこ、踏まないで!」
「踏んでない!」
「今、踏んだでしょう!」
「端だ!」
「端も商品!」
誰かが笑った。
その笑い声に混じって、別の店から呼び込みの声が飛ぶ。
シェルエリナの顔が動く。
右。
左。
右。
「前を見なさい」
リゼリアが言った。
「見てるよ」
「見てないわ」
「見てる」
「今、屋台を見ていたでしょう」
「道の途中にあったから」
「振り返ってまで見る必要はないわ」
「いい匂いだった」
「朝食は食べたでしょう」
「食べたけど」
シェルエリナは少し考えた。
「王都の食べ物は、王都でしか食べられないかもしれない」
「それで?」
「確認する必要があると思う」
ノクトが言った。
「何を」
「味を」
「食べたいだけだろ」
「違うよ」
「違わないわね」
リゼリアが言った。
ガイアスが振り返る。
「どれだ」
「え?」
「いい匂いの店」
シェルエリナの顔が明るくなった。
「あれ!」
「行くか」
「行こう!」
「行かないわよ」
リゼリアが言った。
二人が止まった。
「なぜだ」
ガイアスが聞く。
「なぜ、ではないでしょう。先にギルドへ行くの」
「店は逃げない」
ノクトが言った。
シェルエリナは屋台を見る。
「売り切れるかもしれない」
「そのときは諦めろ」
「王都って厳しいね」
「王都の問題ではない」
また歩き出す。
その横を、小さな荷物を抱えた少年が駆けていった。
少し先で人とぶつかりそうになり、身体をひねる。
「危ない!」
「ごめんなさい!」
そのまま走っていく。
向こうでは、道端にしゃがみ込んだ老人が何かを直している。
その前を通りかかった女が立ち止まり、少し話し、また歩き出す。
四人はその間を進んでいく。
誰も、四人を知らない。
シェルエリナたちも、誰も知らない。
それでも街は動いていた。
四人が来る前から。
ずっと。
大通りの先に、大きな建物が見える。
一つではない。
遠くには、さらに大きな建物がある。
塔。
屋根。
城壁。
その向こうにも、何かが見える。
シェルエリナは歩きながら、少しだけ上を向いた。
「フェルムだとさ」
「何?」
リゼリアが答える。
「だいたい、あっちに何があるか分かったよね」
「そうね」
「あそこ」
シェルエリナが指を差した。
「何があると思う?」
「知らないわ」
「私も」
「そう」
「その向こうは?」
「知らない」
「私も」
「そうね」
「すごいね」
今度は誰も茶化さなかった。
人がいる。
道がある。
建物がある。
その先にも、また道がある。
知らない場所が、見えているだけでもいくつもあった。
シェルエリナは少し笑った。
「全部行けるかな」
ノクトが言った。
「何日かかると思っている」
「分からない」
「なら言うな」
「でも行けるでしょう?」
「理論上は」
「じゃあ行ける」
「その理屈なら、大陸中どこでも行ける」
シェルエリナが止まった。
「……ほんとだ」
「気づいていなかったのか」
「ノクト」
「何だ」
「いいこと言うね」
「言ってない」
ガイアスが前を見る。
「着いたぞ」
三人が顔を上げた。
冒険者ギルド。
王都アルディオンの冒険者たちが集まる場所。
フェルムのギルドより、ずっと大きかった。
シェルエリナが見上げる。
「……大きいねえ」
ノクトが言った。
「大きいな」
シェルエリナが振り返る。
「今度は早い!」
「学習した」
「えらい」
「腹が立つな」
四人は中へ入った。
◇
音がした。
たくさんの音だった。
話し声。
笑い声。
椅子を引く音。
紙をめくる音。
誰かを呼ぶ声。
奥の方で、何か重いものが床へ置かれた。
どん、と鈍い音がする。
「――だから東は」
人の間を抜ける。
「三日だって? 冗談だろ」
誰かが笑う。
「……まだ帰ってないのか?」
依頼書を持った女が横切る。
「それ、誰が――」
「知らねえよ。聞いたときにはもう――」
少し離れたところで、大きな声。
「だから嫌だって言ったんだ!」
何が嫌なのかは分からない。
その隣では。
「採取なら――」
人の声に消える。
「……五日?」
「聞いてないぞ」
「次の方」
受付から声が飛ぶ。
誰かが前へ進む。
誰かが戻ってくる。
依頼が貼られた大きな掲示板の前には、何人もの冒険者がいた。
一枚の依頼書を見ている者。
何枚も見比べている者。
掲示板ではなく、隣の冒険者が持っている依頼書を覗き込んでいる者。
「それ、楽――」
「報酬が」
「でも――」
人が通り、声が途切れる。
大きな荷物を背負った男が四人の前を横切った。
「悪い」
「あ、はい」
シェルエリナが一歩下がる。
男はそのまま歩いていく。
「――今度は長い」
「いつ戻る?」
「さあな」
人混みに消えた。
シェルエリナは周囲を見る。
「……人、多いね」
「そうね」
リゼリアも見ている。
ガイアスも見ている。
ノクトだけが、少し先にある案内を見ていた。
「王都での活動登録は、あちららしい」
「登録?」
シェルエリナが聞く。
「このギルドで活動するためのものだろう」
「私たち、もう冒険者だよ?」
「知っている」
「Dランク」
「知っている」
「結構すごい」
「自分で言うな」
「フェルムでは有名だった」
「それも自分で言うな」
「本当だもん」
「シェリ」
リゼリアが呼ぶ。
「何?」
「行くわよ」
「はい」
四人は受付へ向かった。
いくつも窓口がある。
すべてが開いているわけではなかったが、それでもフェルムのギルドとは比べものにならない。
人が並んでいる窓口もある。
妙に速く列が進んでいるところもある。
四人は比較的空いていた窓口へ向かった。
受付にいた女性が顔を上げる。
柔らかな雰囲気を持つ女性だった。
「おはようございます」
「おはようございます!」
シェルエリナが答えた。
少し大きかった。
近くにいた冒険者が一人、こちらを見る。
シェルエリナは少しだけ声を落とした。
「……おはようございます」
受付の女性は笑った。
「王都ギルドでの活動登録ですね?」
「はい」
「では、こちらへお願いします」
四枚の用紙が出された。
「所属していたギルド、名前、現在のランク。それから、パーティー内での主な役割をお願いします」
「役割」
シェルエリナが紙を見る。
「剣士、でいいのかな」
「それ以外に何がある」
ノクトが言った。
「前衛」
「なら前衛剣士でいいだろ」
「二つ書いていいの?」
受付の女性が答える。
「はい。普段の役割が分かれば大丈夫ですよ」
「じゃあ、前衛剣士」
シェルエリナが書く。
少しして。
「……字、これで合ってる?」
「自分の役割でしょう」
リゼリアが言った。
「前衛の『衛』が急に分からなくなった」
「見せなさい」
「これ」
「合ってるわ」
「よかった」
その隣で、リゼリアはすでに書き終えていた。
ガイアスも書いている。
ノクトは最後まで何も言わず、紙を受付へ戻した。
受付の女性が四枚を確認する。
「シェルエリナさん」
「はい」
「リゼリアさん」
「はい」
「ガイアスさん」
「ああ」
「ノクトさん」
「はい」
受付の女性が紙を揃える。
「皆さん、Dランクですね」
シェルエリナが少しだけ胸を張った。
ノクトが見る。
「何だ」
「別に」
「今、何か言おうとしたでしょう」
「何も」
受付の女性は、もう一枚の用紙を取り出した。
「では、パーティー名をお願いします」
四人が止まった。
「……」
「……」
「……」
「……」
受付の女性が待つ。
シェルエリナがリゼリアを見る。
リゼリアがノクトを見る。
ノクトがガイアスを見る。
ガイアスが言った。
「何だ」
シェルエリナが聞く。
「私たち、パーティー名あったっけ?」
「あるにはあるわね」
リゼリアが答えた。
シェルエリナが少し考える。
そして。
「あ」
思い出した。
ノクトが言う。
「以前のものでいいだろう」
「嫌だよ!」
即答だった。
受付の女性が少しだけ目を瞬く。
「あの時のだって、みんなの名前の頭文字をそのまま四つ並べただけじゃないか~! あんなのはいやだ!」
「お前も賛成しただろう」
「あの時は何でもよかったの!」
「今も決まっていない」
「それとこれとは違う!」
「何が違う」
「今は王都だよ!」
「場所の問題なのか」
「なんかこう……あるでしょう!」
「何が」
「格好いいのが!」
ノクトは少し考えた。
「ないな」
「考えるの早すぎない!?」
受付の女性は急かさなかった。
「後からでも登録できますよ」
「そうなんですか?」
「はい。ただ、パーティーとして継続的に活動されるのであれば、登録しておいた方が手続きは簡単です」
「じゃあ決めよう!」
シェルエリナが言った。
ノクトがペンを取った。
「そうだな」
さらさらと書いた。
「え?」
シェルエリナが見る。
ノクトは書き終えた。
そのまま用紙を受付へ差し出す。
「ちょっと待って!」
シェルエリナが手を伸ばした。
遅かった。
受付の女性が受け取った。
「何を書いたの!?」
「パーティー名」
「それは分かるよ!」
受付の女性が用紙を見る。
一度。
四人を見る。
もう一度、用紙を見る。
少しだけ不思議そうな顔をした。
「……『シェルエリナたち』」
沈黙。
「こちらで、正しいですか?」
「違いますっ!」
シェルエリナが即答した。
周囲の何人かが振り返った。
「声」
リゼリアが言った。
「だって!」
ノクトが言う。
「では決めてくれ」
「今!?」
「今だ」
「急すぎるよ!」
「今まで決めなかった結果だ」
「ノクトだって決めなかったでしょう!」
「だから今決めた」
「それは決めたって言わない!」
「書類上は決まっている」
「決まってない!」
受付の女性が、用紙を持ったまま二人を見る。
リゼリアは額に手を当てた。
ガイアスは用紙を見る。
「分かりやすい」
「ガイ!」
「シェルエリナたちだろ」
「そうだけど!」
「なら合っている」
「合ってるけど違うの!」
「難しいな」
「難しくない!」
ノクトが受付の女性を見る。
「変更は可能ですか」
「はい。今でしたら」
「だそうだ」
シェルエリナが止まる。
「……」
全員が見る。
「え」
「決めて」
リゼリアが言った。
「私が?」
「嫌なのでしょう?」
「嫌だけど」
「なら代案を」
ノクトが言った。
「う……」
シェルエリナは考えた。
腕を組む。
天井を見る。
少し横を見る。
受付の女性を見る。
また天井を見る。
「……」
「……」
「……」
受付の女性は待っている。
ノクトも待っている。
リゼリアも待っている。
ガイアスも待っている。
「……うーん」
何も出ない。
後ろから声が聞こえた。
「――まだ?」
誰に向けた言葉なのかは分からない。
シェルエリナが少しだけ後ろを見る。
列が増えていた。
「……」
前を見る。
「シェルエリナたちで」
ノクトが言った。
「待って!」
「では何だ」
「今考えてる!」
「どのくらいかかる」
「分からない!」
受付の女性が、少し困ったように笑った。
「変更がないのであれば、このまま受け付けますが」
「あります!」
「では、パーティー名を」
「……」
シェルエリナは再び黙った。
「……格好いいのがいい」
「条件が増えたな」
ノクトが言った。
「大事でしょう!」
「早くして」
リゼリアが言った。
「リセも考えてよ!」
「私は、以前のもの以外なら何でもいいわ」
「範囲が広すぎる!」
ガイアスが言った。
「腹が減った」
「今その話!?」
「朝の店」
シェルエリナが止まった。
「……あ」
「何だ」
「忘れてた」
「何を」
「屋台」
ノクトが目を閉じた。
リゼリアが小さく息を吐いた。
受付の女性が、とうとう少し笑った。
そして。
「では」
用紙を揃える。
「パーティー名『シェルエリナたち』で、登録します」
「えっ」
受付の女性の手が動く。
「ちょ、ちょっと」
書類が重ねられる。
「待って」
処理済みの書類が、横へ置かれた。
「待ってください!」
「受理しました」
「そんな!」
シェルエリナが受付台に両手をついた。
「本当に!?」
「はい」
「変えられます?」
「変更手続きは可能です」
「今!」
「一度登録されましたので、変更申請をお願いします」
「そんなあ……」
シェルエリナが崩れた。
ノクトが言った。
「決まったな」
「ノクトのせいでしょう!」
「決めなかったお前のせいだ」
「リセ!」
「私は何でもいいと言ったわ」
「ガイ!」
「分かりやすい」
「誰も味方がいない!」
「いるだろ」
ガイアスが言った。
シェルエリナが顔を上げる。
「どこに?」
ガイアスは三人を見る。
「ここに」
「……」
シェルエリナが止まった。
リゼリアも。
ノクトも。
ガイアスだけが、何を言ったのか分かっていないような顔をしていた。
シェルエリナが少しだけ笑った。
「……そういう意味じゃないよ」
「そうか」
「そうだよ」
「なら知らん」
「もう」
受付の女性が、四人を見る。
「登録は以上です」
「あ」
シェルエリナが姿勢を戻した。
「ありがとうございます」
「はい。王都ギルドへようこそ」
四人は受付を離れた。
すぐ横を、別の冒険者が通る。
「――南門は?」
「今日は――」
声が遠ざかる。
掲示板の前では、まだ誰かが依頼書を見ている。
「それ、昨日も――」
「違う、これは――」
誰かが笑う。
扉が開く。
新しい冒険者が入ってくる。
受付から声がする。
「次の方」
王都の冒険者ギルドは動いていた。
四人が来る前から。
そして。
四人が来たあとも。
変わらずに。
シェルエリナは少し歩いてから、振り返った。
受付を見る。
その向こう。
もう見えない場所に。
たった今、登録された名前がある。
「……シェルエリナたち」
小さく言った。
ノクトが答える。
「何だ」
「呼んでない」
「そうか」
「……変だよね」
「そうか?」
ガイアスが言った。
「変じゃないの?」
「俺たちだろ」
「そうだけど」
リゼリアが言った。
「嫌なら、あとで変えればいいでしょう」
「うん」
シェルエリナは答えた。
少し考える。
「でも、変更申請って面倒かな」
「知らん」
ノクトが言った。
「ノクトが書いたんだから、ノクトがやってよ」
「嫌だ」
「なんで!」
「俺は変更する必要を感じていない」
「私が感じてる!」
「ならお前がやれ」
「むう……」
シェルエリナは受付を見る。
それから。
大きな掲示板を見る。
知らない依頼が並んでいる。
知らない冒険者がいる。
知らない声が聞こえる。
その向こうには、まだ歩いたことのない王都がある。
シェルエリナは前を向いた。
「まあ、いっか」
ノクトが見る。
「いいのか」
「とりあえず」
「そうか」
「あとで格好いいの考えるから」
「期待しないでおく」
「なんで!?」
リゼリアが歩き出す。
「依頼を見るのでしょう?」
「あ、待って!」
ガイアスも続く。
ノクトも歩く。
シェルエリナは三人の後ろを追いかけた。
「ねえ、最初は何にする?」
「まず見る」
「討伐?」
「見る」
「採取?」
「だから見る」
「王都っぽいのがいい!」
「王都っぽい依頼とは何だ」
「分からない!」
四人は掲示板へ向かっていく。
王都へ来た。
新しいギルドへ登録した。
そして。
少し変な名前がついた。
シェルエリナ。
リゼリア。
ガイアス。
ノクト。
四人の冒険者。
パーティー名。
シェルエリナたち。




