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その後のオマケ話



 春麗らかな晴天の日の午後。

 珍しくパナハの先導によって、二人はとある場末の飲み屋街を歩いていた。

 その内、ひとつの店舗前に立ち止まると、静かな路地の空気に合わせるように凸凹夫婦は声を潜めて話し合う。


「ここか?」

「そう」

「ハッ、シケた店だな」

「ちょっと、ゾイズっ。

 お願いだから、本人の前であんまり失礼なこと言ったり、したり、しないでよね?

 私がここまで生きてたのはルゥリィさんのおかげっていうくらい、本っ当に、お世話になった人なんだから」

「さあな、相手の出方次第じゃねぇの」

「もぉーっ」


 相変わらず手前勝手な理屈でしか動かないゾイズへ、パナハは頬を膨らませて怒りを表した。

 だが、全く平然とした態度を崩さない彼を前にそれも長くは持続せず、次第に彼女は顔に諦めの色を滲ませて深く息を吐く。

 重ねて注意を促したところで何の意味もないことを知っている妻としては、あとはもう夫のミジンコレベルで小さな良心に期待をかけるしかなかった。

 ゾイズから視線を外し、一歩前へ進み出る。

 過去の記憶どおりであるなら、この時間すでに鍵は開けられているはずだと、パナハは慣れた様子で格子柄の扉に手をかけた。

 そのまますんなりと開いたドアが自動で来客を告げるベルを鳴らせば、そう間を置かず、店の奥からパタパタと足音が近付いてくる。


「お客さぁん?

 すみませぇん、ウチは夜からの営業で…………パナちゃん!?」


 やがて姿を現したナイトドレス着用の灰色の筋肉塊。

 外部からの逆光で判別が遅れたようだが、少女の存在を認めた途端、ソレは驚愕に目と口を大きく開けて立ち止まった。


「ルゥママ!」

「やだッ、アンタどこ行ってたのよ、もう!

 心配したんだからぁーーーっ!」


 パナハが喜色を込めて名を呼べは、筋肉は雄叫びと共に突進し、彼女をその暑苦しい塊の内側に閉じ込めた。


「ずっと連絡取れなくて、心配かけて、ごめんなさい。ルゥママ」

「ああああ、無事で良かったあああん!」


 彼、いや、彼女は、本名をドルゴザ、源氏名をルゥリィという、二つの名を持つオカ……ニューハーフである。

 元は警察の特殊部隊に所属していたが、十五年ほどで自主退職し、現在は念願のオカマバー……否、ニューハーフカフェーでママを勤めている筋骨隆々のサイ獣人だ。

 パナハが小学生の頃に道端で行き倒れているところを介抱してからの仲で、ドルゴ……ルゥリィは哀れな身の上の彼女を何くれと可愛がっていた。


 パナハにとっては実の母よりも母として慕っている人物であり、唯一の信頼できる大人であったのだが、彼女が優しすぎるが故に、逆に心から頼り甘えることが出来ずにいる相手でもあった。

 こんなにも素晴らしい人の手を自分のような汚く価値のない子どもが煩わせるなど許されないと、パナハは彼女から一歩引いた態度を崩せずにいたのだ。

 だからこそ、毎日でも顔を出せばいい、泊まっていけ、御飯を食べていけとしつこく繰り返すルゥリィの言葉に逆らって、ほとんどを月に片手で足りる程度、それも一時間に満たない少ない滞在時間で店を後にしていたのである。

 特に前回ヤクザに目を付けられた時などは顕著で、彼女と彼女の大事な店に迷惑をかけるぐらいならと、パナハは率先して逆方向へと駆け出していた。

 ルゥリィ本人が耳にすれば、一発で怒髪天を突きそうな思考である。


「あぁー。でも、元気そうで安心したわぁ。

 それに、何だかすっかり女の子しちゃって、まぁ……。

 さては、いい恋してるなぁ?」

「やっ、やめてよ、ルゥママっ」


 身を引いて、瞳から零れる涙を拭っていたかと思えば、直後、パナハを上から下まで観察してニヤニヤと笑いながらそんなことを言い出すルゥリィ。

 分かりやすく頬を染めて恥ずかしがる少女へ、教えなさいよと、彼女は茶目っ気たっぷりのウインクと共に野太い肘で華奢な二の腕をつついた。

 次いで、細い肩に豪腕を回し抱き寄せようとしたところで、パナハの背後から伸びてきた厳つい手が無粋にも母と娘の接触を阻んでしまう。

 その正体はもちろんゾイズだ。

 一応、事前に注意されていたので、殊勝にも我慢というものをしていたのだが、あまりに易々と彼女に触れる筋肉ダルマの存在も、他人に無防備に接触を許す嫁も、自分がいつまでも蚊帳の外にいる現状も、何もかも彼は気に入らなかった。


「いい加減にしやがれ、カマ野郎」

「わっ! ちょっとゾイズっ?」

「ああん? 誰だぁ、貴様?」


 慌てるパナハを両腕でしっかりと抱きとめ、敵意むき出しで凄むゾイズへ、ルゥリィはちょっぴりドルゴザ時代の己を憑依させながら、鼻先のツノを向け地獄の使者の如き低音ボイスで威嚇する。

 瞬間、二つの筋肉の間で激しく火花が散った。


「コイツぁ俺の女だ。

 昔世話になったか何だか知らねぇが、気っ色悪ぃオカマ如きが、いつまでも人様のモンに気安く触ってんじゃあねぇぜ」

「えっ、なに言ってんの!? ええっ!?」

「だぁれが誰のモンだと貴様フザケてんじゃっ……!」


 ゾイズの挑発で、彼の胸倉を掴みハンマーのような拳を振り上げたルゥリィ。

 そのまま殴りかかるかと思いきや、彼女は直前で何かに気付いたかのようにピタリと動きを止める。


「っ待て…………お前、どっかで……」

「はぁ?」

「……無駄に恵まれたガタイ、特徴的な白ヒゲ、血に餓えた獣のような目つき……まさかっ!

 貴様、惨蛇かッ!!」

「さんた?」


 昔の名残か、そういった方面の噂もしっかりと収集していたらしいルゥリィが憎々しげにゾイズの異名を言い当てれば、その真下でパナハが首を傾げた。


「おっとぉ、そんな名の奴ぁもうどこにもいねぇよ。

 二度とコイツの前で口にするんじゃあねぇ、教育に悪いからなぁ?」


 己の二つ名に付随する悪い意味での武勇伝(笑)を、どうやら若妻の耳に入れさせたくない様子の夫。

 これまでの悪行の数々が少女に知れたところで、結局は自業自得でしかない男が、何とも調子の良い弁を垂れ流すものだと、人生経験豊富なママは分かりやすく嘲笑を向けた。


「あぁらぁ、分かってるじゃあなぁい坊や?

 だったら、その教育に悪い存在様は、さっさと薄汚い手をアタシの娘から離して、ここからお引取りいただけないものかしらねぇー」


 彼女の猫なで声での嫌味に、ついにどこからでも切れます状態の堪忍袋の緒がプッツンしたのか、ゾイズはパナハを背後に押しやり、ゆっくりと攻撃態勢を取る。


「なぁにが娘だ、テメェ……○ツの穴と一緒に脳みそまでイカレたかぁ?

 ドタマかち割って直に調べてやっかカマ野郎ゴラぁッ!!」

「ハッ、やってみろや……たかがトーシロのクソガキ如きに出来るもんならよぉ。

 せいぜい無様に泣き喚きなッ!!」


 幻のゴング音が響くと共に、同時に飛び出したオオアナコンダとニシローランドゴリラ。

 互いに殺すつもりかと見紛うほどの気迫で繰り出したるは、大蛇の長身生かしたるチョッピングライトに大猩猩の筋肉唸るアッパーカットだ。

 決まれば互いにただでは済まないだろうことは、素人目にも明らかである。

 当然ながら、これに慌てたのはパナハだった。

 彼女は半ばパニックになりながら、今にも拳が交じり合わんとする彼らの巨体の隙間へ、危険を顧みずに飛び込んでいく。


「わあぁあ待って待って待って止めてーーッ!」

「チッ」


 まさかの非力なセコンドの乱入に、先に反応したのはゾイズだった。

 彼は咄嗟に拳の軌道を変えて、ルゥリィの腕を弾き、無謀にも中心地に割り入ってきた彼女を猛獣たちの暴力から遠ざけた。

 しかし、興奮状態に陥っているのか、そこからまだ二撃目を繰り出そうとしているサイ獣人。

 そんなケモノの様子に気付いたパナハが、今度は彼女に抱きついて必死に制止の言葉を投げかけた。


「ルゥママ、止めてぇっ!

 その人は私の大事なゾイズで夫で、だから止めてぇえええ!!」

「いいえ! いくらパナちゃんの頼みでもコイツはッ……………………夫?」


 途端、ゾイズへ向かいかけた体勢のまま彫像のように固まるルゥリィ。

 ようやく薄れた攻撃的な空気に肩の力を抜きながら、パナハは恥じらいまじりにこう告げた。


「そ、そう。あの、結婚したの、この人と。

 だから、その報告っ、報告に、今日は、それで、うん」


 ルゥリィの記憶する少女からは想像もつかないような女らしい表情を浮かべたパナハが、親を追う可愛らしい雛鳥のような仕草で大男の元へと移動し、寄り添った。

 そんな彼女を当たり前のように腕の内に抱きこんで、ゾイズはサイ獣人に勝ち誇ったようなドヤ顔を向ける。

 ルゥリィの脳は、一時的に日本語の理解を拒絶した。


「………………誰が結婚?」

「えっ。だから、私が」

「誰と」

「この人と」

「結婚?」

「はい」

「WIFE?」

「YES」


 ポッと頬を染め、自らの身体に巻きつく厳つい腕に手を添えるパナハ。

 ここまでハッキリと見せ付けられれば、もはやいくら彼女が脳内で逃避をしようとも、残酷なリアルを認知せざるをえなかった。

 ルゥリィは全身の筋肉を小刻みに震わせつつ頭を抱え、膝からドッと崩れ落ちる。


「………………………………イぃヤぁーーーーーーーーーーッ!!!?

 パナちゃんがぁあッ!!

 アタシの可愛いパナちゃんが、こんな熊もどきの餌食にぃいいいいいい!!!?

 オーーーマイガーーーーーーーーッ!!!!」

「わーーーっ、ルゥママ! しっかりしてーーーーっ!?」


 ヒステリックな奇声を発したかと思えば、その次には口から泡を吹きながら白目を剥き、床に倒れ伏すニューハーフ。

 どんな暴力よりも手痛い現実という名の娘の攻撃に、母ルゥリィはあえなく撃沈した。


 当然のことながら、店は臨時休業となった。




~~~~~~~~~~




「じゃあ、ホンっトのホンっトに好き合って結婚したのね?

 脅されたんじゃないのね? 合意なのね?」

「うん」


 カウンターを挟んで向かい合う母娘が、もう何度目かになるやりとりを飽きずに繰り返している。

 さすがにペットうんぬんについては断固口を噤んだが、パナハは彼と結婚に到るまでの経緯をルゥリィの尋問により事細かに説明させられていた。

 そんな二人に対して、テーブル席のソファに独りふんぞり返って座るゾイズが小声で悪態を吐く。


「しつけぇなぁ、何回同じこと聞いてんだよ。

 痴呆でも始まってんじゃねぇのか、更年期カマ野郎」


 それを、常人よりも僅かばかり高性能な獣人の耳で逃さずキャッチして、ルゥリィは光速で男を睨みつけた。


「シャラぁーップ!

 アタシはパナちゃんに聞いてんのよ、アンタは黙って水道水でも啜ってな!」

「ったく、カマ野郎のヒステリーなんざドブネズミも食えたもんじゃねぇぜ」

「んなぁんですってぇ!」


 またも軽率に険悪なムードを放ち出す筋肉たち。


「やめてよ、二人ともっ!」

「チッ」

「フンッ」


 が、彼らが共通して愛でたおしている少女にすかさず制止の声をかけられて、多少の緊張感は高まりながらも場内乱闘ステゴロブラザーズに突入することは回避された。

 しばし、店内に沈黙が落ちる。

 ルゥリィは自らの気を落ち着かせるために、コップに注いだ炭酸水をグイとあおって、それから再びパナハに確認の問いを投げかけ始めた。


「パナちゃん。本当にいいの?

 アイツ絶対クズよ? 後悔するわよ?」

「んー……いいの。ゾイズが酷い人間なのは、最初に会った時から分かってたし。

 それでも、どうしても好きだからって、私からお願いしたんだもん。

 後悔なんかしないよ」

「…………そう」


 ゾイズは世間的な目で見て、娘の婿に添えるにはあまりに最低最悪すぎる条件の男である。

 けれど、こうしてパナハを年頃の少女らしく輝かせることは、長年彼女の母代わりを自称してきたルゥリィにも、ついに出来なかったことだ。

 それを思えば、パナハにとってだけは、彼はそう悪くない相手なのではないかという気がしてこないことも無いような気がしないでもないような気もしないでもないのだが、さしものルゥリィも頭では分かっていても、心がついていけず、こうして無駄と知りつつも、長々と娘を煩わせてしまっていた。

 だが、いい加減に我が子の結婚すら祝福できない母など卒業しなくては、と、ルゥリィはついに腹を括って、最後にひとつ、どうしても聞いておきたかった質問を紡ぐ。


「ねぇ。今、幸せ?」

「…………うんっ」


 頷いて、本当に心から幸福そうに微笑むパナハ。

 ほんの一年と少し前には、常にボロを纏い、腹をすかせて、人を信じられない警戒心から不良少年のような言動を繰り返していたような悲壮な少女であったとは、誰も想像だにできないだろう。

 母サイは身の内に湧き上がる寂しさを必死に圧し止めて、娘トナカイに歪に笑い返した。


「んんんんんん、可愛く笑えるようになっちゃってぇえええッ。

 そぉんな顔見ちゃったら、アタシもう反対、なんて、出来な……じゃなあい……うぅっ、うおおんっ」

「ルゥママ」


 結局、最後まで我慢しきれずカウンターに突っ伏して豪快に泣きだすルゥリィ。

 そんな母の頭を、パナハは掛けていた椅子から立ち上がり腕を伸ばして、優しく何度も撫で擦った。


「ハナからオカマの出る幕なんざねぇだろ」


 と、そこへ、自他共に認めるクズ男であるところのゾイズが、空気を読まない野次を飛ばす。

 瞬間、跳ね起きたルゥリィは、涙と鼻水でグチャグチャにした顔面をそのままに、本当は認めたくない娘の夫を真っ直ぐに捉えて力強く指差した。


「アンタっ! ゾイズ!」

「あぁ?」

「アンタねぇ、パナちゃんを不幸にしたらこのアタシが絶対に許さないから覚えときなさいよッ!」

「知るか、んなこと」

「っキィー!」


 不愉快そうに眉間に皺を寄せ吐き捨てる荒くれ男に、ガチムチニューハーフは怒り心頭でカウンターに何度も掌底を叩きつける。


「パナちゃんも、このクソ野郎に愛想が尽きたら、すぐウチに来なさいねっ!

 いつでもスペース空けて待ってるからね!」

「もぉ、ルゥママったら。大丈夫だよぉ。

 意外とね、意外と、ゾイズ優しいところもあるから、だから大丈夫なの」

「あああん、絶対騙されてるぅぅうううううッ」


 絶賛恋に盲目中の娘の未来を憂いて、再び号泣の使徒と化すルゥリィ。






 その夜、臨時休業であるはずのニューハーフカフェー筍部族からは、いつまでもいつまでも恐ろしいケモノの鳴き声が響き続けていたのだという。






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