33 : アマゼンテの継嗣。
*イチヒト視点です。
性格がアレでも王子であり剣士であり魔術師であり冒険者を志すエンリは、イチヒトが地下に戻るとすぐ姿を見せ、モトエたちの気配が消えたことに怪訝そうな顔をした。事情を説明し、奥の牢にいるという「影」のひとりを助けたいと願い出れば、これも仕方なしと理解してくれたのには助かった。
「どうやら『影』として失敗、のようです」
「失敗? 血族でない者を喰らわせたのか?」
「詳しくは聞いておりませんが、適性者ではあったようです」
「であれば……なぜ失敗したのだ」
「相性が最悪だったとか」
「適性があるのに、相性は悪いと? そんなことがあるのか?」
「わかりません。とにかく一度、確認しましょう」
「ああ……と、その前に」
確認しようと奥へ行こうとしたとき、エンリがふと、なにかに気づいた。違和感のようなものならイチヒトも感じていたので、立ち止まってくるりと振り返る。
なにもない。
「なんだ? なにか……」
人の気配ではない。かといって魔獣のような類の気配でもない。けれども確かに感じる、なにか。モトエたちは立ち去ったが、そのときに結界を解いたのだろうか。いや、それにしてもこの感じは違う。
いったいこれはなんだ、とイチヒトはエンリと共に少々警戒しながら慎重に周辺を窺った。
と、その瞬間である。
「久しぶりの空間高速移動は身体に負担が……あいたたた」
階上からの出入り口付近に、忽然と人が現われた。身体のどこかを痛めたのか蹲り、とんとん、と背中を叩いている。緊張が走ったイチヒトとエンリとは違い、やけにのんびりとしていた。
「僕も歳かな。若いと思っていたのだけれど……ねえ、イチヒト?」
ゆっくりと身を起こしたその人物に呼ばれ、その顔がイチヒトにも見えた。
「……シュウ?」
ここにいるはずのない兄弟子だ。
「シュウ? アマゼンテの継嗣?」
驚きながらイチヒトが呟いたその名には、エンリも反応する。
「なに、僕を忘れたの? ひどいね。イチヒトが動けないようだというから、僕は旅行中のところを拉致されたというのに」
やれやれ、と面倒そうにため息をついた兄弟子は、ちょっと出かけてくると言ったきり帰ってこなかった人で、だというのに最後に逢ったときからまるで変った様子がない。さも昨夜出かけたばかり、いや散歩の途中であるかのようだ。
「……僕が来たことにそこまで驚く?」
「あ……いえ、お久しぶりです、シュウ」
なぜここに、という驚きが強くて思わず呆けていたイチヒトは、慌てて兄弟子に敬意を込めて頭を下げる。
「うん、久しぶり。じゃあ、帰ろうか」
「え、帰る?」
来たばかりだというのに、兄弟子シュウは帰ろうとする。シュウが得意とする高速移動魔術が発動しかけたので、イチヒトはさらに慌てて兄弟子の意味不明な登場に口を開いた。
「シュウ、待ってください。ここには助けなければならない者がいます。すぐには帰れません」
「……どうして?」
「ですから、助けなければならない者がいるのです」
「ヴァントルテの戦神なら回復したようだけれど?」
「……ご存知なのですか?」
「なにを」
「わたしたちがここにいる理由、です」
「ヴァントルテにいるはずの戦神がここにいる。それから黒の集団。二つの気配があれば答えは自ずと導き出されるよ」
兄弟子は相変わらずのようだ。魔術には欠片も興味を持たないくせに、魔術に関してはやけに敏感で溢れんばかりの知識があり、またさまざまな情報を繋ぎ合わせて答えを導き出すのも速い。おかげで説明する手間が省けて、楽には楽なのだが、それだけに不気味でもある。
この人は、たった一つの言葉から、どれだけの推測を立てるだろう。そして、どれだけ正確に、ものを考え始めるのだろう。
「そこまでわかるのでしたら、では、この地下牢になにか感じるものがあるでしょう」
「奥から魔力を遮断する術が感じられるね。それがどうかした?」
「そこにいる者も、助けなければなりません」
「へえ、人がいるの……それはさぞや息苦しいだろうね」
地下牢の奥に感じられるものを、息苦しいだろう、とまで推測したシュウには、いつものことながら持ち得た感覚の差を突きつけられる。こんなに魔術に詳しく、その才能も感覚も甚だしいというのに、なぜこの人は魔術師ではなく薬師になったのだろう。
イチヒトの兄弟子シュウは、兄弟子であるのに、魔術師ではなく薬師だ。それをこんなところで、痛いことだ、と思うのは、それくらいシュウに実力が備わっているからである。
「助けたければ、どうぞ? けれど、封じられなければならないほどの子なら、そこから出さないことが、一番の助けであり救いだと思うけれどね」
「え……?」
「それともなに? その子の魔力を吸収できる魔術師がいるの?」
「……いえ、まだ確認していないので、なんとも」
「ならさっさと確認しておいで。僕がここに来たのは暇潰しでもなんでもない、旅行を邪魔されているのだからね、さっさときみたちを回収させて欲しいんだよ」
シュウがここに忽然と現れたのは、どうやら駆けつけたらしい王太子の部隊が周りを取り囲み始めているからのようだ。
「少し急ぐか……おい、アマゼンテの継嗣、おまえも手伝え」
「シュウ、ですよ、エンリさま。そんな変な渾名で呼ばないでください」
「ではシュウ、手伝え」
「……はあ。妻を待たせているから、さっさと帰りたいのですがね」
「そのためにも手伝……え?」
一瞬、あまりにもさらりと言うものだから聞き流すところであったが、人嫌いの激しさで有名な兄弟子からポンとでた「妻」という単語に、シュウの有名度は知っているエンリを含め、イチヒトは目を真ん丸にした。
「妻?」
「なに」
「妻が、なんと?」
「僕の帰りを待っているけれど、なに?」
どうかしたか、とあまりにもふつうな反応をするシュウに、イチヒトもエンリも信じられない気持ちで凝視してしまう。
「い、いつのまに……あれだけ人嫌いしておいて」
「失礼だね。僕は妻一筋だっただけだよ」
信じられない言葉がまたもや出てきて、今はそれどころではないのに、ついつい質問したくなる。
「まさか旅行は、奥さんと……?」
「そうだよ。だからさっさと帰りたい。早くしてくれないかな」
仕方ないから僕も手伝ってあげるよ、とどこか上から目線のシュウは、とことこと歩み寄ってくると、もっとも魔力の薄い奥のほうへとさらに歩いて行く。無造作に歩いているが、シュウの魔術に関してだけはなによりも信じられるものなので、イチヒトはエンリとともに慌ててその背を追いかける。
「ここか……編み方が大雑把だね。もう少し柔らかいものにしてあれば、そんなに苦しくない空間になるだろうに」
なにげに高度な魔術の発動方法を口にし、そうしてイチヒトが知りたいと思った、その空間のなかにいる『影』の状態を、シュウは扉を隔てている状態から読み明かしていく。
この兄弟子は、魔術に関して積極的ではないが、当たり前のように解析はしてくれるので、いると便利だったりする。
「身体に悪いねえ……ここまで絶たなくても、最低限の魔力を抑えつければ死にやしないよ。今必要なのは看病かな……とにかく衰弱しているね」
「助けることは可能ですか?」
「助けるんだろう?」
助けられないとでもいう気か、と逆に怪訝そうにされ、危うく目的を取り違えるところだった。
「専門の魔術師に、そうだね、治癒術を扱える術者がいれば、どうにでもなるよ」
「専門の……」
「結界術が得意な魔術師くらい、いるだろう。センリさまが近くまで来ていることだし、伝書は飛ばしてもらえるよ」
助けられる、ではなく、助けるのだ。
モトエは、イチヒトにその望みを託している。自分たちがどうして作られたかということはともかく、同じように作られた同胞を救いたいという気持ちがあることは嬉しい。そしてイチヒトはそれに応えることができる。いや、応えたい。
「エンリさま、センリさまと合流しましょう」
「そうだな。ここはもはや放棄されたであろうが、周りにはビーストの気配がある。一度離れたほうがよかろう」
ヒヨリたちに伝えてくる、とエンリは一足先に戻っていく。
「シュウ、そのなかにいる魔術師を移動させることは可能ですか?」
「言っただろう、とにかく衰弱している」
「動かすことは得策ではありませんか」
「助けられなくなるかもしれないね」
助けるなら下手なことはしないほうがいい、というシュウの助言に、確かにこれに関しては応援を呼ぶ必要性を感じ、イチヒトもとりあえずヒヨリたちのところへ戻った。
ヒヨリは突然現われたシュウに驚いたが、兄弟子だと教えれば警戒は解いたようで、漸く帰れることを素直に喜んでいた。シュウのほうは、教えたことはないのだが、ヒヨリがイチヒトと同じ顔をしていてもとくに驚きはせず、まるで以前から知っていたかのような態度だ。
ヒヨリを通して、エヌ・ヴェムトの国軍と合流して応援を呼ぶまで、シュナに邸周辺の警備を、奥の牢を中心に頼む。それほど長くはないし、彼女の腕であれば問題ないと見込んでの頼みだ。彼女は、主人たちをとにかく安全で安心できるところに連れて行ってくれるならと、快く承諾してくれた。
「シュウ、あの空間にいる魔術師を、最終的にはあなたに頼みたいです」
「僕の邪魔をするの?」
「わたしが知っている限り、結界術が得意な魔術師でも、あの空間と同じものしか作れないと思います。そもそも、わたしにはあの結界術に綻びは見えません」
「大雑把なだけだよ」
「それがわかるのは、シュウ、あなただけです」
どうせだから協力を得られないだろうかと相談を持ちかけたとたん、ぱちん、とシュウが指を鳴らした。それは、音を使った魔術の発動を意味している。
「ちょ、おい、アマゼンテの継嗣!」
「帰る」
急激に感じた地面の揺れは、シュナを覗いた全員を、センリが滞在しているという宿まで運んだ。




