30 : そのための王族。
*30、31は、イチヒト視点となります。
救出劇は呆気ないものだった、というには、残った危険が多すぎる。危険回避能力が異常に高いエンリがいる以上、命の危険は遠ざかっているかもしれないが、だからといって安心できる場所でもない。
そもそも、戦神レンを、救ったと言える状況なのか。
「……どこへ行く、イチヒト」
どうにか手配できた食事の最中、目を盗んで部屋を出たつもりだったが、目ざとい主君は部屋を出るなりイチヒトを呼び止めてきた。
「モトエに、話を聞こうと思いまして」
「……ふむ」
それ以外にはないというのは、エンリにもわかっただろう。考える素振りを見せたあと、エンリは小首を傾げた。
「おれが必要か?」
必要か、と問われたのは初めてだった。
「できれば……」
「うむ?」
「ヒョーリとレンのそばに、いてください」
「おまえとおれは一心同体だと、そう言っておいたつもりだったが……それでもか」
「これからどうするかという話をするつもりはありません。彼らの目的を……きちんと把握しておきたいだけです」
「初めから明らかにされているだろう」
「ヴァントルテ宰相閣下の駒である可能性を考えた際に、引っかかる点が」
「なんだ」
「わたしたちがここまで簡単に辿り着けた点です」
「? 簡単ではなかったと思うが……そういうことではないのか?」
若年であれどさすがは王子、エンリだ。先ほどまで話し合われたことは、その場で漸く気づかされたものばかりであったが、だからこそ明るみに出た部分もある。
「レンは言いました。宰相閣下にとって、ヒョーリが動いたことは想定外であるはずだと」
「そう……だな」
「本当にそうでしょうか」
「疑うのか」
「ヒョーリが動いたことで、わたしが動きました。わたしが動いたことで、エンリさまも動きました。ひいては、エヌ・ヴェムトも」
「それが?」
「この連鎖、本当に想定外なのでしょうか」
「……その言い方では、まるですべてが宰相の想定内であるように聞こえるが……おまえはそう言いたいのか」
確証があるわけではない。根拠もなにもない、勘に近いものだ。
「黒の集団は北大陸を再び混乱に陥れる脅威です。各国はそれを回避するために、秘密裏に彼らを追っています。ですが……宰相閣下は、回避する側にいないかもしれないと、そう思えるようになってきたのです」
「宰相は黒の集団になにかことを起こさせたいのだろう? そのためにモトエは死んだことにされ、戦神を攫った今では絶好の機会だと思っているはずだが?」
「そうではありません。なにか……なにか別の理由が、あるように思えてならないのです」
推測でしかなく、憶測を越えないものであるが、なにか不気味なものがイチヒトの胸中を騒がせる。これはおそらくレンも同じだろう。ヒヨリの存在を引鉄に、なにか動き出しているのは確かだ。
「イファラント王妃のことも……或いは、違うのではないかと」
「なにが違うと? レンを攫うよう唆したのは王妃だぞ」
「だからこそです。王妃の目的は、ヒョーリをイファラントに連れ戻すことではないのかもしれません」
イチヒトが辿り着いたものに、エンリは顔をしかめる。
「つまりあれか、おまえは、黒の集団と宰相、王妃がすべて、裏で結託しているのではないかと、そしてそれは戦争を招くものだと、そう言いたいわけだな?」
「あくまで可能性の話、ではありますが、はい」
限りなく真実、事実に近いような気がしてならない。もやもやとしたその考えをどうしても捨てられないくらいに、イチヒトはそれらを感じている。
「モトエにそれを確かめます」
「……いいだろう。わからぬことをわからぬままにしておくのは、気分が悪い」
「ご理解いただけて幸いです」
「いっそ晴れやかにしてしまったほうが、今後の動きにも役立つだろう。しかし……たとえばおまえのその考えが真実だったとして、どうする? いや、どうすればよいのだ、われわれは」
再び戦争が起きることになれば、今度こそ、北大陸は消滅するだろう。中立であった大国ヴァントルテが、戦神レンという英雄を輩出してそれまでの戦争を終結させたのだから、そうさせた大国が関わらないわけにはいかなくなるからだ。大国ヴァントルテも関わる戦争になれば、北大陸は終わりだ。収拾すらつけられず、人類は衰退し、他大陸からの干渉を受けて滅ぶだろう。
それらを回避するすべがイチヒトにあるか、と問われれば、答えは否だ。いくら魔術の才に長けていようとも、戦神と呼ばれるレンほどの戦力はなく、またその技量もない。
「わたしには、身動きの取れないものです……ですが、水面下で行われているうちであれば、どうにかできるかもしれません」
「ヒョーリが道具にされてたまるかと言ったように、宰相の目論見を潰すというわけか」
「その方法はどこかにあるはずです」
「……難しいことだな」
エンリが言うように、水面下のことであれ、難しいことだろう。だがそれでも、再び戦争が起こるようなことになる前であれば、戦争が起こったあとのことよりも、できることは多い。
「戦争を起こすことのほうが簡単でしょう……わかっています」
「いや、そういう難しさも確かだが、おまえだ」
「は……わたし、ですか?」
二重に意味を持たせて「難しい」と言ったらしく、エンリは石壁に背を預けて寄りかかると、腕を組んでため息をついた。
「おまえは、彼らの気持ちが理解できてしまう……ヒョーリを奪われていたら、おまえは彼らの仲間であったかもしれぬのだからな」
「それは……」
モトエら、「影」にされてしまった魔術師たちの、その気持ちがわからなくもないのは、本当だ。むしろイチヒトだから、彼らの心に近い場所に立つことができる。
「たとえばもし、黒の集団の目的が、宰相の思惑に合致していただけだとしたら……彼らの動きを、宰相はただ止めることなく傍観に徹しているだけだとしたら……宰相の目論見を潰すことができたとしても、彼らの動きだけは、封じることができないだろう」
止められるのか、と言うエンリの問いに、イチヒトは拳を握る。
モトエらが抱いている憎しみは、深い悲しみは、戦争を起こしたいのかもしれない宰相の目論見とは、関係がない。ただの復讐者だと名乗るモトエらは、宰相に利用されているだけで、それすらも甘受して復讐を成し遂げるだろう。また宰相も、動き続ける復讐者がいる限り、いくら潰されようとも目的を成すだろう。
「まあ、とにもかくにも、真実を知らねばならぬ状況だな」
「……エンリさま」
「うむ?」
「エンリさまは、どのようにお考えでしょう」
「考え、な……なんの考えだ」
「黒の集団に関して」
「先に述べた通りだが。彼らは保護対象だ」
「復讐を止めさせると? それがおできになると? どうやって?」
イチヒトにモトエらは止められない。明日にはわが身であった「影」のことは、今でも、知られたらどうしようと不安になる。頼られたことが思いのほか嬉しくて、こうして一緒にいられることにも喜んで、それなのにイチヒトは、諦めをもつことができない。それがイチヒトを、モトエら黒の集団に引き留める。彼らのそばにいれば、ヒヨリは安全なのかもしれないと。
「……イチヒト、忘れてくれるな」
「は……?」
寄りかかっていた壁から離れたエンリが、イチヒトに背を向け、ちらりと視線を寄越してきた。
「そのための王族だ」
言って、ヒヨリたちのもとへと戻っていくエンリの、その言葉の意味を理解できたのは、それから少し経ってからのことだった。




