28 : こんな世界は要らない。
モトエたちはどうしているのか、と問うと、今のところはこちらを放置してくれている状態にある、とエンリとイチヒトが教えてくれる。どうやら、モトエはヒヨリを招きに行き、レンを救出するために動いていたヒヨリたちと出くわしたあと、ここまで道案内したようだ。イファラントを敵に回してもいいくらいにはヒヨリに価値がある、とモトエは言っていたが、そこに嘘はなかったらしい。
「ヒョーリに価値……なるほど、モトエとか言う魔術師は、嘘が嫌いな性質らしいな。ヒョーリを勧誘しに来たというのも本当なのだろう。さらに言えば、おれたちに今のところ敵意はないというのも、信じてくれたのだろうな」
「わたしたちが戦力不足であることは、見ればわかることですからね」
「相手にもされていないということだな、おれたちは」
「言ってしまえば、そうでしょうね」
「ふむ……まあ、かまわん。エヌ・ヴェムトの目的は、彼らの保護であるしな」
とくに問題はないな、と言い切ったのはエンリで、エンリと会話していた魔術師イチヒトはなんとなく複雑そうだ。
「して、戦神よ、このままでは利用される、と言ったな。それは、おまえの微妙な顔つきと関係しているのか?」
「わたしが彼らに囚われたことを宰相閣下が知ったら……という意味で」
「もはや知られていると思うが……まずいのか?」
「黒の集団が犯人であると、その報告はなされたのですよね?」
「ああ。シュナどのがいたからな」
伝えたのか、とシュナに確認を取れば、申し訳なさそうにシュナは頷く。
「であれば……確実に閣下は、利用するでしょう」
「なにを利用すると? そもそもヴァントルテの宰相はおまえの父親でもあろう?」
「わたしの父だからこそ、です」
「というと……」
はて、とエンリが首を傾げる一方で、レンは強く握った拳をヒヨリによって解かれる。爪が食い込んだ手のひらは、あと少し力が入っていれば裂けていたところだった。
ヒヨリに励まされながら、この事態を招いてしまったことに悔しさを感じつつ、レンは深く息を吐く。
「ことの始まりから、説明させてください」
「いいだろう。話しにくいであろうから、おれのことは気にせず、ふつうに話してくれ」
「……ありがとう」
「かまわん。で、ことの始まり、とな?」
「わたしを『影』にしたのは母であり、父だ。そして父には、亡くした弟がいた。彼は、わたしの先代にあたる戦神になるべく、育てられていたと聞く」
「モトエのことか」
「え?」
なぜモトエの名が、と目を丸くすれば、ヒヨリが詳細を教えてくれる。それは、あのモトエが、叔父であるという話だ。憶えのある名のような気がしていたが、そう言われれば確かに、叔父はモトエという名であった気がする。逢ったことはないので確信が持てなかったのだが、モトエがレンに対して優しさを見せていたことを考えると、叔父という意識があったから自然とそういう態度になっていたのかもしれない。
あのモトエが叔父、死んだと聞かされた、モトエ・エクトシア。
「生きていた……なら、やっぱり……」
「やっぱり?」
死んだと聞かされた叔父が、生きているような気はしていた。レン自身、戦神と呼ばれるようになったからわかる。レンのように戦神となるべくして、叔父は育てられていたのだ。そう簡単に死ぬはずがない。それに、戦神となるべくして育てられていたのなら、モトエのあの強さも頷ける。
「死んだことにしたのは、父だろう」
「宰相が?」
「わたしには、父がなにを考えているのか、わからない……それでも、そういうことをしそうなのは、父だけだ」
「ふむ……ヴァントルテ国王によく仕える優秀な文官と聞くが、おまえがそうだというなら、そうなのだろうな。よい噂しか流れてこん奴ほど、腹は真っ黒だからな」
「父には昔からなにか考えがあるようだった。レンドルアがわたしを喰らわず、わたしに自分を喰わせたときも、父は顔色一つ変えなかった。父にとって、『影』になるのはわたしでもレンドルアでも、どちらでもよかったみたいだった」
「宰相になにかしら腹があるのは容易に知れるが……さて、宰相の目的とはなんであろうなぁ」
モトエの復讐対象がヴァントルテ国宰相、父であったなら、利用されるとは思わなかっただろう。だがレンは、モトエからその対象を聞き出したわけではないのに、利用されると思った。そう思わせるなにかが、父にあるのだ。
「まあ、あまりのんびりできんことは確かだな。宰相がこのことを利用するというなら、その顛末を見届けてもかまわんかもしれんが、生憎とエヌ・ヴェムトは黒の集団を追う側だ。宰相に勝手をされては困る」
王子らしいエンリの考えには、頷ける。
父に宰相という立場があるように、その立場から勝手なことをされては、他国は迷惑でしかない場合もあるのだ。
「モトエが生きていることは、宰相にどんな意味がある?」
「わからない……父は、本当になにを考えているのか、わからないんだ」
「ふぅむ……まあ、宰相たるものが単純では国は回らんものな」
「ただ、もっとも最悪なのは、黒の集団が父の手中にある場合だ」
「うむ?」
「モトエが生きていて、わたしがここにいる……ここは黒の集団だ。父は黒の集団になにかさせるつもりでいると思う。けれど……」
「けれど?」
ふっと、レンは顔をヒヨリに向ける。レンに見つめられたヒヨリは、その双眸になんの意味があるのか、解釈できないようで首を傾げる。
「おれがどうした?」
「……ヒヨリが、わたしを迎えに来てくれたことは、父にとって想定外である可能性がある」
「はあ? あほか。おまえはおれの妻……いや、夫だろうが」
「ヒヨリ。わたしは、ヒヨリが来てくれるとは思っていなかった。夢でしかないと、思っていた」
「……ばかも休み休み言え」
「うん。でも、本当に、そう思っていたんだ」
不愉快そうにヒヨリは顔をしかめたが、レンにとってヒヨリがここに来てくれたことは、奇跡のようなものなのだ。だから、これが本当に現実なのか、今少し疑いを持っている。
「ヒヨリ、本当にヒヨリだよな?」
「疑うのか、おれを」
「違う。夢なんじゃないかって、思うんだ」
「……おとなしいおまえは気色悪い。さっさといつものおまえに戻れ。ここにいるおれは現実だ。嘘でもまやかしでもない」
ほら、わかるだろう。と、ヒヨリに手を頬に導かれる。触れた先から感じられるぬくもりは、そして古書の匂いは、確かにレンが知るヒヨリのものだ。
ああ、本当にヒヨリだ。
逢いたくて、逢いたくて、けれども逢うのが怖くて、それでも焦がれたいとしい人。
「それで? おれがおまえを迎えに行かないと、行くわけがないと、宰相はなぜ決めつけた?」
「簡単なこと。ヒヨリには、戦うすべがないから」
「はん……よくもまあ抉ってくれるなぁ、おれの矜持を」
「イファラントの王妃のせいで、行動に自由がないと思っている。わたしは、ヒヨリにイチヒトさまがいると、教えなかったから」
「まあおれにはいざとなりゃイチヒトもいるが、真名も解放できるんだがなぁ」
「真名には警戒していたけれど、わたしがいくら呼んでも解放される気配がないとわかって、今では注視してない」
「そりゃおまえが魔力に制限かけてるからだろ」
「わたしはそのことを、誰にも話していない」
「……。おまえ体力ばかだけどたまに策士だよな」
なにかヒヨリに失礼なことを言われた気もしなくはないが、ヒヨリには話して父や母には黙っていることは、実はいくつかある。
レンは産まれたときにはすでに師であるロイス翁の許にいたので、父や母とは一緒に暮らしていなかった。「影」になって数年は一緒に暮らしたが、義務的に父や母を呼ぶことはあっても、両親として頼ったことはない。ロイス翁が親代わりだったレンにとって、実父母のふたりとは形ばかりの関係だ。
そんな父や母に、黙っていることがいくつかあっても、まあ不思議ではないだろう。レンにはふたりを信用するなにか、絆のようなものがなかった。嫌いではないが好きでもない、苦手ではあるが接触を避けたいほどでもない、いわば近くの他人だ。
「鍵となるものはなにかとずっと引っかかっていたのだが、戦神の話から漸くそのつっかえが取れたな」
「つっかえ?」
「イファラント、ヴァントルテ、エヌ・ヴェムト、黒の集団、モトエ、宰相、真名、目的、利用、魔力、制限、そして『影』……うっかり見落としていたが、国だ」
「王子、意味がわからん」
ひとり考え始めたエンリは、うんうん唸りながら腕を組む。立っているのに疲れたのか、寝台の端にどっかりと座り、相対者にはイチヒトではなくヒヨリを選んだ。
「黒の集団の目的は復讐だ。これまで狙われた数人は、エヌ・ヴェムトの者を除いてほぼ全員が手にかけられつつある」
「それが……どうした?」
「ヒョーリ、おまえは戦神を取り戻せたらそれでいいだろう。だがな、おれはそうもいかんのだ。これでも王子だからな。兄上の援軍を振り切った責任は負わねばならん」
「逃げる気だっただろう、王子は」
「イチヒトが残ると言うのだ。なら逃げずに、ここで向き合うべきであろう。それには戦神も賛同してくれそうだ」
「……レン、おまえ、利用されるとわかっていながら、ここに残るのか?」
ふと投げかけられた問いに、どう答えたらよいものかと、レンは唇を噛む。
正直に言えば、ヒヨリがそばにいてくれる限り、レンにとってほかはどうでもいい。ヒヨリがいてくれるなら、世界を敵に回してもかまわない。レンにはその力もある。
けれども、征服者になりたいわけではないし、ましてや世界の頂点に立ちたいわけでも、支配者になりたいわけでもない。ヒヨリと平穏な毎日を暮らしたいだけで、言ってしまえば誰にも干渉されたくないだけだ。
だから、そのためにはどうすればいいか、本当のところレンはわかっている。罪深い愚か者だからこそ、それができると。
「一つだけ……」
「ん?」
「一つだけ、ヒヨリに言ってないことがある」
言葉は見つからないが、探りながら、レンはヒヨリを見つめた。
「わたしは……国の道具ではない」
「……当たり前だ」
「けれど、父や母の道具では、ある」
「は?」
「わたしは……国を、憎んでいる」
言葉尻が震えた。
無意識に強張る手のひらが、ヒヨリの手のひらを握りしめてしまう。
本当は言いたくない。
けれども。
「どうしてわたしが、『影』なのか…っ…わからないんだ」
本当はずっと、言ってしまいたかった。
「レンドルアを殺したくなかったのに……っ」
こんな世界は要らない。
生を放棄した双子の兄の命を躊躇いなく喰らってしまうくらいに、レンは国を憎んでいた。
そしてそれは、植えつけられたものだった。




