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第六話 引っ越しは、予想外のものが出てこないわけじゃない

翌朝。


俺は書斎で、

段ボール箱に向かって一人、

慌ただしく立ち回っていた。


本や資料、使っていない機材、

いつの間にか溜まっていた雑多な物を、

片っ端から箱に詰めていく。


もともとの俺の考えは、

いたって単純だった。


寝室はミクに譲って、

自分はリビングに適当に布団を敷いて寝ればいい。


それで全部、

丸く収まるはずだった。


――ところが。


彼女は思いのほか真剣な表情で、

その案を一蹴した。


「だめです。

それは契約にある『監督を大切にする』という原則に反します」


一瞬、言葉の意味が理解できず、

俺は思わず間の抜けた声を漏らした。


「……え?」


さらに彼女は、

今夜の献立でも決めるかのような自然さで、

こう付け加えた。


「ですから、

同じベッドを使えばいいと思います」


ちょうど湯のみを口に運んでいた俺は、

危うく中身を吹き出すところだった。


「ミ、ミクさん……」


どうにか平静を装いながら、

言葉を絞り出す。


「さっきまで、

あんなに怯えていた人が言う提案には、

どう考えても聞こえないんですが」


彼女は少しも動じず、

当然のことのように言った。


「さっきと今では、

状況が違いますから」


「今の私にとって、

監督は唯一で、

最も大切な契約者です」


「少し親密になるのは、

当然では?」


あまりにも自然な言い方だった。


あまりにも、

理屈として破綻していなかった。


反論の言葉が、

喉の奥で詰まる。


俺は茶を啜りながら、

無意識のうちに彼女の顔を見ていた。


整った目鼻立ち。


さらりと流れる長い髪。


衣服の下に隠しきれていない、

はっきりとした身体のライン。


――正直に言おう。


頭に浮かんだ考えは、

ひとつとして健全なものじゃなかった。


毎晩、

こんな若くて美しい体を抱いて眠れるとしたら。


それは、

多くの男にとって、

疑いようもない究極の妄想だろう。


俺の口は、

すでに本能に従って「いい」と言いかけていた。


その瞬間だった。


背骨の奥から、

氷の刃を突き立てられたような、

冷たく鋭い感覚が駆け上がった。


――「立契」の痛み。


魂に刻み込まれた、

生存本能からの警告だ。


だめだ。


これは、マジで死ぬ。


眠っている間にあの刺激ドレインを受け続けたら、

俺は朝には「干からびた死體」として発見されるだろう。


歪んだ欲望を力ずくで押し殺し、

歯を食いしばりながら、

俺はほとんど絞り出すように言った。


「……だめだ。ミクさん、

それは流石に、色々とまずい」


彼女は首をかしげ、

不思議そうな表情を浮かべた。


まるで、

俺が何を必死に耐えているのか、

理解できていないようだった。


「……え? なぜですか?」


結局、

彼女は少しだけ残念そうに「……わかりました」と引き下がった。


――そして、現在。


俺は軽く頭を振り、

あの雑多な記憶を追い払うと、

再び目の前の作業に意識を戻した。


「……いつの間に、

こんなに物が増えたんだ」


小さくぼやきながら、

作業を続けていると――

雑多な荷物の奥、

机の角から、

小さなフォトフレームが顔を出しているのに気づいた。


手を止めて、それを引き抜く。


中には、少し色あせた写真。


金髪の女性と、並んで立つ俺。


二人とも、

驚くほど楽しそうに笑っている。


その表情は、まるで――


遠くて、

もう戻れない、

穏やかな時間に閉じ込められているみたいだった。


胸の奥が、ちくりと痛む。


苦い記憶が、

浮かび上がりかけた、

その時――


「ピンポーン!」


無遠慮なチャイムの音が、

思考を断ち切った。


俺は慌ててフォトフレームを段ボールに放り込み、深呼吸してから玄関へ向かう。


ドアを開けると――


「監督!」


大量の荷物を抱えたミクが、

太陽みたいな笑顔で立っていた。


眩しすぎて、直視できないほどに。


「待たせてごめんなさい! 昨日、荷造りが――」


「しっ!」


俺はすぐに人差し指を立て、

声を潜める。


「⋯⋯声がデカい。とりあえず、入って」


「は、はい……お邪魔します」


ミクは慌てて口を押さえ、

リビングに入ると、

荷物を降ろした。


「昨日、一晩中片付けてて……

さすがに疲れました」


そう言いながら部屋を見回し、

視線が空っぽの寝室で止まる。


「……監督。ベッド、まだですか?」


「昨日注文したけど、

届くのは最短で一週間後かな」


俺は肩をすくめる。


「大型家具はどうにもならない。

だから、それまでは近くのホテルか、寮に――」


「ダメです!」


ミクは勢いよく遮った。


「契約がありますし、

監督を守らなきゃいけません!

それに、エネルギー供給も――」


「毎日とは言ってないだろ……」


あの電流みたいな感覚を思い出し、

額に汗が浮かぶ。


「とにかく、一週間も待てません!」


ミクは唇を噛み、

ちらりと俺の部屋を見る。


そして、何かを思いついたように目を輝かせた。


「……やっぱり、一緒に寝――」


「それは勘弁してくれ!」


即答だった。


ミクはこめかみに指を当てて考えを巡らせていたが、

ぱっと顔を上げた。


「いいこと思いつきました!」


言うなり、

彼女はタタタッと玄関へ向かって駆け出していった。


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