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第二十一話 身近な少女は魔王ではない

「それでは藤原君、

カナちゃんへの連絡はこちらで処理しておきます。

次回の撮影場所も、

こちらで決定します――問題ありませんね?」


電話の向こうで、

鈴木の声が迷いなく告げる。


余分な枝葉を一刀両断するような、

乾いた決断。


「……え? 場所まで、ですか?」


思わず声を落とす。


自分でも分かるほど、

そこには躊躇が混じっていた。


「そうです。藤原監督は、

新しい指示通りに撮影していただければ結構です」


穏やかな口調。


だが、

その奥に揺らぎはない。


「では、失礼します。

秘書から詳細を送らせますので」


――プツン。


通話終了の電子音が、

静まり返ったリビングにやけに大きく響いた。


俺はスマホを下ろし、

深く息を吐く。


……変わってしまった。


俺と彼女の間に結ばれた、

あの不可視の「契約」だけじゃない。


現実の契約――ミクの所属事務所も、

強制的に書き換えられた。


次回の撮影では、

カナも正式に画面に立つ。


すべてが、

俺の手の届かないところで動いている。


胸の奥。


契約の印が、

じんわりと熱を帯びた。


幻覚じゃない。


確かに、

何かが引き合っている。


理性という名の「人間」の側。


魔界の残滓のような、冷たい影。


そして――説明のつかない、

柔らかくて、それでも強い感情。


三つの力が、

俺の内側でぶつかり合っている。


そのとき。


「……ん……」


寝ぼけた声とともに、

寝室の扉が開く。


振り向くと、

ミクが目をこすりながら出てきた。


茶色の長い髪は寝癖であちこち跳ね、

まるで巣から出てきたばかりの小動物だ。


「おはよ……ユウマさん……」


あくびをしながら、

ふらふらと近づいてくる。


思わず苦笑する。


「おはよう。……と言いたいところだけど、

もう午後だぞ」


「ん……?」


まだ半分夢の中らしい。


俺は自分のスマホの画面を彼女に向けた。


「これ、見てみろ。

さっき事務所から連絡が来た。

所属が変わったんだ」


「え……?」


彼女の瞳が、

ゆっくりと焦点を取り戻す。


慌てて自分のスマホを取り出し、

画面を開いた瞬間、

その表情が固まった。


通知音の嵐。

ミクララのグループチャットは、

メンバーたちの絶叫にも似たメッセージで埋め尽くされている。


「ええっ!? ここって……超大手じゃないですか!? 

ユウマさん、知ってたんですか?」


不安と戸惑いが、

はっきりと浮かぶ。


「いや。俺も今、聞かされたばかりだ」


立ち上がりながら、続ける。


「それと……もう一つ――」


カナの名を口にしようとした、

その瞬間。


背筋を、

氷の針でなぞられたような感覚。


呼吸が、止まる。


視界が歪む。


床が波打つ。


何かに思いきり揺さぶられたみたいに、

世界が傾く。


手を伸ばす。


何も掴めない。


足元が消えた。


――ドン。


「……ユウマさん!?」


それが、

闇に沈む直前に聞いた最後の声だった。



闇。


完全で、純粋な闇。


上下も時間も存在しない、空白。


その中で、

じわりと温もりが滲み込む。


血のように、

体内を巡る赤い光。


包まれる感覚。


次の瞬間――さらに深い闇へ、墜ちた。


そして、目を開ける。


見知らぬ空間。


濃厚な鉄の匂い。


血。


無意識に手を上げる。


白く細い手。


その指先まで、

鮮血に染まっている。


「……なんだ、これ……」


腹部に、激痛。


視線を落とす。


翠緑に輝く剣先が、

腹を貫いている。


震える刃。


次の瞬間、

無造作に引き抜かれた。


鮮血が噴き上がり、

「俺」の身体は崩れ落ちる。


「リリス様……あなたは、優しすぎた」


冷たい声が、

頭上から降る。


見上げる。


尖った耳。


銀白の長髪。


黒い戦装束を纏った少女。


裁く者の眼差し。


「魔王に、ふさわしくない」


「……ルシア……なぜ……」


声が出る。

だが、それは俺の声ではない。


――リリス。


裏切り。


信頼の崩壊。


恐怖と怒りと、

取り返しのつかない絶望。


感情が雪崩のように流れ込む。


思考が壊れる。


そのとき、

強烈な魔力が意識を引き剥がした。


身体から弾き飛ばされる。


宙へ。


俯瞰。


血の海に倒れているのは――


ミク。


黒い長衣をまとい、

威厳と絶望を宿した顔。


闇の奔流が、

彼女へ流れ込む。


「やめろ……!」


叫ぶが、届かない。


ルシアが剣を掲げる。


黄金の光が弾け、

鎖となってミクの四肢を拘束する。


「最も卑しい存在へ堕とす」


冷酷な宣告。


「記憶を奪い、人間界へ落とす。

サキュバスとして」


頭が真っ白になる。


――だから、

彼女は何も覚えていないのか。


裂け目が開く。


ミクの姿が、

闇へ引きずり込まれる。


世界が崩れ、砕け――


「はっ……!」


俺は跳ね起きた。


背中が汗で濡れている。


荒い呼吸。


見慣れた天井。


部屋。

……戻ったのか。


ゆっくりと視線を落とす。


ベッドのそばで、

ミクがうつ伏せに眠っている。


顔色は少し青白い。


長く看病していたのだろう。


俺の布団の端を、

ぎゅっと握ったまま。


消えてしまわないように。


その仕草に、

胸が締めつけられる。


脳裏に浮かぶ。


血の中に倒れた魔王。


目の前で眠る、

茶色の髪の少女。


威厳。

孤独。

絶望。


重なって、揺れる。


手を伸ばす。


頭に触れようとして――止めた。


ここにいるのは、

裏切られた魔王でもない。


封じられたサキュバスでもない。


夢を追いかける、

一人のアイドルだ。


「……ミク」


小さく名を呼ぶ。


その瞬間、決めた。


監督として。


契約者として。


彼女の過去を知る、唯一の存在として。


俺は、この名前を守る。


この世界で彼女が築こうとしている、

すべてを。


なぜなら今、俺のそばにいる少女は――

魔王ではない。


俺にとって、何より大切な存在だからだ。


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