第二十話 監督なんて、所詮ただの雇われじゃないか
「……いい知らせって、何ですか?」
できるだけ声が震えないように抑えたつもりだったが、
胃のあたりがじわりと痛んでいるのが自分でもわかった。
電話の向こうで、
鈴木さんが軽く笑う。
「一つ目。
私の事務所が正式に『ミクララ』の経営権を取得しました。」
「本日付で、
グループの総責任者およびマネージャーは、
私が兼任します」
一瞬、
空気が抜けたような感覚。
「藤原監督。これからまた一緒に戦えますね。
今後ともよろしくお願いします?」
祝福のようでいて、
実質は宣言。
逃げ道のない宣告だ。
「……急すぎませんか?
元の会社はどうなったんですか」
「藤原君。あなたは監督でしょう?」
声は穏やかだが、
その奥に業界人特有の冷静さが滲む。
「撮影現場で、
あのマネージャーが車から降りてきて挨拶しましたか? 」
「企画内容について、
あなたと一度でもまともに打ち合わせをしましたか?」
脳裏にいくつかの現場がよぎる。
古びたシルバーのワゴン車。
半開きの窓。
中から適当に手を振る影。
名刺交換すら、していない。
……確かに。
「もっと問題なのは」
鈴木さんの声がわずかに冷える。
「センターのミクの申告住所。
調べたところ、
空き家でした」
指先に力が入る。
視線が勝手に廊下の奥へ滑った。
閉じたドアの向こう。
いまも俺のベッドで眠っているであろう“誰か”。
この世界で、
彼女の本当の住所を一番よく知っているのは――たぶん、俺だ。
「あの会社は、
自社のアイドルがどこに住んでいるかも把握していなかった」
淡々とした声音。
「藤原君。何か心当たりは?」
喉が急に乾いた。
「い、いえ……知りませんよ。
俺は監督ですし。
タレントの私生活までは」
「……そう?」
伸びる語尾。
電話越しでも、
背筋が冷える。
数秒の沈黙のあと、
彼女は小さく息をついた。
「安心してください。
いきなり本人を問い詰めたりはしません。
経営が変わった直後に高圧的に出れば、
警戒されるだけです」
理性的。
冷静。
そして抜け目がない。
「欲しいのは確証です。
即席の言い訳ではなく」
嫌な予感が、
確信に変わる。
「この件は、あなたに任せます」
「……任せる、って」
「あなたは彼女が最も信頼している存在でしょう?
何気なく探れば成功率は高い。
会社が調査していると悟らせないこと」
一拍。
「もし男性との同居が発覚した場合は――損切りを検討します」
損切り。
人間に対して使う言葉じゃない。
でも彼女にとっては、
それは“投資判断”に過ぎないのだろう。
冷や汗が額を伝う。
俺は背筋を伸ばし、
わざとらしいほど明るい声を作った。
「もちろんです! 名探偵・藤原悠真にお任せください!
ジッチャンの名にかけて!徹底的に調べ上げます!」
一秒の沈黙。
「……そこまでやる気なら、
安心ですね」
声が通常モードに戻る。
「二つ目の話です」
まだ心拍は落ち着いていない。
「助監督のカナちゃん。最近、どう?」
来た。
電話越しでも、
彼女が笑っているのがわかる。
市場の匂いに敏感すぎる。
かつてヘスティアを見つけた時と同じ目だ。
「現場では優秀です。
彼女がいないと回りません。
あの激辛動画は事故みたいなもので、
普段は本当にプロですよ」
少し間が空く。
「確かに、一本のバズ動画だけで判断はできませんね。
本人の意思もありますし」
ほっとしかけた、その瞬間。
「では、次の撮影でカナさんをお借りします」
「……はい?」
「特別ゲストとして出演してもらいましょう。
視聴者の反応を見るテストです。
ついでに、表に立つ感覚も体験させる」
さらりと言う。
「藤原監督。
問題ありませんね?」
問題。
あるに決まっている。
昨夜、
強制的に“二重契約保持者”になったばかりだ。
今日は会社のスパイ役。
次は助監督を表舞台へ。
俺に拒否権なんて、あるのか?
目を閉じる。
「……わかりました」
半秒の沈黙。
「ただ一つ。監督、交代しません?」
電話の向こうで、
堪えきれない笑い声。
「……無理ですよ」
俺はそのまま天井を見つめ、
深く息を吐いた。
監督なんて。
所詮、雇われだ。
守るべきルールがあって。
背負うべき責任があって。
演じるべき役割がある。
そして次の撮影は――
ミク。
カナ。
二人の“魅魔”。
一つのスタジオ。
目を閉じる。
リビングの壁の穴は、
まだ塞がっていない。
……頼むから。
今度こそ、戦争だけはやめてくれ。
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