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第十九話 第二幕に新しい出演者がいないなんて、あり得ない

翌朝。


カーテンの隙間から差し込んだ陽光が、

細い刃のように瞼を切り裂いた。


眉をしかめて寝返りを打つ。


だが結局、目を開けるしかない。


見慣れた天井。

見慣れた部屋。


——昨夜の出来事だけが、何一つ見慣れていない。


戦闘。


対峙。


そして、あの笑みを浮かべながら拒否権を与えなかった「副契約」。


まるで夢だ。


俺は上半身を起こし、

重たい身体を引きずって洗面台の前に立つ。


鏡の中の自分は、

ひどい顔色だった。


目の下に薄い隈。

唇も乾いている。


胸元を見る。


ミクの契約印の外側に、

淡い紋様が一周刻まれている。


カナの副契約。


朝の光を受け、

わずかに脈打つ。


……夢じゃない。


指先で触れた瞬間、

体内でかすかな共鳴が走った。


二つの魔力。


——いや。


精霊族の守印も含めれば、三つ。


性質の違う力が、

同じ肉体の中で牽制し合っている。


三本の川を、

無理やり一本の水路に流し込んだようなものだ。


その結果が——


全身の筋肉痛。


壁に手をつき、

ゆっくり立ち上がる。


昨日は殴れた拳が、

今日は握るだけで軋む。


「……完全にオーバーロードだろ、これ」


苦笑しながら部屋を出る。


そして、現実が二発目を叩き込んできた。


リビング。


壁に拳大の穴。

剥がれた漆喰。

砕けたテーブルの角。

位置のずれたテレビ台。


——戦場の跡。


しばらく、無言で立ち尽くす。


夢じゃない。


これは修繕費だ。


ミクの部屋のドアは閉まったまま。

物音はない。


昨夜、彼女は魔力も精神も限界まで削られていた。


起こす気にはなれない。


深く息を吐く。


観念して、

掃除道具を手に取った。


「……現場の後処理、か」


箒を動かしながら、昨夜のカナの台詞が蘇る。


——「会社の方は私が処理しておきます。悠真は家で現場処理を」


あの当然の口調。

あの指示を出す側の顔。


どっちが監督だ。


思わず、彼女の真似をして呟く。


「なんで俺が現場処理係なんだよ」


「それと、なんで自然に名前呼びなんだ」


「助監督だろ? いつから俺を演出する側に回った?」


苛立ちまぎれに箒を振りすぎて、

粉塵が舞い上がる。


咳き込む。


……あいつ。


人の家を半壊させておいて、

功労者みたいな顔で帰りやがって。


最後の瓦礫を袋に放り込もうとした、その時。

スマートフォンが鳴った。


嫌な音だ。


画面を見る。


会社。


「……チッ」


通話ボタンを押す。


「もしもし。助監督から聞いてないのか? 

今日は休みだ。急ぎじゃないなら後に——」


向こうが沈黙する。


そして、慎重な声。


「監督……大変です。YouTube、見ましたか? 

激辛ラーメンの回のコメント……」


嫌な予感が、背筋を走る。


「……何だよ」


通話を切り、

パソコンを立ち上げる。


画面に映るのは、

ラーメン店で笑うミク。


地獄激辛ラーメンを平然と完食し、

最後はスープまで飲み干して「おいしい!」と無邪気に笑う。


可愛い。


間違いなく。


高評価も再生数も伸びている。


「……いいじゃないか」


安堵しかけて、スクロールする。


コメント欄。


次の瞬間、固まった。


視線の先にあるのは——


ミクじゃない。


画面の隅。


偶然映り込んだカナ。


辛さに耐えきれず顔を真っ赤にし、

目に涙を浮かべながら、

それでも平静を装って小さく頷き「……おいしい」と言う、あの一瞬。


その場面が、切り抜かれ。


スロー再生され。

拡散されている。


【涙目フェチ】

「泣きそうなのに意地でおいしいって言うの無理」


【ラーメン神】

「演技じゃないよなこれ? 守りたい」


【瞬間沼落ち】

「誰? この子誰? 出てきてくれ」


【出道希望】

「制作陣、この子を探せ」


【天然保護団体】

「デビューさせないのは罪」


【俺の嫁】

「これは俺の嫁」


世界が回る。


守りたい?


あいつは昨夜、俺の胸に副契約を刻んだ張本人だぞ。


天然?


あの冷静な助監督が?


問題は一つ。


これを——

本人が見たらどうなるか。


脳裏に浮かぶ。


無表情で画面をスクロールするカナ。


そして、ゆっくり顔を上げて微笑む。

——「あら?」


……終わる。


「騒ぐな。放っておけ」


電話を掛け直す。


「ネットは熱しやすく冷めやすい。二日もすれば次に移る」


自分でも説得力がないと思いながら言う。


通話を終え、

ソファに倒れ込んだ。


天井を見上げる。


「第二幕に、新しい出演者がいないなんて……あり得ない、か」


観客はもう気づいている。


舞台の端に、もう一人立っていることを。


問題は——

本人が舞台に上がるかどうかだ。


その時。


再び着信。


額に青筋が浮く。


「今度は何だ……」


通話を取る。


沈黙。


そして、落ち着いた女性の声。


「おはよう、藤原君。声、忘れちゃった?」


心臓が跳ねた。


ソファから反射的に身を起こす。


「……鈴木さん?」


電話の向こうで、柔らかく笑う。


「覚えてくれていて安心したわ」


テンポを崩さない声。


主導権を握る側の話し方。


「藤原君。ひとつ、いい知らせがあるの」


喉が渇く。


——いい知らせ?

どうして、まったく安心できない。


舞台の幕が、ゆっくりと上がり始める。


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