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第十五話 スイーツショップで開戦する場所じゃない

百貨店を出るころには、

空はすっかり暗くなっていた。


先頭を歩くのはカナ。


迷いのない足取りで、

まるで最初から自分が道案内役だと決まっていたかのようだ。


その後ろを、ミクと千紗が並んで歩く。

小声で会話を交わしながら――


けれどミクの視線は、

カナの鎖骨で微かに揺れるネックレスに、

何度も吸い寄せられていた。


そして俺は――


両手いっぱいに紙袋を提げ、

息を切らしながら最後尾。


どう考えても、おかしい。


ディレクターのはずが、

完全に荷物持ちの臨時スタッフだ。


だが、この女性陣の中で弱音を吐けるほど、

俺は図太くなかった。


歩いている途中、

ミクがふいに振り返った。


俺を見るなり、

少し心配そうな表情になる。


「監督、少し持ちましょうか?」


立ち止まり、

自然な口調でそう言う。


まるで、

こういう役回りに慣れているみたいに。


「私たちも、少しなら――」


そう言って、

彼女が手を伸ばした、その瞬間。


カナがくるりと引き返した。


ほとんど隙のない、素早い動き。


俺の手から紙袋のひとつをさらりと受け取り、

ミクと俺の間に立つ。


その顔には、

いつもの“仕事用”の柔らかな笑み。


「すみません、ここは私が。」


声音は穏やかだが、

有無を言わせない。


「監督をお呼びしたのは私ですから。

これくらいは任せてください」


そう言い切ると、

何事もなかったかのように前へ戻っていく。


俺はこっそりミクを盗み見た。


カナの背中を見つめるその瞳に、

一瞬だけ――


青白い火花が散った気がした。


……いや、ちょっと待て。


この空気、何なんだ。


救いだったのは、

スイーツショップがすぐ目の前だったことだ。


カナが先に扉を押し開け、

完璧な営業スマイルに切り替えて店員と挨拶を交わす。


案内されたのは、

店の奥のボックス席。


紙袋を脇に置き、

俺はどさっとカナの隣に腰を下ろした。


額から汗が噴き出す。


向かいにはミクとチサ。


呼吸を整える間もなく――


「監督、お疲れさまです!」


ミクがバッグからティッシュを取り出し、

身を乗り出してくる。


「すごく汗かいてますよ……」


まずい。


――「仕事中はあまり距離を詰めない」


あの約束は、見事に忘れ去られていた。


その瞬間、カナの冷たい視線と、

千紗の気まずそうな営業スマイルを同時に感じた。


額に、ティッシュがそっと当てられる。


俺は慌てて受け取った。


「ありがとう……あとは自分でやるよ」


この妙な空気から逃げるように、テーブルのメニューを掴む。


「えっと……何にする? 

今日は経費で落ちるから、遠慮しなくていいぞ。」


「ほんとですか!」


千紗の目が輝く。


「ありがとうございます、監督!」


すぐさまミクと顔を寄せ、

メニューを覗き込む二人。


ミクはまるでおもちゃを前にした子どもみたいに、

スイーツを指差しては楽しそうに話している。


俺はようやく一息つき、

メニューをカナに渡した。


「じゃあ……俺たちも決める?」


カナは受け取り、

ふっと微笑む。


「このお店の名物は季節限定パフェですね。

私はそれにします」


ちらりと俺を見る。


「監督はいつも通り。

ブラックのアイスコーヒー、ガムシロなし、ですよね?」


「……ああ」


もう、この手のことに抵抗するのは諦めている。


「先に選んでてください」


俺は立ち上がった。


「撮影当日の注意事項、店員さんに確認してきます」


席を離れる。


その間に――


カナは注文用タブレットを手に取り、

迷いなく自分と俺の分を入力していた。


ふと顔を上げ、

指先で「星塵琉璃」を弄びながら、

ミクを見据える。


その視線は、

言葉なき勝利宣言のようだった。


一方のミクは気づかない。


「いちごパンケーキアイス……それともフォンダンショコラ……」


悩む彼女に、

千紗が慣れた調子で言う。


「どっちも頼んで、シェアすれば?」


「それだ!」


ミクがぱっと顔を上げる。


「千紗、天才!」


そしてカナを見て、


「助監督さん、お願いします!」


カナは小さく息を吐き、

それでも黙って二人分の注文を入れた。


ちょうどその頃、

俺も店員との話を終えて戻る。


「確認、終わりました?」とカナ。


「うん。たぶん大丈夫」


ついでに、余計な一言が口をついた。


「少なくとも、

地獄みたいに辛いラーメンは出ないはず」


「それ、よくも言えますね!」


カナがむっとして、

俺の肩を軽く叩く。


よろけた拍子に、

アイスコーヒーを運んでいた店員とぶつかった。


「きゃっ――!」


コーヒーが、見事に俺に降りかかる。


「す、すみません!」


「監督!」


ミクと千紗が同時に立ち上がる。


「大丈夫……冷たいだけだ」


びしょ濡れだが、

火傷じゃないのが救いだ。


カナはすぐに紙ナプキンを取り出し、

冷静だが焦った声で言う。


「動かないで。私が」


俺は観念して、

濡れたシャツのボタンをいくつか外した。


――そのとき。


カナの手が止まった。

視線を辿ると、俺の左胸。


そこにあるのは――


ミクとの契約印。


まずい。


反射的に襟を引き寄せ、

彼女を軽く押し退けた。


「こら、何見てる。……自分でやるよ!」


声が上ずっていたのは、

自分でも分かる。


理屈では、

ただのタトゥーに見えるはずだ。


だが、

脳裏には夢の中のカナの姿がよぎる。


……おかしい。


カナは動かなかった。


紙ナプキンを持つ手が、

ゆっくりと下がる。


その視線が、

俺とミクの間を往復する。


探るように。

疑うように。


空気が、見えない何かに詰まった。


そこへ、ミクも気づいた。


眉をひそめ、

カナと「星塵琉璃」を見比べ、低く問いかける。


「まさか……助監督さんも……?」


視線が、真正面からぶつかる。


火花は散らない。


その代わり、

もっと危険な何かが漂った。


まずい。


このままじゃ、

完全にアウトだ。


俺が無理やり口を開こうとした、

その瞬間――


「お待たせしました」


店員がスイーツを運んできた。


「お詫びに、キャラメルプリンを四つ、

サービスでお持ちしました」


甘い香りが広がり、

張り詰めた空気を、

ぎりぎりのところで押し留める。


「いただきます!」


ミクがすぐにスプーンを手に取った。


俺もキャラメルプリンをひと口。


……甘い。


少し、甘すぎるくらいだ。


スプーンを離した、その瞬間。


左胸が、じんわりと熱を持った。


指が止まり、顔を上げる。


カナと、目が合った。


二秒。

どちらも、何も言わない。


やがて彼女は、

何事もなかったかのように視線を外し、

自分のスプーンを取る。


「……このお店、スイーツは悪くないですね」


あまりにも平然とした口調。


けれど、その瞬間、

俺の胸に残った思いはひとつだけだった。


――見られた。


しかも、ただ見られただけじゃない。


彼女は……『分かっている』。



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