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第十三話 公費で買い物が、ただの買い物で済むはずがない

コンロの火を点ける。

フライパンを熱すと、

油と香辛料の匂いが一気に立ち昇った。


使うのは、

昨日ミクが買い込んできた食材だ。


フライパンの上でソーセージが軽快な音を立て、

卵は程よいところで半熟に固まりつつある。


俺にしては、

久しぶりの「ちゃんとした自炊」だった。


作業の途中、

不意に背後から控えめな足音が聞こえる。


「……いい匂い……」


振り返ると、

ミクがパジャマ姿のまま、

少し寝癖のついた頭でキッチンの入口に立っていた。


まるで匂いに引き寄せられてきたみたいな様子だ。


二秒ほどこちらを見つめたあと、

何かを思い出したように目を瞬かせる。


「あ……監督……じゃなくて、ユウマさん。

朝ごはん、作ってるんですか?」


「ああ」


ソーセージを返しながら答える。


「君が買ってきた食材があったからな。

久々に」


ミクは興味深そうに近づいてきて、

フライパンを覗き込み、

そして小さく「あっ」と声を上げた。


次の瞬間には、

棚を開けて何かを探し始めている。


皿にソーセージと目玉焼きを盛り、

テーブルに並べたところで、

どこか物足りなさを感じた。


そこへ、

ミクが両手に器を抱えて戻ってくる。


湯気の立つわかめの味噌汁が二杯。


それに、電子レンジで温めた白ご飯。


「……いつの間に用意した?」


思わずそう聞くと、


「えへへ」

と、胸を張ってみせる。


「十分もかからないですよ。

すごいでしょ?」


インスタントの味噌汁の大袋と、

個包装のパックご飯をテーブルに置く。


「これがあれば、

それっぽい朝ごはん、すぐ作れます!」


並んだ食卓を見下ろしながら、

俺はふと考える。


生活を切り詰めることに慣れすぎると、

ほんの少しの工夫すら、

いつの間にか手放してしまうものらしい。


味噌汁を一口啜る。


喉を通る熱が、

静かに身体に染みていく。


……正直、悪くない。


その表情を見て、

ミクもようやく安心したのか、

食べ始めた。


「そういえば」


ご飯を半分ほど食べたところで口を開く。


「今日は会社に戻って編集だ。君は?」


「今日はですねー」


ソーセージをかじりながら、


「メンバーの友だちと買い物に行く約束してます!」


「じゃあ別行動だな」


ミクは指でOKサインを作った。


俺も手早く朝食を済ませ、

部屋に戻って着替え、

そのまま会社へ向かった。



会社に着くと、

誰とも言葉を交わさず、

まっすぐ編集室に入る。


モニターに映っているのは、

先日撮影した激辛ラーメン企画の映像だった。


ミクララのメンバーたちは、

必死にアイドルらしい元気さを保っている。


溶岩のように赤いラーメンを前に、

誰もが一瞬ためらった。


その中で、

迷いなく箸をつけたミクのカットが、

結果的にこの回を救っている。


俺は小さく頷いた。


この契約は――少なくとも仕事の面では、

確かに機能している。


その代償については、

あえて考えないようにした。


編集を再開しようとした、

そのとき。


「バン!」


勢いよくドアが開いた。


「助監督のカナさん」


眉をひそめる。


「ノックって概念、知らないのか?」


「監督が戻るなら、

先に言えって言いましたよね」


即座に言い返される。


カナはそのままモニターの前に立ち、

再生中の映像を止めた。


「今日は編集日じゃありません」


淡々と、

しかし有無を言わせない声。


「次の撮影場所の事前チェックです」


「ロケハン?」


気乗りしない。


「そこまで俺が行く必要あるか?」


「前回、

社長が決めた店をドッキリ扱いしてましたよね」


カナは淡々と続ける。


「だから今回は、こちらで確認します。

アイドル向けのスイーツ店です」


以前、彼女が涙目で激辛を食べていた姿が脳裏をよぎり、

俺は観念して頷いた。



スイーツ店に直行するものだと思っていた。


だが俺が立っていたのは、

高級百貨店の正面入口だった。


「……?」


無言で視線を向けると、

カナは予想通りの反応だと言わんばかりに先に口を開く。


「別案件用の小道具を買います。

セット装飾用です」


並ぶ商品の値札を見て、思わず聞いた。


「社長、知ってるのか?」


「あの守銭奴が許可した?」


「もちろんです」


カナは得意げに笑う。


「“映画的な画作りには必要経費”って言いました。

 そう言わないと、クライアントに舐められるって」


俺は小さく息を吐いた。


あの社長、

やっぱり彼女には弱い。


アクセサリー売り場で、

カナは慣れた手つきで品を選んでいく。


俺は隣で、

値段を見るたびに胃が締め付けられる思いだった。


そのとき、

彼女の動きが止まる。


視線の先――

ショーケースの中央に置かれた一組のアクセサリー。


「星塵琉璃」と名付けられた、

鎖骨ネックレスとレザーのブレスレット。


店員がそれを黒いベルベットの上に並べる。


「こちらの『星塵琉璃』は、

異世界の裂け目から落ちた星をモチーフに――」


聞き慣れた説明口調。


「次元を越えて惹かれ合う二つの魂を象徴し、

ペアデザインとなっております」


また異世界か、

と内心で冷めた。


この手の言葉が売りになる時代だ。


何にでもそれっぽい設定はつけられる。


今ここで「魔王の遺骨から作りました」と言われても、

俺はたぶん適当に頷くだけだろう。


視線を外そうとした、その瞬間。


カナが一歩、前に出た。


店員でも、俺でもない。


ただ、琉璃だけを見つめている。


照明を受けて、

その奥で淡い青が揺れていた。


反射でも、染色でもない。


――内側から発光しているような、不自然な色。


「……本物ですね」


低く、確信を帯びた声。


「こちらは今季限定のペア商品でして。

 カップル、もしくはご夫婦のみの販売となっております」


店員の意味ありげな視線が、俺たちを行き来する。


「聞きましたね?」


カナが俺を見る。


「社長には話を通してあります。

 ここで芝居に付き合わないなら、この重要な小道具は手に入りません。

 説明は、会社でどうぞ」


……なるほど。


彼女は、

主導権を握ったつもりらしい。


なら、遠慮する理由はない。


「やるなら」


俺は彼女の手を引き、抱き寄せた。


「ちゃんとやろう」


腕を回し、

腰を引き寄せる。


「さっきの表情、硬すぎだ」


耳元で低く囁く。


「それじゃ、俺のオーディションは通らないな。――奥さん」


「な、何して……!」


身体が一瞬で強張る。


耳まで真っ赤に染まった。


勝ち誇っていた表情が、初めて完全に崩れ落ちた。


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