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第十話 昔話をするべきではなかった

撮影が終わるころには、

空はすでに夕焼けに染まっていた。


ミクとメンバーたちは先に現場を離れ、

残ったのは俺と撮影スタッフだけだ。


機材をすべて車に積み込み終えると、

現場は一気に静まり返った。


そこに残ったのは、俺とカナの二人。


「……今日はここまでだな。お疲れさま」


いつも通りの調子で締めようとしたが、

カナは返事をしなかった。


どうやら、さっきの“見殺し”の件が、

まだ尾を引いているらしい。


俺は後頭部をかきながら、

無理やり話題を探す。


「その……さっきのラーメン、

相当ヤバかったな。大丈夫か?」


「平気!」


カナは勢いよく顔を背けた。


声は強気だが、

どこか拗ねた響きがある。


「それより、

あなたは自分のアイドルの心配でもしてれば?

あの子、一人で一杯完食してたじゃない」


「まあ……彼女なら大丈夫だろ」


頭に浮かんだのは、

満足そうに箸を置いていたミクの笑顔。


少なくとも、

命の危険を感じさせるような様子ではなかった。


「ふーん。ずいぶん信頼してるのね。

まるで、前からよく知ってるみたい」


その言い方が、妙に癇に障った。


「カナ君。何があったのかは知らないけど、

今の態度はプロとしてどうかと思う」


自分でも驚くほど、

言葉が止まらなかった。


「君とミクの間に何があったのかは知らない。

でも、彼女は今回の仕事の大切なパートナーだ。

少なくとも、もう少し態度を抑えてほしい」


「……つまり、

私がわざと彼女に嫌がらせしてるって言いたいの?」


カナは冷たい目で、

こちらを見上げた。


「今のところ……そう見える」


「……ほんと、バカ」


吐き捨てるように言い、

彼女は俺を睨みつけた。


夕陽が差し込む中、

青白い横顔がやけに痛々しく見える。


唇を噛みしめたその表情は、

今にも何かを言い出しそうで——


「……実は、私……」


——そのときだった。


「おや? 藤原監督じゃないですか!」


背後から、

やけに明るい声が飛んできた。


振り返ると、

背の高い女性がこちらへ歩いてくる。


よく見れば、見覚えのある顔だった。


「……鈴木さん?」


「最後に会ったのはいつだったかしら?

相変わらずね、藤原君」


彼女は笑顔のまま視線をカナに移し、

意味ありげに口元を緩める。


「こちらの可愛い子は……

もしかして、彼女?」


「ち、違います!」


慌てて首を振る。


「同じ会社のスタッフで、

助監督のカナさんです。

さっき仕事が終わったところで」


カナは即座に“仕事用”の笑顔に切り替え、

丁寧に一礼した。


「はじめまして。

助監督のカナと申します」


「なるほどね」


鈴木は満足そうにうなずく。


「私は鈴木。

今はマネージャーをやってます。よろしく」


「鈴木さんは大手事務所の総監で……

有名な役者やモデルをたくさん抱えてるんです」


「そんな大したものじゃないわよ」


豪快に笑ったあと、

彼女は俺を見て言った。


「ねえ藤原君、このあと時間ある?

久しぶりだし、少し飲みに行かない?

助監督さんも一緒に」


カナは一瞬、

断る理由を探すように俺を見た。


だが次の瞬間、

何か思いついたのか、

にこりと笑う。


「……ええ、ぜひ」


店内は薄暗く、

落ち着いた照明が揺れていた。


俺はビールを飲みながら、

鈴木の昔話を聞く。


カナも時折相槌を打ち、

場の雰囲気は思いのほか和やかだった。


「それにしても藤原、

相変わらず仕事できるわねぇ」


頬を赤らめた鈴木が、

上機嫌で言う。


「こんな可愛い彼女と一緒に仕事してるなんて、

アンタ幸せ者だよ」


「だから、違いますって!」


慌てて否定する。


「同僚です。同僚!

確かに仕事では助けてもらってますけど、

そういう関係じゃ——」


「そうそう」


カナが、妙に冷たい声で追撃した。


「監督は私みたいなの、

好みじゃありませんから。

若くてピチピチしたアイドルがお好きなんですよ」


「へえ?」


鈴木が面白そうに眉を上げる。


「でもね、昔の彼女は——

金髪の、気品ある美女だったわよ?」


「鈴木さん……!」


止める間もなく、


「え? 監督の元カノ?」


カナの目が、きらりと光った。

「聞きたいです。

どんな人だったんですか?」


「名前はね、ヘスティア」


その名を聞いた瞬間、

胸の奥がきしんだ。


「初めて会ったときは、

物語から抜け出してきた精霊の女神かと思ったわ」


鈴木は饒舌になる。


「すぐに注目されて、

みんなが彼女を欲しがった。

当時のあなたは、まだ駆け出しの助監督で……

私は、正直言って反対したのよ?」


「……覚えてます」


気まずくうなずく俺の横で、

カナは信じられないほど真剣な表情で話を聞いていた。


「でも結果的に、

私が間違ってた」


鈴木は俺の背中を叩く。


「あなたは彼女のために、

あっという間に監督になった。

ヘスティア、ちゃんと人を見る目があったのね」


一拍置いて、声のトーンが落ちる。


「……でも、もういないの」


「いない……?」


カナが小さく息を呑む。


「はは、死んだわけじゃないわよ」


鈴木は笑った。


「留学よ。全部捨てて、国外に出たの。

映画デビューだって目前だったのにね」


「……すみません」


俺は俯いた。


「あなたのせいじゃないわ」


鈴木は首を振る。


「むしろ、私たちのほうが謝るべきね。

彼女、あなたには何も言わずに行っちゃったから」


「……もう昔の話です」


無理やり笑う。


「今は、静かに映像を作って、生きていければそれで」


「そうね」


鈴木はうなずき、ふいにカナの手を取った。


「それに、今はこんなに可愛い助監督さんがいるんだもの」


カナの体が、ぴくりと硬直する。


「本当に綺麗……清純な天使みたい。

ねえ、うちで女優やらない?」


「え、あの……」


戸惑うカナ。


「いい話じゃないか」


俺は冗談めかして言った。


「助監督なんて、美貌の無駄遣いだってよく言われるだろ。

俺みたいな無能監督の下で苦労するより——」


「……あなた」


カナが、ぎろりと睨んだあと、

ふっと鈴木に視線を向ける。


「でも……ヘスティアさんの写真、見せていただけたら。

それを見てから、考えます」


「この子……!」


内心で呻く。


「簡単よ!」


鈴木はすぐスマホを取り出し、一枚の写真を見せた。


金髪碧眼の少女。


頬杖をつき、誇り高く、

冷ややかな視線を向けている。


その瞬間——

カナの瞳が大きく見開かれた。


呼吸が、一瞬止まる。

指先が、無意識に服の裾を掴んでいた。


「綺麗でしょ?」


鈴木は満足そうに言う。


「でも安心して。

助監督さんは、別のタイプだから」


「……半精霊の王女……

『終焉のヘスティア』……」


カナの声は、

かすかに震えていた。


喧騒の中に紛れそうなほど小さな呟き。


だが、不自然なほど、重かった。


それは称賛ではない。

懐かしさでも、憧れでもない。


――そこに滲んでいたのは、

名を口にしてはいけない存在を思い出してしまった者の、

露骨な恐怖だった。


心臓が、嫌な音を立てる。


ミクも言っていた。


ヘスティアは「半精霊」だと。


……なぜ、カナがそれを?


「精霊? 私は女神だと思うけど」


鈴木は首を傾げる。


「あ……ええ、女神みたいですね」


カナは慌てて笑った。


その表情は、

どこか引きつっていた。


鈴木はそのまま、

テーブルに突っ伏して眠ってしまった。


店を出たあと、

俺とカナで鈴木をタクシーに押し込んだ。


車が走り去り、

夜風だけが残る。


駅までの道。


言葉はなかった。


改札が見えたところで、

カナが足を止める。


何か言いかけて、迷って——


そして、こちらを振り返った。


「監督……ミクには、気をつけて」


「彼女……全部、本当のことを言ってるとは限らない」


それだけ言い残し、

カナは人混みに紛れていった。


俺は、その場に立ち尽くす。


夜風の中、

残ったのは——説明のつかない不安だけだった。



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