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ぼーっとながら、ふわっと考える  作者: 仲麻呂


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20/20

ぐるぐる、退屈でまんねりの日常

 学校生活を終えて働き始めることを、「社会に出る」と表現する。新しく働き始めると、いろいろなことを覚える必要があるため、最初のうちは刺激的な日々が訪れていた。それも数ヶ月すれば慣れてくる。一度覚えたスキルや習慣は、仕事のなかで何度も繰り返すことになる。社会に出ると、そこに待ち受けているのは同じことの繰り返しや退屈といえるかもしれない。


 朝早くに起きて出勤する。いつもの職場に到着して、いつもメンバーに挨拶をする。あれこれ作業をしているうちに、気づいたら帰る時間になっている。外に出たら夜になっていて、太陽はいつの間に沈んでしまったのだろうと思う。

 いつものスーパーに立ち寄って、以前にも顔を見た店員と目が合う。顔見知り程度なので、特に話すことはなく、そのままお店を後にする。家にかえって、ご飯を食べて、お風呂に入って寝る。いつもの繰り返しだ。

 マンネリと退屈を抱き、自分はいったい何をしているのだろうか。自分は何のために生きているのだろうかと、ふと疑問に思う。ただ、そんな哲学的な問題に答えはないと最初からわかっているほどに、自分は落ち着いている。何かを熱く信奉したり、何かに熱中する気にもならない。僕の中には、熱という概念がないようだ。熱くも冷たくもない。


 世間を見渡してみると、このような傾向が伺える。誇張した部分もあるが、どこか心当たりはないだろうか。たいていの人は、「人生が楽しければそれでよい」と思っているようだ。僕もそう思うときがある。自己満足が自分の生きる目的だ(ほんとうにそうなのかな?)。

 では、あなたには自分が楽しいと思えるものがあるだろうか?ある人は幸いだ。その楽しいと思える趣味や生活に向かっていくのがよいだろう。でも、自分が楽しいと思えるものが見当たらない人はどうするのだろうか。いま楽しいと思えることが楽しくなくなったら、新しい楽しみは自ずとみつかるのだろうか。


 僕も、楽しいことが何もない状況に陥ったことがある。あらゆることに興味がなくなってしまうのだ。子供の時から楽しんでいたことが、あるときから楽しくなくなってしまう。世間で楽しまれている娯楽に目を向けてみるが、まったく興味や関心を抱かない。

 「人生は自分が楽しければいい」というが、その楽しみはいったいどこからやってきたのか。どうやって楽しみを生み出すことができたのか。それについては、誰も教えてくれない。

 あれこれ考えてみたり、楽しいものはないかと色んな情報を眺めてみた。ある日1つの小さな楽しみを見出すことができた。あくまでも、僕にとって楽しい、面白いと思うものだ。


 それは、当たり前の生活の中にあった。生活は、衣食住で成り立つ。衣食住のそれぞれのなかに楽しみがあることに気づいた。たとえば、「衣」は服のことだ。服をお店で買って、自分で着る。着た服は洗濯をする。現代だと、洗濯は自分でせずに洗濯機がほとんどを行ってくれる。でも、昔の人は1つ1つ手で洗っていた。服も自分で編んだり、繕っていた。

 機械に任せずに、少しでもよいので自分でやってみると意外に面白い。ズボンを自分で手で揉み洗いをしてから、外に干してみる。洗剤がなかった時代、昔の人は洗剤を使わずに水だけで洗っていたのだろうかと疑問に思う。すると、江戸時代やそれ以前の生活について興味が湧き始める。自分のなかで問題意識が生まれる。そうなると、僕は歴史の本や風俗史を調べたくなる。こうなれば、楽しみが1つ生まれたことになる。


 「食」であれば、食材をスーパーに買いに行って、買った食材を冷蔵庫に入れておくことから始まる。冷蔵庫がなかった時代は、どうしていたのだろう。余った食材は、冷蔵庫がなければ腐ってしまう。昔の人は、漬物にしたり、干したりして対策していた。試しに漬物や野菜を外に干してみようかな。


 生きる上での当たり前である「衣食住」に着目して、昔の人はどうしていたのだろうかと考えてみると、楽しさが増えることがわかった。「どうしていたのか?」「なぜ?」「どうして?」という疑問が生まれると、それを調べるために本やネットを使って情報を収集する。調べているうちに、また異なる疑問が湧いてくる。趣味が「研究」になっていくと、楽しみは止まらない。過去を調べているうちに、未来についても想像できるようになって、ますます楽しい。


 こういう疑問や問いは、不便を感じたときにも生じる。「使い勝手をよくしたい」「面倒だなぁ」「もっと楽をしたい」という思いが、現状の分析や歴史の探求へつながる。

 裏を返せば、便利になることは、こういう疑問を奪ってしまう。便利さによって、楽しみが奪われているといってもよい。


 現代は、ゆっくりと生活を楽しむことが憚られる時代になった。朝から夕方まで働く一人生活では、家電に頼らない生活は難しい。ゆっくり洗濯板で洗濯するわけにもいかないし、掃除機ではなく箒で掃除するわけにもいかない。古くて質素な生活方法は、時間を無駄にする贅沢な生活になっている。

 それでも、一見時間を無駄にしているような生き方のなかに、置き忘れてきた楽しみのようなものが散らばっているのかもしれない。そうやって散乱した楽しみを、将来のために拾い集めている。

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